· 

メッセージ主題:『従順:善にはさとく、悪にはうとく』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ローマ人への手紙』

2019時年7月14日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌135「御霊は天より」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「静まって知れ Still」

交読: 交読文17:詩篇 第46篇:新聖歌p.892

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌350「主の恵み語るは楽し」

聖書拝読:ローマ人への手紙16章19節(新改訳聖書)

中心聖句:

「あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。」(19)

メッセージ主題:『従順:善にはさとく、悪にはうとく』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『主にある希望を知る』と題しまして、お話をさせていただきました。

ローマ書第15章は、この手紙がそろそろ終わりに近づいていることを予感させます。ユダヤ人も異邦人も信徒同士が同じ思い、つまりキリスト・イエスにあって同じ希望を持つことが強調されています。そして信徒同士だけではなく教会同士が助け合うことを勧めています。もちろん、それは全て聖霊様の力によるものであること、私たち人間的な思いからではない力が、私たちを希望に満ち溢れさせてくださることをパウロはしっかりと説いています。先週は、私たちの心を満たす共通の希望のことについて、学ばせていただきました。

今朝は、『従順:善にはさとく、悪にはうとく』と題しまして、お話をさせていただきます。

ローマ書第16章は、この手紙の最後の章であります。最終章のほとんどを、「~さんによろしく」という手紙の締めくくりの文章が占めています。その中で、ローマ教会には、教えにそむいて、問題を起こす人たちがいて、その人たちから遠ざかりなさいと、パウロは警告しています。そして、主への従順こそが、教会の一致、善にさとく、悪にうとくなる秘訣であることを示唆しています。今朝はこのことを学ばせていただきましょう。

短くお祈りいたします。(祈り)

聖書の中では、「従順」という表現が多くでてきます。また、その類語「服従」という表現もございます。では、この違いはなんでしょうか。辞書には、「従順」は「すなおに従うこと」、「服従」は「権威に従うこと」とありました。これら二つの類語はゆるい感じで使い分けられているようです。英語屋としましては、この「従順」と「服従」という言葉も気になるところでございます。「従順」はobey (一般的に『従う』の動詞)の名詞形obedience が、そして「服従」は submit (相手に自分を『さしだす』動詞)の名詞形submission が使われています。先ほども申しましたが、これらの言葉は、使い分けられているようですから、聖書の中で、特に新約聖書のなかでどのような聖句にあるのかを見てみたいと思います。

まず、「従順:obedience」ですが、ヘブル書5:8-10では、次のようになります。「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。」神の御子であられるキリストが、苦しみを受けて、抵抗することなく素直に従い、私たちの見本となられたとあります。つまり、私たちも、苦しみ・苦難・障害を通して、置かれている立場において、主に素直に従うように訓練されなければならないことを示唆しております。

一方の、「服従:submission」はと申しますと、同じヘブル書に、次のようにのっています。(12:9-11)「さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」ここでも「従順」の時と同じように、苦しみや悲しみを通して、天の父に従うことが記されています。しかし、「従順」の時よりも、訓練となる悲しみや苦しみには、不条理さが伴い、その不条理さを受け入れる時に、不平や不満を押し殺していき、私たちは主によって「練られる」のかも知れません。

ここで、またしても英語屋としては気になる単語がございます。「Surrender :明け渡す、降服する、(自身を)ささげる」という単語です。この単語は新約聖書では、ローマ書に集中して使われています。(6:16-19)面白いことに、この箇所では、「従順・服従・ささげる」と三つの言葉が使われています。少し長い引用となりますが、いっしょに見てみましょう。「あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて (surrender) 奴隷として服従すれば (obey)、その服従する (obey) 相手の奴隷であった、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順 (obedience) の奴隷となって義に至るのです。神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの基準に心から服従し (obey)、罪から解放されて、義の奴隷となったのです。あなたがたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて (surrender)、聖潔に進みなさい。」この聖書の箇所では、「服従」と「従順」は区別されていません。しかし、ここで分かることは、素直に従う「従順」にしろ、不平不満を押し殺して従う「服従」にしろ、自分自身をささげ、「明け渡す」ことが大切であるということです。つまり、主に自らを明け渡すことが出来なければ、従順も服従もありえないと理解できます。このことを踏まえて、今朝の聖句を再度、見てみましょう。あのパウロの言葉は、次のように読み替えることもできるでしょう。

「あなた方が、善にさとく、悪にうとく、教会が心一つとなるためには、日ごろから、主に従順、すすんで従うことが必要です。そして、その従順には、苦しみや悲しみが伴うかもしれませんが、希望を捨てないことです、見失わないことです。そのためにも、主に白旗をあげて降参し、あなた自身を主に明け渡しなさい。あなたが自分自身を主にささげれば、あなたは主の奴隷となり、聖潔が保たれるでしょう。」

私たちは、主の奴隷であります。主に買い取られました。主が自らの命と交換に、私たちの罪を贖い、帳消しにし、私たちを罪の奴隷から、義の奴隷へと所有を移し替えてくださったのです。ですから、私たちは、主の奴隷であり、主の所有物なのです。

パウロはこのことを次のようにも言いあらわしています。「主と交われば、一つ霊となるのです。、、、あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」(1コリント6:17&19-20)

さて、今回は英語も入れて、主の導きを表わしたつもりですが、すこし、天国長屋の八さんと熊さんに感想をお聞きしたいと思います。八さん、熊さん、英語を入れると分かりにくかったですかね。

