メッセージ主題:『心のダイエット』

大阪エイムキリスト教会 火曜日リバイバル集会 2019.7.23

中心聖句:マタイの福音書6章34節(新改訳聖書2017)

「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります。」

メッセージ主題:『心のダイエット』

今回は、「心のダイエット」と題しまして、お話をさせていただきます。お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。先ほど、お読みいただきましたマタイの福音書6章のところでは、「そんなに心配しなさんな!」ということがしつこくでてきます。

25節では「何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。」

これは、「今夜のおかず何にしよう」とか、「きょうのデート何を着て行こう」とか、そんな心配とちゃいます。この御言葉をよう読んでください。

「自分のいのちのことで心配する」と書いてあります。「長生きしたい。でも、この豚まん食べてしもたら、油こってりやし、動脈硬化になって、心筋梗塞でもおこすんちゃうかしら。(いや、心筋梗塞は私がなったんですけどね、去年の三月。後1時間、処置が遅かったら、もう天国行ってます、そんなことはどうでもいいですけど)この豚まんが食べとうても食べられへん、どうしたらええや!」と思い悩むことなんですわ。いや、思い悩むのはまだ軽い症状かもしれません。「思いわずらう」のです、一種の心の病です。それが、酷うなってしもたら、拒食症や過食症になってしまうのかもしれません。あれは辛そうです。そんな辛い思いをするぐらい、心配せんでええんやで、って、イエス様は言ってはるんです。

また、「自分のからだのことで心配する」とありますのも、一緒ですわ。「この細身のジーンズに合わして、お腹へっ込めて、入ったはええけど、苦しすぎて何もでけへん!」とか、「こんな服着たら、みんなに笑われるんとちゃうかしら。もう何着ても似合わん。恥ずかしいから、それやったら誰とも会わんようにしよ!」とか。まあ、本人が思うほど、だ~れも気にしてはれへんのですけど、自意識過剰というやつです。それがもとで引きこもってしまっては、えらいことです。これも「思いわずらう」のです、一種の心の病です。

27節では「あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか」

自分のいのちを延ばすことなんてだれもできません。いのちが無くならんように用心はできます。地震の時には、机の下にもぐるとか。津波警報がでたら、なるべく高いところに行くとか。台風の時には、窓の近くには近寄らんとか、何が飛んで来るか分かりませんからな。でも、そもそも、「なんでいのちを延ばしたい、生き延びたい」っておもうんでっしゃろなぁ。死ぬことが怖いから。でも、この世におぎゃぁと生まれて来て、何年生きるかは知りませんが、いつかは死なんとあかんのです。この世で生きてるもんは、どうあがいても死ぬんです。死ぬことから逃れられません。わたしも、みなさんも。

でも、死ぬのは怖い! なんでですやろ。なんで、死ぬのはこわいんでっしゃろ。それは、死後の世界が分からんからです。仏教では、輪廻転生っていうて、今の自分の行ないによって、いろんな生き物に生まれ変わるそうです。だから、動物や昆虫も、もとはと言えば、鈴木さんや田中さんやったのかもしれません。そやから、生き物とやたらと殺してはいけないんです。今の季節に、うっとおしい、蚊がぷ~んと飛んできて、パチンって。あ~あ、鈴木さん、ごめんよ。

聖書では、死後の世界は、永遠です。永遠のいのちが与えられて、天国で暮らすか。地獄で永遠に苦しむか。どっちかなんです。わたくしどもクリスチャンは、イエス様を信じて、永遠のいのちをいただきます。もう二度と死ぬことはございません。それに新しいからだも与えられるのです。朽ちないからだ。アンチエイジングのからだでございます。今、一生懸命、みなさん、美魔女というのを目ざして、アンチエイジングの化粧品やサプリメントが人気でございます。でも聖書に出てくるアブラハムの妻、サラには適いません。えら~い年になっても美しかったようですし、なにせ90歳で息子イサクが生まれるのですから。美魔女のきわみでございます。しかし、あのサラでさえ、老婆になって、よぼよぼになって死んでしまうのです。この世で永遠はありません。永遠があるのは、あちらの世界です。

この世をお造りになった神様といっしょに、永遠に、新しいからだで、ハッピーライフでございます。♬ハッピーライフ、ハッピーホーム、パラダイス♬ どこかで聞いたようなフレーズ、、、、

ま、それはともかく、「自分のいのちのことで心配したり、自分のからだのことで心配したり、しなさんな!」って、イエス様はおっしゃるのです。「気に病んだらあかん!」って言いはるんです。「心配しすぎて、今の生活楽しまんかったら、損やで!」って。「わたしに、ぜんぶ、まかせなさい! なんとかしたるから」って、おっしゃるんです。

