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メッセージ主題:『すべての栄光を主に帰する』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第一』

2019時年8月11日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌209「慈しみ深き」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「主を仰ぎ見て」

交読: 交読文21:詩篇 第62篇:新聖歌p.895-896

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌182「ただ信ぜよ」

聖書拝読:コリント人への手紙第一4章7節(新改訳聖書)

中心聖句:

「いったいだれが、あなたをすぐれた者と認めるのですか。あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。」(7)

メッセージ主題:『すべての栄光を主に帰する』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『教会は神の神殿』と題しまして、お話をさせていただきました。

第一コリント書第3章では、2章で強調・導入された、「キリストの心」によって、教会として、神の神殿として「ひとつ」にならないといけないと、パウロは警告いたします。教会の中で、指導者たちとその取り巻きを中心にして、分派が起きてしまい、神の神殿が弱体化し壊れることのないようにと、パウロは説きます。この3章では、神の神殿を弱体化させる要因と神の神殿の基盤の再確認が行なわれています。先週は、「神の神殿」ということをいっしょに考えさせていただきまました。

今朝は、『すべての栄光を主に帰する』と題しまして、お話をさせていただきます。

第一コリント書第4章では、教会の高ぶりが描かれています。これは、教会が成長し、人数が多くなると、必ずといってもいいぐらい教会内で「高ぶり」が生じます。「高ぶり」は、神を恐れない思いあがりであり、ゆえに、主に栄光を帰さない、主に感謝をささげない心のことであります。今朝は、私たちの陥りやすい「高ぶり」について考えさせていただきましょう。

短くお祈りいたします。(祈り)

コリントの教会は成長過程にありました。教会の人数が多くなってきていることは、「リバイバルが起きた」として、喜ばしいことでもあります。しかし、そこには大きな深い落とし穴があるのです。それは、牧師やリーダーや信徒ががんばったからであると思い上がってしまうことです。事実、教会の人数が増えだすと、雪だるま式に増えていくことがあります。あたかも、詩篇の1篇3節の中にある「その人は、何をしても栄える」という御言葉が成就しているかのように、何をしても人が集まって来て、主が教会を祝福してくださっていると思うのであります。事実、主はそのようにして祝福されるのであります。しかし、主はそこで、私たちを試されていたのです。「いけいけドンドン」「モテ期がきた~」という浮かれた状態の中で。

皆様の記憶にも新しい、バブルの時代。まさに、「イケイケドンドン」の時期でした。長年住んだ家が、中古物件にもかかわらず、買った当時の値段より、はるか高く売れてしまう。常識では考えられないようなことが起きました。好景気ゆえ、新入社員を確保するために、まるでお客様のように新入社員がチヤホヤされたり。「イケイケドンドン」夢の世界でした。しかし、異常に膨れ上がった見せかけの景気は、風船が破裂するように、一気にはじけていきます。後に残ったのは、職を失い、財産を失い、路頭に迷う、借金に苦しむ多くの人々でした。この時、路上生活者もいっきに増えてしまったそうです。人間は弱い。見せかけの好景気に自分を見失ったのであります。

コリント教会もそうでした。急成長をするにつれ、数名のリーダーが現われ、それが分派となり、キリストのからだが一つではなくなってしまったのです。それだけではありません。もっとひどい症状として、神を神としてあがめなくなってしまったのです。「何をしても栄える」のは、自分が頑張っているからだ、自分が偉いからだと思い上がってしまいました。もちろん、教会成長が悪いわけでもありませんし、リーダー育成は必要です。それ自体が悪いわけではありません。自分を誇ってしまったことに問題があるのです。

パウロは、宣教の賜物は、主からいただいたものではなかったのか、主が今の教会の成長を支えてくださっているのではないのかと訴えます。神を恐れず、自らを誇ってしまう、それが人間の弱さです。それが、悲しいことに、平然と、クリスチャンの教会で起こってしまうのです。コリント教会だけでなく、現代の教会でも起こりうることですし、実際に起こっています。