八: 牧師さん、英語はやっぱり難しいなぁ。英語が出たとたんに、俺の頭のコンピューターがフリーズしちゃったよ。

熊: お前なに言ってんだよ。英語がダメって言いながら、フリーズとか使ってんじゃねぇよ。

八: あ、ごめんごめん、つまり、頭の思考回路が固まっちまうんだ。日本語でも難しくなると、固まっちまうんだから、英語はなおさらだ。

熊: そうだな。かんべんしてほしいな、次からは。

八: ところで、牧師さんは言わなかったけど、ぶどうの木キリスト教会、創立2周年、おめでとうございます。いやぁ、早かったね、この2年。

熊: 去年は、牧師さん、心筋梗塞で倒れなすって、教会ももう終わりかと思っちまったよ。でもよかった、よかった。元気に復活されて。ハレルヤ、神様に感謝だ。

八: 今年は、その感謝もこめて、LEDの十字架もついたし、楽しみだね。ところで、今朝の従順や服従や明け渡し、って結構大切なんだな。

熊: 当たりめぇじゃぁねぇか。パウロのだんな、この言葉を口酸っぱくなるほど言ってるよ。それほど大切だってことだよ。

八: おれは、従順や服従って言う言葉はあんまり、ピタッと来ないんだけど、「白旗あげて、降参、明け渡し」っていうのは、俺とイエス様の関係にピッタリなんだよな。

熊: おめぇもかよ。実は俺もなんだ。「イエス様、もう降参します。煮るなり焼くなりしておくんなさい」ってな感じ。

八: でも、そう覚悟を決めると、イエス様は優しいんだよね。

熊: いや、イエス様は前からお優しい方なんだよ。でも、俺たちが抵抗し反抗していたから、きびしくなさったけどな。俺は、いまヨハネの気持ちなんだ。

八: ヨハネの気持ち?どういうことだい?

熊: 最後の晩餐の時、ヨハネはイエス様によりかかっていたらしいじゃねぇか。だから、俺もいつもイエス様によりかかっていきたいなと思ってるんだよ。

八: その顔で、イエス様によりかかるのか。なんか気持ち悪いな。

熊: 顔のことで、八に言われたかねぇよ。ところで、さっきの「白旗あげて降参」っていうところで、思い出したんだけどな、ペテロのだんなの手紙でいいところがあるんだよ。ちょいと長いけど、読んでみるぜ。確か1ペテロの2章3節からだ。

「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。なぜなら、聖書にこうあるからです。

『見よ。わたしはシオンに、選ばれた石。尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。』

したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、『家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった。』のであって、『つまずきの石、妨げの岩。』なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが。またそうなるように定められていたのです。」

熊: 「イエス様に白旗あげる」っていうことは、「イエス様を信頼して、より頼む」ってことだよな。

八: そうそう、パウロのだんなも同じようなことを言ってたよな。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(1コリント1:18)

熊: イエス様は「わたしにより頼みなさい」とは言ってねぇけど、「わたしを信じなさい」とおっしゃってる。

『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』(ヨハネ11:25-26)

俺は、この箇所を読んだ時、思わず、「はい、信じます」って言っちまったよ。

八: 結局は、従順も服従も、従うことだし。従うことは、明け渡すことだし。明け渡すことは、より頼むことだし。信頼しより頼むことは、何があっても信じきることなんだよな。

熊: そう、イエス様を信じきった先に、力があり、希望があり、いのちあり、愛がある。お、なんか決まってないかい。このへんでやめとこう。ぼろがでちゃあ、いけねぇから。

牧師さん、ここらへんで勘弁して。

八さん、熊さん、ありがとうね。それに創立2周年のことも言ってくれて、感謝します。

「善にさとく、悪にうとい」これが可能になるのは、私たちの力ではございません。私たちの内に住みたもう、聖霊様が導いてくださるのです。その聖霊様の働きを妨げないようにするには、私たちがイエス様を信じきり、すべてにおいて信頼し、より頼む必要がございます。「従う」という意識は、継続するなかで、疲れて来るかもしれません。それよりも、「信頼し、より頼む」意識の方が、息切れしないのではないでしょうか。信仰は継続です。さまざまな障害や困難のある中で、信仰の火をたやすことがあってはいけません。そのためにも、心から、そして口に出して、いつも喜び感謝することが、イエス様が求めておられることではないでしょうか。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「従順:善にはさとく、悪にはうとく」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。「従順」とは、結局「信頼」から生まれるものであり、私たちが、主を信頼し、どれだけ私たち自身を主に明け渡していけるかが鍵となるでしょう。そして、そこには、喜びと感謝と祈りが積まれているはずです。

黙想の前に、ヨハネの福音書21章15節のイエス様のお言葉をお読みいたします。「あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」

(3分間黙想)My Peace

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「従順:善にはさとく、悪にはうとく」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。従うためには、私たちが主にどれだけ信頼することができるか、主にどれだけ自分自身を預け渡せるかにかかってきます。どうか、私たちが、常に主を信じ信頼することができますように、主を愛することができますように、聖霊様が私たちを整え、お導きください。

この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌302「恵みある主」

賛美: 今月のワーシップソング「静まって知れ Still」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

My Peace

 

My Peace I give Unto You

It’s A Peace That The World

Cannot Give

It’s A Peace That The World

Cannot Understand

Peace To Know, Peace To Live

My Peace I Give Unto You

 

My Love I Give Unto You

It’s A Love That The World

Cannot Give

It’s A Love That The World

Cannot Understand

Love To Know, Love To Live

My Love I Give Unto You

 

今月のワーシップソング「静まって知れ Still」♬

御翼の 陰に隠し 力ある 御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

キリストの 中に憩い 信頼と 主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。