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メッセージ主題:『神の栄光を現わす』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第一』

2019時年8月25日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌297「神はわが力」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「主を仰ぎ見て」

交読: 交読文23:詩篇 第66篇:新聖歌p.897-898

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌170「マジェスティ」

聖書拝読:コリント人への手紙第一6章14-20節(新改訳聖書)

中心聖句:

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」(19-20)

メッセージ主題:『神の栄光を現わす』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『パン種』と題しまして、お話をさせていただきました。

第一コリント第5章でも、教会内での「高ぶり」「高慢」のことが語られています。とくに、教会内での不道徳な人々との交際をしないようにと説かれています。それだけ、当時のコリント教会では不道徳がはびこっていたのか、いいえ、そうではなくて、数名の不道徳者がいて、その人々が教会全体に影響をもたらしているとパウロは述べています。その不道徳者をパン種と比喩しているのです。また、私たちの内にも、「パン種」が潜んでいることも示唆しています。

先週は、その「パン種」のことについて、学ばせていただきました。

今朝は、『神の栄光を現わす』と題しまして、お話をさせていただきます。

第一コリント第6章では、教会内でのもめ事を教会外の人に判断をあおごうとするぐらい、教会の自浄作用が効かなくなってしまっている状態を表わしていて、パウロはそのことをとても憂(うれ)えています。キリスト者は、主イエス・キリストの御名と創造の神の御霊によって、すでに洗礼をうけ、聖なる者とされ、義と認められた者であると、パウロは訴えます。「キリストにあって聖なる者」とは、「主と交わった一つ霊の者」であり、「聖霊が内に住み給う聖霊の宮」であるのだから、自分のからだをもって、神の栄光を現しなさいと説いています。今朝は、「聖霊の宮」として「神の栄光を現わす」ことについて、主から学ばせていただきます。

短くお祈りいたします。(祈り)

先程も申しましたが、この6章では、イエス・キリストを信じたキリスト者とは、どういう人なのかが示されています。もう一度じっくりと見てみたいと思います。

キリスト者とは:

2節→「聖徒」であり、世界をさばくようになる者(この世の終りに、キリスト者はキリストと共にこの世をさばく、さばくキリストの側につく者)

3節→御使いをもさばく者(罪を犯した御使いたち、堕落した天使たちを神はさばく、そして聖徒はさばく神の側につく者:参照2ペテロ2:4)

9節→神の国を相続する者(天の御国に永遠に住む者)

11節→主イエス・キリストの御名と神の御霊によって、洗われた聖なる者、義と認められた者(洗礼を受け、罪赦された者、罪なき者と神にみなされた者)

12節→すべてのことが許された者、どんなことにも支配されない者(主にあって自由な者、この世の掟や慣習から解放され、神の戒めを守る者、何をしても栄える者:参照詩篇1:2-3)(参照1コリント10:23-24「23自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい」)《ところがこれを勘違いしているキリスト者が、コリント教会にいて、問題児となっている》

14節→神の御力によってよみがえらされた者(新しくされた者)(参照1コリント15:22「アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです」アダムによって、死に至る罪がはいり、キリストの贖いによって、その罪が赦され、永遠の死を免れる)

15節→キリストのからだの一部としてのからだをもつ者(参照コロサイ1:18「御子はそのからだである教会のかしらです」

17節→主と交わる者、一つ霊とされる者(信仰による霊の交わりであり、一心同体となる者)(参照ヨハネ17:21-23「23わたしは彼らにおり、あなた(天の父)はわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。)

19節→聖霊が内に住み給う聖霊の宮

20節→代価を払って(キリストの血をもって)買い取られた者(贖い:参照ローマ3:23-24「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです」)、

神の栄光を現しうる者(参照ローマ12:1-2「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子をあわせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

キリスト者は、パウロの言うように、神からの栄誉を受けることができるようにされた人です。つまり、永遠のいのちを受ける約束を取りえた人、イエス・キリストがその贖い主であり、神と人間との和解をとりもつ、仲介者、仲保者であり、そのイエス様を信じる者であります。では、そのキリスト者がどのように、神の栄光を現わしうる者となるのでしょうか。それ以前に、神の栄光とはなんでしょうか。皆さんは、どう思われますか。そこの、天国長屋の八さん、熊さんはいかがですか。

八: お、今日は早い段階で、来なすったね。神の栄光ねぇ。神様の御業のことじゃねぇのかい。俺たちの神様が、「わたしは神です」ということを、俺たちが分かるようになるためには、何か目に見えるものが必要だ。だって、神様は霊だから見えねぇんだから。