33節「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」って、イエス様はおっしゃいます。「神の国と神の義を求める」というのは、ようするに、「イエス様を信じなさい」ということですわ。イエス様は、神さまと私たちをとりもつ仲人(なこうど)みないなお方です。イエス様を通して、やっと神様のことが分かってくるんです、見えてくるんです、聞こえてくるんです。

そのイエス様が、「わたしを信じて、信頼してくれたら、あなたの本当に必要なものは、わたしがなんとかしますよって、わたしについて来て下さい。わたしについて書いてある、この聖書をよんで、わたしから永遠のいのちのことを学んでください。今の生活、楽しめる秘訣教えますよって」って、おっしゃるんです。

でも、勘違いしたら、あきませんで。「イエス様を信じたから」言うて、すべての物が棚ぼた式に与えられるわけではないんです。「今日はカレーライスが食べたい」言うて、カレーライスがポンって目の前に現れるわけではありません。もちろん、ココイチに行って、カウンターに座って、「カレーライス」って言ったら、カレーライスは出て来ます。でも後でお金払わなあきません。そや、ないんです。「カレーライス食べたいなぁ」って思たとき、もしそれが、本当に必要なものなら、イエス様、なんとかしてくださるんです。例えば、お隣さんから、「(トントントン)ちょっと鈴木さん、(アッ、鈴木さん、パチンであっち行ってしまいましたな。田中さんにしときましょ)(トントントン)ちょっと田中さん、もう夕ご飯用意してる?今日な、ちょっとカレー作りすぎたんよ。もし、良かったら、手伝って。今日の、美味しくできてるで」って、カレーライスが思わぬところから頂けるかもしれません。おすそわけでございます。わたくしどもは、これを神様の恵みと考えるんでございます。

聖書の中の出エジプト記のところに、モーセの民がエジプトからイスラエルをめざして移動していくわけでありますが、途中で食糧が尽きてしまいました。民は指導者モーセに、「もう食べるもんがあれへん、奴隷の身から自由になると思って信用してモーセはんについて来たのに、なんとかしてぇな!」とせまったわけでございます。するとモーセは、神に祈りました。すると、マナっていう不思議な食べ物が天から降ってきました。それが、旅をしている40年間、安息日をのぞいて毎日、フレッシュなマナが与えらえるわけでございます。ところが、また民衆は、「マナはあきた、肉食べたいよ」と願います。そうするとと、ウズラがどこからともなく現われます。「のどが渇いた。水が欲しい」と言いますと、岩から水がほとばしる。神さまは本当に、必要なものを与えてくださるのであります。

イエス様にお願いしたからといって、ぜんぶただでもらえるとは限りません。「牛丼食べたい!」って願ったら、吉野家にアルバイトが決まるかもしれません。まあ、それは極端な話ではございますが、そのような不思議は、日常茶飯事に起こるのでございます。それをみなさんは、神さまの業として、思ってないだけかもしれませんし、全く気付いていないだけかもしれません。イエス様を信じて、目が開かれれば、今まで見えなかったいろんな不思議が見えてくるのでございます。耳が開かれれば、今まで聞こえなかったことが、耳に入ってくるのでございます。これが、「わたしにまかせときなさい」って、イエス様がおっしゃることなのです。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」っていうことなのです。

最後に今日の中心聖句34節を見てください。「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります。」

ここでも、「心配しなさんな、思いわずらいなさんな、気にやまないように」とイエス様はおっしゃいます。何に対してでしょうか。また来てもいない明日のこと、未来のことです。明日のことなんて、神さまイエス様以外、だれにも分かりません。今日中にいのちは取り上げられるかも知れないんですから。明日のことは、ケセラセラ、なるようになるのです。「あなたの心配することではない、わたしの責任です」とイエス様はおっしゃるのです。そして、今日という日もイエス様は責任をもってくださいます。しかし、私たちは私たちの責任をはたさなくてはいけません。それが、「労苦はその日その日に十分あります。」ということです。「労苦はある」ということは、わたしたちには「すべきことがある」ということです。そのすべきことの一番大切なことが、「神の国と神の義を求めなさい」「イエス様を信じなさい、イエス様から学びなさい、神の言葉である聖書を読みなさい」ということです。それは、日々の生活において、イエス様を信頼し、心配事をそぎ落としていく、作業であります。その事が、いわば、心のダイエットとなるのでございます。

お祈りいたします。