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メッセージ主題:『キリストの心』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第一』

2019時年7月28日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌266「罪 咎を赦され」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「静まって知れ Still」

交読: 交読文19:詩篇 第51篇:新聖歌p.892-893

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌166「威光・尊厳・栄誉」

聖書拝読:コリント人への手紙第一2章1~5節(新改訳聖書)

中心聖句:

「なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。」(2)

メッセージ主題:『キリストの心』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『主を誇る』と題しまして、お話をさせていただきました。

先週からコリント人への手紙に進んでおります。

第一コリント書第1章は、コリント教会に、派閥争いのような動きがあり、パウロはそれを憂えて、エペソに滞在中に、全ての栄光を主にお返ししなさいと手紙をしたためたのです。先週はそのところから、主を誇る、主に栄光をお返しすることを学びました。

今朝は、『キリストの心』と題しまして、お話をさせていただきます。

第一コリント書第2章は、アテネでの伝道の反省をもとに、キリスト以外を知ることをせず、語ることをしないと、自らに言い聞かせているかのような告白に近い手紙文となっております。パウロはアテネで、ギリシヤ人に対して人間の知識によって伝道してしまいました。ですから、あまり成果があげられず、失意のどん底にあって、コリントを訪れました。そこで、宣教とは御霊と御力の現われであると悟ったのでございます。主の御心を知り、民を主に導くことができるのは、私たちにキリストの心があるからであると主張するのです。そのところから「キリストの心」を学ばせていただこうと思います。

短くお祈りいたします。(祈り)

今朝の説教題の「キリストの心」は、2章の最後16節に出て来ます。15節からお読みいたします。「御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。いったい、『だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。』ところが、私たちには、キリストの心があるのです。」「御霊を受けている人」とは、『イエス・キリストを信じ、聖霊様を内にとどめている人』のことです。その人は、内なる聖霊様によって、すべてを理解することが可能となりますが、「御霊を受けていない人」つまり、「イエス・キリストを信じるに至っていない人」は、その人を理解できない、ゆえにバカにされ、相手にされないと、パウロは言うのです。しかし、「聖霊様を内にとどめている人」同士、つまりクリスチャン同士は、「キリストの心」によって理解し合えると述べています。「キリストの心」とは、御霊のことであり、聖霊様のことであると、理解できます。

この15節にあります、「自分はだれによってもわきまえられません。」とは、パウロのアテネでの宣教で味わった孤独感、疎外感、敗北感を表しています。彼は、イエス・キリストの福音を人々に説く時、人間の知恵によって、つまり自分の力だけに頼って、キリストを宣べても、聴く方は理解ができない、しかし、内に住み給う聖霊様の力によって、キリストを述べたときには、福音はかれらに届くと、アテネでのつらい思いを通して、そのように悟るのでございます。そのことが、13節に現れています。「その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。」

これは、福音宣教の基本です。私たちクリスチャンは、御霊によらなければ、聖霊様の働きなしでは、天からの力を得なければ、何もできないのです、何も伝えられないのです、伝えようとしても相手に伝わらないのです。つまり、私たちの発する言葉自体に、相手に伝える力があるのではありません。聖霊様の働きによって、私たちを通して、キリストを理解し、イエス様の大きな愛を知ることができるのです。イエス様はマルコ書13章で、次のようにおっしゃいました。「こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べつたえられなければなりません。彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話なさい。話すのはあなたがたではなく、御霊です。」(10-11)

御霊によってのみ、福音は伝わるのです。私たちは、このことを忘れがちです。伝道のことで、良かれと思い、さまざまなことを計画し、いろいろな手段を考え、その各段階で祈り、実行していきます。その種まきや収穫に、手ごたえを感じる時もあれば、むなしくなる時もあるでしょう。その結果によって、一喜一憂してしまいがちです。それは、パウロもそうでした。私たちの人間的弱さです。この気持ちの上下は、避けることはできません。しかし、結果、私たちは、すぐに結果を求めすぎだと思うのですが、その結果如何にかかわらず、主の御名をあがめ、賛美するものでありたいと願います。涙をもって種を蒔いた者が、その収穫の喜びにあずかるとは限らないのです。また、種を蒔いてもいないのに、収穫を得ることもあるのです。蒔く人も刈り取る人も、また水をやる人も、えらいわけではありません。育てて下さる神の御名があがめられるべきなのです。

