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メッセージ主題:『主を誇る』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第一』

2019時年7月21日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌504「妹背を契る」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「静まって知れ Still」

交読: 交読文18:詩篇 第50篇:新聖歌p.892-893

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌505「主われを愛す」

聖書拝読:コリント人への手紙第一1章26~31節(新改訳聖書)

中心聖句:

「まさしく、『誇る者は主にあって誇れ。』と書かれているとおりになるためです。」(31)

メッセージ主題:『主を誇る』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『従順:善にはさとく、悪にはうとく』と題しまして、お話をさせていただきました。

ローマ書第16章は、この手紙の最後の章であります。最終章のほとんどを、「~さんによろしく」という手紙の締めくくりの文章が占めています。その中で、ローマ教会には、教えにそむいて、問題を起こす人たちがいて、その人たちから遠ざかりなさいと、パウロは警告しています。そして、主への従順こそが、教会の一致、善にさとく、悪にうとくなる秘訣であることを示唆しています。先週は主への従順を学ばせていただきました。

今朝は、『主を誇る』と題しまして、お話をさせていただきます。

今朝からコリント人への手紙を一章ずつ進んでまいります。

第一コリント書第1章は、コリント教会に、派閥争いのような動きがあり、パウロはそれを憂えて、エペソに滞在中に、全ての栄光を主にお返ししなさいと手紙をしたためたのです。今朝はそのところから、主を誇る、主に栄光をお返しすることを学びます。

短くお祈りいたします。(祈り)

今朝の中心聖句31節にある「誇る者は主にあって誇れ。」という表現は、パウロがエレミヤ書9章23、24節から引用したものです。少し見てみましょう。「主はこう仰せられる。『知恵のある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に恵みと公義と正義を行なう者であり、わたしがこれらのことを喜ぶからだ。――主の御告げ。――』」

主は、「神を知っていることを誇れ」とおっしゃいます。神を知るとは、神との契約関係の中で深く神と交わる、木と枝の関係、内に住み給う聖霊様を通して、キリストと霊的に一体となる、キリストを信じ、キリストと人格的に親しく交わる者とされることであります。神はエレミヤを通して、誇るならそのことを誇れとおっしゃっておられるのでございます。

私たち人間は、「誇りやすい」生き物です。他の動物は、創造の神に対して、従順であります。もちろん、動物が創造主の神をどのように感じているのかは分かりません。しかし、自然の営みの中に自らを置き、生きるも死ぬも自然をつかさどる神に全てを委ねきって生きているのです。その点、人間は神を恐れない動物です。自らを誇り、神に近づき、あわよくば神になろうとし、バベルの町に塔を築き始めました。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(創世記11:4)しかし、神はそれをよしとせず、民がお互いの交流をし過ぎないようにと、言語(ことば)を混乱させ、人々は全地に散らされたのです。

しかし、私たちは、今でも、自分を誇りたいため、名声を我がものとしたいために、それぞれにバベルの塔を築くのであります。自己主張であります。人によっては自己主張の少ない人がいます、しかし、その人でさえ自己中心は免れません。自分を中心とすることこそが、神のいちばん嫌う偶像礼拝、つまり神を自らの中心に置かない、神を恐れない、神を知らないことなのでございます。私たちは神に創造されたものです。創造主である神、生かしてくださっている神の声に耳を傾け、神を知り、自らを知らなければいけません。

パウロは、そのことを木の幹と枝にたとえて説いています。ローマ書11章です。「あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。」(18)もともと救いにあずかるはずのユダヤ人は、キリストを信じようとしないがゆえに、救いの幹から切り落とされ、その代わりに異邦人であるわたしたちが接ぎ木されたのです。切り落とされた枝には、神のきびしさがあり、接ぎ木されたわたしたちには、神のいつくしみがあります。しかし、選ばれ接ぎ木されたことを誇ってはいけないとパウロは主張します。誇ってしまえば、わたしたちが神のいつくしみの中に留まっておられず、神は容赦なく、わたしたちを先の不信仰なユダヤ人のように切り落とすからです。また、切り落とされた枝であっても、信仰を回復されれば、再び接ぎ合わすことも、神にはおできになるのです。

神はエレミヤに、「誇るなら、神を知ったことを誇れ」と告げました。しかし、私はこのことでも自分を信用できません。「神を知ったことを誇れ」と思っても、「神を知った自分を誇ってしまう」ことになるからです。もっと悪いことに、先に神を知り、救われたことに優越感を抱き、まだ救われていない人々に対して、見下してしまうかもしれません。もちろん、意識的にではなく、無意識的にです。神がわたしをいつくしまれたように、わたしもキリストに倣って、他の人々に愛を示さなければならないはずなのに、弱いわたしがいることを認めざるをえません。ですから、わたしは、「神を知ることを誇る」のではなく、「神ご自身を誇ろう」と思うのであります。常に神を見あげ、神に感謝し、神をほめたたえ、神を誇るものとさせていただきたいと願っています。

皆様はいかがでしょうか。何か誇るものはおありでしょうか。また、その誇るものを取り去られてしまったら、皆様には何がのこるでしょうか。八さん、熊さん、あなたがたは、何か誇っているものはありますか。