では、どうすればいいのでしょうか。パウロは苦肉の策として、4章16節の言葉を残します。「ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。」パウロは「私に見倣え」と思い上がっているのではありません。パウロは自分が完璧でないこととはじゅうじゅう分かっていました。4節に「私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。」と述べていますように、「少なくとも、人に後ろ指をさされるようなことは行なっていない」というだけで、「罪人である」ことには変わらないと言うのです。事実、パウロは、自らを「罪人のかしら」(1テモテ1:15)と表現しています。パウロの言う「罪人のかしら」とは、「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世にこられた」という言葉を裏打ちするために表現したものです。クリスチャンを取り締まり、イエス・キリストを迫害した、罪深いサウロ時代のパウロでさえ、救われるのだから、他の人は皆救われるべきだと主張しました。その罪人のかしらであるパウロが、「私に見倣え」とは、自らを高ぶって言っているのではなく、イエス様の命の言葉を伝える者として、イエス様がいらっしゃらない今、不肖の私だが、私を通して、イエス様を見てほしいという願いからでた言葉なのです。

では、現代の教会において「私に見倣え」と言っているリーダーがいてもおかしくないはずです。しかし、現代ではそのようなリーダーはいません。いえ、いるべきではありません。いたとすれば、その教会は異端扱いとなるでしょう。では、なぜ、パウロは言えて、今は言えないのでしょうか。それは、今の私たちには、旧約聖書とともに新約聖書があるからです。パウロがこのコリントの教会に手紙を送った55年56年ごろ、福音書はありませんでした。かろうじて、マルコの福音書が編纂途中だったかもしれません。しかし、新約聖書はまだ出現していませんでしたので、イエス様の言葉や行動は口頭で伝えられていたに過ぎません。この時代、つまりイエス様が復活し天に上げられてから、約20年以上経って、イエス様のことを実際に知っている弟子たちが老齢化してきていて、イエス様の教えをきちんと文字にして残さないといけないという危機感と主の導きがあり、福音書がつづられ、新約聖書編纂が起こされたのです。ですから、パウロは「私に見倣って下さい」と言わざるを得なかったのです。今、私たちは、聖書を通して、「イエス様に見倣う」ことを学べばよいのです。また、何をどう学ぶのかも、内なる聖霊様が教えてくださるのです。私たちは、本当に恵まれた時代にいることを感謝すべきです。

ところで、パウロが「私に見倣え」と言わざるをえないほどに、コリント教会は、分裂の危機にあり、主が見えなくなっていました。教会の人数が増え、「私たちが働いたからだ、努力して宣教したからだ」と自分や自らの業を誇ってしまっていました。また、グループ間で、競い合ってしまっていました。パウロが手紙の中でしたためた「誇る者は、主にあって誇りなさい」(2コリント10:17)つまり、「主を誇りなさい、主に栄光をお返ししなさい、感謝をささげ、主をほめたたえなさい」という言葉は、むなしく響いてしまっていただけかもしれません。パウロは手紙に、「私があなたのところへ行くことはあるまいと、思い上がっている人たちがいます」(18)「あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きましょうか。それとも愛と優しい心で行きましょうか」(21)としたためるぐらいに、彼らは、主イエス様をないがしろにし、神を恐れてはいませんでした。

私たちはどうでしょう。私たちも、昔の人と変わらず、自らに弱いものです。科学は進歩してきていますが、人間の中身は一向に変わってはいません。自らを誇り、自らの業を誇りやすいものです。どうしても「何かを誇りたい」生き物なのです。「誇るな」と言っても無理ならば、「神様と神様の御業を誇れば」いいのです。「神様に栄光をお返しすれば」いいのです。そうは、思いませんか、天国長屋の八さん、熊さん。

八: お、来なすったね。「神様に栄光を帰するとかお返しする」っていうのは、分かりにくいやねぇ。どうおもう、熊さん。

熊: そうさなぁ、この前もおなじことを、お鈴婆さんに、聞かれたよ。「あたしゃ、長年、イエス様信じてるけど、あの『神様に栄光を帰する』っていうのは、分かりにくいねぇ。熊さんだったら、どうするよ。」って。

八: で、熊はどう答えたんだよ。

熊: おりゃ、それは、「神様に感謝する」ことだって言ってやったよ。

八: で、お鈴婆さん、なんて言ってた。

熊: 「なるほどねぇ、じゃあ、あたしの好きな聖句、『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。』(1テサロニケ5:16-18)でいいんだね。」って言うから、「そうだよ、十分だよ」って言ってやったよ。