私は、最近、ある一人の姉妹を知りました。その姉妹には、親友とよべる女性がいました。その姉妹はキリストを信じクリスチャンとなりました。しかし、親友の女性には、クリスチャンであることを隠したりすることはありませんでしたが、彼女自身、その親友に福音を伝えようとはしていませんでした。しかし、あるとき、その親友の方はイエス・キリストを受け入れたのです。聖霊様は、言葉ではなく、彼女自身を通して、その親友の方に臨まれたのです。その姉妹がえらいわけでもなく、彼女の親友の方が努力した訳でもありません。このことから分かりますように、聖霊様の働きがすべてなのです。もちろん、だからと言って、私たちが私たちの責任である、「福音を伝える、証し人として生活する」ということを怠っていいということにはなりません。聖霊様が働いて下さるところに、私たちの熱心があるということを忘れてはいけません。

もう一つ、主の御業を紹介したいと思います。ある牧師が開拓伝道を始めました。トラクトを持ち、祈りながら、近隣の方々、一軒一軒を訪問し続けました。だれ一人、訪問した方は、四畳半二間の自宅兼教会にはいらっしゃらなかったそうです。しかし、訪問していなかった方がひとり、ふたりと礼拝に来られ、祈祷会に顔を出しと、小さな家の教会の四畳半はいっぱいになったそうです。聖霊様が、その小さい教会に働いてくださったのです。その教会には、お金がありませんでしたから、広告に費用がかけられませんでした。ですから、来られている信者の方をキリストの広告塔にしようと証し人の育成に励みました。特別なことをされたわけではありません。「主にあって、いつも喜び、つねに祈り、すべてのことに感謝する」そのことがなされるよう聖霊様に導きを求めただけでした。広告は媒体を通して一過性のものですが、キリストの証し人は歩く広告塔、生きた成長し続ける広告塔であります、しかも莫大な費用がかかるわけでもございません。ですから、皆さんの献金を積み立て、より広い場所へと移られました。牧師の伝道熱心が聖霊様をつき動かしたのではございません。人間が聖霊様をコントロールできるはずもございません。聖霊様が働いて下さるところに、私たちの熱心があるのです。ですから、生涯キリストを運び続けたパウロは言うのです、「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」と。(2テモテ4:2)

さて、今朝の中心聖句を見てみましょう。「なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。」パウロの決意が語られています。『十字架につけられたキリスト以外のことは語るまい』という決意です。これは私には、「キリストに倣う」「自分の知識を見せびらかすのではなく、また自分の言葉に酔うのではなく、キリストのように謙虚になって、キリストの愛を伝える」という決意にも聞こえるのです。パウロはガラテヤ書で次のように述べています。「だれでも、りっぱでもない自分を何かりっぱでもあるかのように思うなら、自分を欺いているのです。」(6:3)そして「私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」(6:14)これは、パウロ自身を戒めている言葉です。また、最後の「この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」とは、キリストを信じる前の自分との決別宣言を意味しています。それまでは、律法を熟知し、順守してきた自分に誇りを持っていたが、今はキリストの十字架以外、つまりは、イエス・キリストを知り、キリストの愛以外に誇れるものはないし、そうでありつづけないといけないと表明しているのであります。「十字架につけられたイエス・キリストしか語らない」とは、「イエス・キリストしか誇らない」という決意表明なのです。

パウロはそのことを別の言葉で次のように表しています。「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(2コリント4:7)パウロの言う宝とは、十字架の言葉であり、救いであり、聖霊様のことです。その聖霊様が土の器であり、何の力もない私たちの中にお住まい下さり、ありがたいことに働いてくださる。その聖霊の働きが、私たちの力となり、また福音が伝わる力となっていると主張しているのです。まさに、キリストの心が私たちの内にあり、私たちの原動力となって、わたしたちを伝道へと、伝道のお手伝いへとつき動かしてくださるのです。また、キリストの広告塔としての証し人として訓練され、用いてくださるのでございます。

