メッセージ主題:『キリストの香りを放つ』

大阪エイムキリスト教会 火曜日リバイバル集会 2019.8.20

メッセージを担当させていただきました。

聖句:コリント人への手紙第二2章14-16節(新改訳聖書2017)

「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちをキリストによる凱旋の行列に加え、私たちを通してキリストを知る知識の香りを、いたるところで放ってくださいます。」(14)

「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神に献げられた芳しいキリストの香りなのです。」(15)

「滅びる人々にとっては、死から出て死に至らせる香りであり、救われる人々にとっては、いのちから出ていのちに至らせる香りです。このような務めにふさわしい人は、いったいだれでしょうか。」(16)

メッセージ主題:『キリストの香りを放つ』

【メモ】

(15)→1コリント1:18「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」

→エレミヤ15:16a「私はあなたのみことばが見つかったとき、それを食べました。そうして、あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。」

「かおり」は「よいにおい」、「(芸術品などの)何となく感じられるよい感じ、気品」。

「香り立つ」とか「文化の香りが高い」とか

「香り」は「匂い」とは違います。

●物によって表現が異なります。

「花」香り、「食べ物」匂い、焼肉とか焼き魚の匂いは「芳しいにおい」

●英語では、

「香り」fragrance、 プラスのイメージしかありません。

「匂い」smell、プラスもあればマイナスのイメージがありますが、マイナスの方が多い。

もう一つの英語 aroma があります。アロマ・オイル、アロマ・セラピー、「癒し」が伴う。

●英語の聖書(NIV)での「かおり」はどうでしょうか。

Smell

伝道の書 「死んだハエは、調香師の香油を臭くし」

Fragrance

出エジプト記30:38 「お香(こう)のかおり」

ヨハネ12:3 「ナルドの香油のかおり」

エペソ5:2 「芳ばしい香り」自らを神へのささげ物

ピリピ4:18 「芳ばしい香り」霊的な実

Aroma 

創世記8:21 「芳ばしい香り」全焼のささげ物 (贖い→癒し)

出エジプト記29:18 「芳ばしい香り」全焼のささげ物 (贖い→癒し)

レビ記3:16 「芳ばしい香り」全焼のささげ物、脂肪の焼けるにおい (贖い→癒し)

●このコリント人への手紙第二2章14-16節では、「香り」としか表現できていません。

14節の「キリストを知る知識の香り」の時の香りは、fragrance 

15節の「芳しいキリストの香り」の時の香りは、the aroma of Christ

16節の「滅びる人々にとっては、死から出て死に至らせる香り」の時の香りは、the smell of death

「救われる人々にとっては、いのちから出ていのちの至らせる香り」の時の香りは、the fragrance of life

●私たちはよく「キリストのかおり」を放つようにと祈ることがあります。

16節で、「救われる人々にとっては、いのちから出ていのちに至らせる香り」そのような香りはどのようにすれば、キリストの香りを放つことができるのでしょうか。

「バラの香りのエキス」を飲めば、体からバラの香りがするそうです。

「ニンニク」を食べるとニンニクの匂いが、カレーを食べると「カレー」の匂いがします。

また、私なんかカレー好きですから、もうカレーを食べなくても「カレー」の匂いが、

あ、失礼、これは「加齢臭」でした。

兎に角、食べて消化したものによって、私たちから匂いがでてくる。

では、全焼のささげ物である、脂肪や肉を焼いた時のにおいが、「芳しい香り」であるとしたら、私たちは、焼肉やホルモン焼を食べれば、「キリストのかおり」を放つことができるのでしょうか。ありえません。

私たちが、主に対していけにえを差し出すことで、「キリストのかおり」を放つことが出来るのかも知れません。しかし、、、、

詩篇51:16-17

「まことに、私が供えても、あなたはいけにえを喜ばれず、全焼のささげ物を望まれません。神へのいけにえは、砕かれた霊。打たれ、砕かれた心。神よ、あなたはそれを蔑まれません。」 「砕かれた心」とは「悔い改めた心」。

神は形式的な全焼のささげ物をよろこばれない。悔いた心を喜ばれる。では、これが「キリストのかおり」なのでしょうか。悔い改めた心もいけにえであり、神への芳しい香りであります。

ヘブル13:15

「それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。」賛美をささげることで、キリストの香りを放つことにもなる。

エペソ5:1-2

「ですから、愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、芳しい香りを献げてくださいました。」

神に倣うこと「キリストのかおり」を放つことにもなる。

1コリント10:2-4

「そしてみな、雲の中と海の中で、モーセにつくバプテスマを受け、みな、同じ霊的な食べ物を食べ、みな、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らについて来た霊的な岩から飲んだのです。その岩とはキリストです。」

つまりキリストを食べ、キリストを飲む、という行為によって、「キリストのかおり」を放つ者となる。キリストを食べ、キリストを飲む、これは聖餐である。

「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」「みな、この杯から飲みなさい。これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。」(マタイ26:26-28)

●イエス様が私たちに望まれることをすることが、キリストに倣うことにも、「キリストのかおり」を放つことにもなるのではないか。例えば、、、、

イエス様からのいましめ

ヨハネ13:34

「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」→ヨハネ15:12

神が望んでおられること

1テサロニケ5:16-18

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

今回あげた御言葉だけでなく、もっとたくさん、あるはずです。でも、たくさんなくていいのです。たった一つの御言葉を徹底して守れば、それが、あなたらしい、「キリストの香り」を放つのです。あなたが、食べて反芻して消化した御言葉が、あなたの「キリストの香り」なのです。

エレミヤ15:16a「私はあなたのみことばが見つかったとき、それを食べました。そうして、あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。」