八: お、今日は振って来られるのがはやいねぇ。何か「後お願いします」感、いっぱいなんですが、先生、だいじょうぶですか。

熊: 八、あまり先生いじめちゃ、いけねぇよ。最近、寝不足なんだそうな。先週だって、平均睡眠時間3時間切ったらしいからよ、ちょいと「休ませてあげよう」じゃねぇか。

八: 分かったよ。ところで、熊は、何か誇りに思っていることがあるか。

熊: おりゃ、大工だ。だから、大工の腕には自信がある。誰にも負けたくねぇって思って、ここまで修行もしてきたし、やってこれたんだ。自分の仕事には、プライドをもたなくっちゃいけねぇ。いい加減なことしたら、俺のプライドが許さねぇ。棟梁だった、おやじもそういってた。

八: なるほどねぇ、熊は、大工の腕がプライドで誇りなんなぁ。俺は、魚屋だろ。だから、魚の目利きはあるつもりだし、魚をさばくのにも自信がある。一流がどうかなんて比べたことがないから分かんねぇけどよ、これで商売してるんだ、お客に変なものは出せねぇ。

熊: そうだよな。お前んとこの魚は、生きてる。いや、ピクリともしねぇけど、目が生きてんだよ。だから、生でも、似ても焼いてもうめぇ。蒲焼なんざぁ、天下一品だ。

八: やたらと褒めるねぇ。なにか魂胆でもあるんじゃねぇか。

熊: いや、先週、八から頂いた、ウナギのかば焼き、ありゃ美味かった。尻尾の方だけだったけどよ、脂がのっててな。だから、今日はそのぅ、もっと脂ののった、真ん中が、売れ残ってねぇかなと思って。

八: 土用の丑の日も近けぇから、きょうのうなぎは、ありがてぇことに、完売だ。悪いな。ところで、牧師さん、言ってたよな。その誇るものが取りさられたら何が残るって。

熊: 俺から、大工仕事を取り上げられちまったら、何も残んねぇな。オヤジも引退して、大工道具に手を触れなくなってからは、淋しそうにしてたなぁ。毎日暇してた。だから、趣味でももったら、どうだい、って言ったけど。「いまさらなぁ」って言って、結局、趣味は持たなかったけど、俺が、「そんなに暇だったら、これでも読んだら」って、聖書を渡したんだ。ずーっと机の上に置いてあって、埃がたまるんじゃねぇかと思って、ふと見てみるとよ、聖書に埃がついてねぇんだ。それに聖書に何か挟まってるんだ。みるとよ、カンナで削った木くずなんだ。

八: おやっさんが、いつも自慢していた、あの木くずかい。薄―く平べったく削った、木の皮みないな。 ありゃ、もう芸術だね。

熊: そうさ、オヤジはカンナが得意だった、あの木の皮一枚にプライドをかけてた。その皮が、きれいに切って、しおりみたいにして聖書に挟んであるんだ。

八: なるほどねぇ。聖書には埃が付かず、おやっさんはプライドを聖書に置いた。神を知ることを誇りにしたんだな。

熊: お、話がきれいに落ちたか。ごめん、牧師さん、もう少し、休ませてあげようと思ったけど、八が誇りを落とすんじゃなくて、話を落としあがった。このへんで勘弁しておくんなさい。

いえいえ、ありがとうございます、八さん、熊さん。おかげで少し休まりました。熊のオヤジさんは、あれから熱心に礼拝にきて、イエス様の話に耳を傾けてくれてた。もう5年にもなるかね、オヤジさんが天に召されてから。いい話を聞かせてもらった。それにいい聖書の箇所を思い出させてくださったよ。ありがとう。

パウロは、サウロ時代、律法順守に熱心で、それゆえにキリスト教会を迫害していました。それが生きがいでもあり彼のプライドでもありました。しかし、ダマスコ途上でイエス様と出会い、彼の信仰感が一変し、人生が180度変えられました。彼はこのように告白しています。少し長いですが、引用して、このメッセージを終わりたいと思います。ピリピ人への手紙3章3節から11節です。

「神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしないわたしたちのほうこそ、割礼の者なのです。ただし、私は、人間的なものにおいても頼むところがあります。もし、ほかの人が人間的なものに頼むところがあると思うなら、私は、それ以上です。私は八日目の割礼を受け、イスラエル民族に属し、ベニヤミンの分かれの者です。きっすいのヘブル人で、律法についてはパリサイ人、その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義についてならば非難されるところのない者です。しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスをしっていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、わたしには、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義をもつことができる、という望みがあるからです。私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。」

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「主を誇る」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。地上のものに心をとめ、それにプライドをもつことは必要なことかもしれませんが、それ以上に、キリストに誇りを持っていただきたいと、すべてにおいて、主に栄光をお返ししてほしいと願います。

黙想の前に、マタイの福音書11章27-28節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには子を知る者がなく、子と、子が父をしらせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

(3分間黙想)Open My Eyes Lord

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「主を誇る」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちには、いろいろとプライドがあります。それを支えとしているところもございます。どうか、私たちが、常に、主を信頼し、主を誇りとする者に変えられますように。私たちの思いと価値観を主に置くことができますように私たちをお導きください。

この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌415「恵み深き御神よ」

賛美: 今月のワーシップソング「静まって知れ Still」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

Open Our Eyes, Lord

Open my eyes, Lord Help me to see Your face

Open my eyes, Lord Help me to see

Open my ears, Lord Help me to hear Your voice

Open my ears, Lord Help me to hear

Open my heart, Lord Help me to love like You

Open my heart, Lord Help me to love 

今月のワーシップソング「静まって知れ Still」♬

御翼の 陰に隠し 力ある 御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

キリストの 中に憩い 信頼と 主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。