さて、ここでいつもなら、天国長屋の八さんと熊さんに登場していただくのですが、本日はあいにく、長屋の子どもたちのサマー・キャンプのお手伝いにと出かけております。ビデオ・メッセージが届いておりますので、ご紹介します。

八: みなさ~ん。お元気ですか。牧師さんの話、起きて聞いていますか。むずかしい話だったら、寝ててもいいですよ。

熊: なに、バカいってんだよ、八は。牧師さんに失礼じゃねぇか。俺たちゃ、きょうはそっちの礼拝にはでれねぇけど、子どもたちと楽しくやっていますよ。昨日はキャンプファイヤで、「イエス様は生きている」ってことお話しました。

八: あれは、楽しかったね。俺たちの話は滑りにすべって、みんながシーンとしちまって。どうしようと思ったら、誰かが、「幽霊より怖い滑り方だ」って言ってくれて、みんなどっと笑ってくれました。聖霊様が働いてくださって、感謝でした。その話の中で、熊がいいことを言ってましたよ。「イエス様と俺とは一心同体。俺の心はイエス様の心」だって。

熊: ああ、みんなきょとんとしてたけどな。心は独りじゃ、育たねぇんだと俺は思うんだ。俺の心と誰かの心が合わさって、育っていくんだ。昔っから、おふくろに「友達は選ばねぇといけねぇ」とよく言われたもんだ。だから、俺は、「イエス様をいちばん大事な友達として、イエス様の心に俺の心をあわせてんだ」

八: そう、その後で寸劇をしたんだ。俺がイエス様に扮して、手と手を合わし、そして腕組みして、それから肩をかついで、パントマイムで小芝居をしたまでは良かったんだ。

熊: パントマイムで、歌をうたっちゃいけねぇことが、あんときよく分かった。

八: 音楽も声もないんだから、だれも何歌ってんだか分からねぇ。

熊: ということで、しくじりながらでも、こっちは楽しくやってま~す。また来週おあいしましょう。

八: 今週も暑いから、熱中症にならないようにね。牧師さん、みんなを眠らせないでねぇ。

八さん、熊さん、元気そうで何よりでした。熊さんのこどばが、今朝の私のメッセージでいちばん言いたいことでした。感謝です。「イエス様と俺とは一心同体。俺の心はイエス様の心」。私たちは、イエス様に、信仰を通して、接ぎ木され、いわば一心同体でございます。ですから、じょじょにキリストに倣う者とさせていただけるのです。そして、キリストの心は聖霊様のことでもありますが、熊さんの言葉をかりて、「キリストの心はわたしの心」と言えるようにさせていただきましょう。主イエス・キリストをお伝えすることは、伝道プロジェクトではございません。主の証し人として、起きている時も寝ている時も、いつでも主の栄光を反映するものであるということでございます。そのためにも、いつも主を思い、主と会話していきましょう。聖書を読み、黙想してみましょう。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「キリストの心」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。皆さんの心をイエス様の心に合わせてみてください。そうするともっと、イエス様のことが、イエス様が私たちに何を望んでおられるかということがわかるのではないでしょうか。

黙想の前に、ヨハネの福音書14章17-18a節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。」

(3分間黙想)In His Time

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「キリストの心」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。日々の生活の中において、私たちが常に、私たちの心を主イエス・キリストの心におき、主に倣う者に造り変えてください。

この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌172「望みも消え行くまでに」

賛美: 今月のワーシップソング「静まって知れ Still」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

In His Time

In His time, in His time

He makes all things beautiful In His time

Lord, please show me ev’ryday As You’re teaching me your way,

That you do just what you say In your time.

In Your time, in Your time

You make all things beautiful In Your time

Lord my life to You I bring May each song I have to sing

Be to You a lovely thing In your time.

今月のワーシップソング「静まって知れ Still」♬

御翼の 陰に隠し 力ある 御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

キリストの 中に憩い 信頼と 主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。