八: はは~ん、そうなんだ。感謝するだけでいいんだ。でも、あのテサロニケの御言葉はなかなかできるこっちゃねぇよな。「いつも喜び、絶えず祈り、全てに感謝」なんてさ。

熊: まあ、簡単じゃねぇはな。けどよ、あれには順番があるんだ。まあ、コツとも言えるかもしれないけどよ。

八: その御言葉のコツってどういうこったい。

熊: 横丁のご隠居がいうのにはよ、「『喜んで、祈って、感謝する』と思うから難しいんだ」よと。「反対に考えてごらん」って。つまり、「感謝して、祈って、喜ぶ」んだと。

八: 「感謝して、祈って、喜ぶ」ねぇ。

熊: 「神様ありがとう」って言って、神様と会話すると、自然と嬉しくなるんだとよ。

八: なるほどねぇ、祈った後は、肩の荷が下りるっていうか、気持ちがすっきりするっていうか、悩みが消えて行くっていうか、そんなことがあるなぁ。つまり、喜んでいることになるかもしれねぇな。

熊: 俺もよ、辛いときに喜ぶっていうのは、自分に嘘ついているようで、しっくり来なかったんだ。でも、辛い時や悲しい時でも、「神様ありがとうございます」って口に出せば、それ自体が神様との会話で、そして気持ちが軽くなる。またありがてぇなぁって思うんだ。

八: 感謝・祈り・喜びの連鎖反応っていうわけだ。

熊: それが、「神様に栄光をお返しする」っていうことになるんじゃねえかと、俺は、思うんだ。

八: じゃあ、「主を誇る」っていうのはどうなんだい。

熊: さっき、牧師さんが言ってたじゃねぇか。「主と主の御業を自慢すること」って。

八: ああ、俺たちゃ、よく自慢したがるよな。自慢するってことは、そこにそいつのお宝があるってことだ。

熊: そう、骨董が自慢のやつは骨董が宝だ。自分所のカミさんが自慢なら、カミさんが宝だ。俺みてぇに、大工は腕が自慢だ。また、手入れしている道具も自慢だな。だから道具は宝だ。

八: でも、この世の宝はなんか虚しいな。天国に持って行くこともできねぇし。

熊: だから、イエス様は「あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。」(マタイ19:21)とおっしゃるんだ。「天に宝を積む」ってことは、「天に心を置く、天を目指す、」っていうことだ。

八: つまりは、「まず神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)結局、「イエス様を信じなさい」ってことなんだ。

熊: イエス様が俺たちの宝であり命なんだよ。だから、俺たちはイエス様を自慢し、イエス様を誇りに思わなくっちゃいけねぇ。「誇る者は主を誇れ」(口語訳)と言われるんだよ。

八: 牧師さん、こんなところでいいすか。

ありがとう、八さん、熊さん。お二人の言うとおり、「主に栄光をお返しする、主に栄光を帰する」と言うことは、簡単に言うと、「主に感謝する」ということですね。そして、その主に感謝が祈りを導き、喜びを生む。本当にそうだと思います。横丁のご隠居さんに「ありがとう」って言っといてください。そして、私たちの誇るべきは主であること、自慢したいなら愛する主を自慢するようにしましょう。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「すべての栄光を主に帰する」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。主に感謝をささげ、主の御名をほめたたえる毎日とさせてくださるよう祈りましょう。

黙想の前に、ヨハネの福音書7章18節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。」

(3分間黙想)El Shaddai

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「すべての栄光を主に帰する」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちが、常に主に感謝し、祈り、喜ぶことで、主に栄光をお返ししていることになりますから、ありがとうございます。

この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌254「心にあるこの安きを」

賛美: 今月のワーシップソング「主を仰ぎ見て」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

El Shaddai

https://www.youtube.com/watch?v=6-7v6dqxeFs

今月のワーシップソング「主を仰ぎ見て」♬

主を仰ぎ見て 力を得よ

主は我が力 我が盾

主を仰ぎ見て 光を得よ

主が全てを 成し遂げられる

私にせまるどんな山も

越える力 与えてください

私が恐れず ただ主を信じ

進むことができるように

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。