熊: 確かに、神様の御業だともいえるかもな、神の栄光というのは。でもよ、神様の御業は、すべてが神様の御業でもあるんじゃねぇのかい。そうすると、忙しくてしゃねぇな。俺が、今息をして生かされているのも神様の御業、そうすると、俺は今、神様の栄光を現わしてるのかい。なんか困ったね、こんな俺で。「神様の栄光が現われる」っていうんだったら、普段は現れてねぇんだろうな。だって、俺が今息していて、「おお神様の栄光が現われているねぇ」とは、誰も言わねぇ。

八: 確かにね。今、熊に、「神の栄光が現われてる」とは、俺も気がつかねぇ。「神の栄光」って言われれば、何かまばゆい感じがしねぇか。だって、「光」だよ、「光輝いてんだよ」。俺はそういう意味で、神様の御業って、言ったんだ。

熊: やっぱり、全てが神様の御業なんだけど、「神様が神様たることを知らしめた、誰もが、あれは神様しかできねぇ」と思ったことが、神の栄光になるんじゃねぇのかなぁ。

八: つまりは、奇跡や不思議、というたぐいのものだろうね。

熊: 「神様に栄光を帰す、栄光をお返しする」という言葉があるじゃねぇか。俺は、あれば「神様の御名を賛美し、ほめたたえ、感謝する」ことだと思うんだよな。自分のしたことで褒められるのは嬉しいけど、それは神様が俺を通してなさったことだから、神様に感謝だということを、「神様に栄光を帰する」って、へりくだって言うんだと思うんだけど、どうだい、八さんは、どう思う?

八: 「神様に栄光をお返しする」か、そう言えば、サッカーで、ゴールした時に、そのゴールを奪った人が、ありゃ、カソリックの人だと思うんだけど、胸んところで、十字架をきって、上を見あげたり、首にかかっている十字架にキスしたりしてるよな。

熊: お、八、おめぇ、どさくさにまぎれて、しゃれた。「栄光を帰す」というのと「十字架にキス」って。

八: 熊、おめぇ、余裕あんなぁ。そんなこと考えてなかったよ。けどよ、あのゴール一本で、「神様に栄光をお返し」してるんだと思えば、神様に感謝をする時っていうのが、「神の栄光が現われている」時かもしれねぇな。

熊: 神様に感謝する時って、そりゃ大変だ。だって、神様は「どんなことでも感謝しなさい」っておっしゃってるじゃねぇか。そうすれば、すべてに神の栄光が現われているということになる。すべてが神様の御業だから、けっきょく、元もどもって、すべてが神の栄光となる、ってことによ。

八: あ、おれ、なんか分かってきたような気がする。さっき、牧師さんが、言ったよな。ローマ書の12章のところ。

熊: えーっと、確か、12章1節から2節だよな。読むぜ、「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子をあわせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」

八: 俺たち自身が、神の栄光を現わす器なんだよ。光を放つランプみたいなものさ。だから、パウロのだんなは、「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい」とか「心の一新によって自分を変えなさい」とか言うんだよ。俺たちがやることなすことが、また言ったりすることが、神の栄光を現わすんだ。また、現れるようにしなくちゃいけねぇんだよ。

熊: けどよ、そんなこと考えながら、生きて行けねぇぜ。窮屈でよ。神の栄光を現わさなくっちゃいけねぇって。

八: 神の栄光を現わすのは神様さ、俺たちじゃねぇ。そんなに頑張らなくてもいいのさ。熊は熊らしく、俺は俺らしくで。だから、今まで通り、すべてに感謝するようにしておけばいいのさ。熊: なるほどね。すべてに感謝して、「ありがとう神様」って言えば、神様と会話していることになって、しょっちゅう祈ってることになるし、そうすれば、いつも喜んでいることになる。いや、けど、いつも喜ぶのは難しいぜ。何も嬉しいことがないのに、喜ぶのは。

八: 以前、横丁のご隠居が言ってたじゃねぇか。喜ぶのは嬉しいのとは違うって。神様への喜びは、神様の平安だって。平安であることが、喜んでいるってことって、教わったじゃねぇか。

熊: そうだった、そうだった。それにイエス様は「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます」(ヨハネ14:27)って、ありゃ、聖霊様のことだ。だから、聖霊様が俺たちの内に住んでくださって、ずーっといらっしゃるということは、平安がずーっとあるってことだ。

八: それだから、俺たちは、聖霊の宮とされるのさ。そうなりゃ、俺たちは、神の栄光を現わす器となるんだよ。光を放つランプにされるんだ。

熊: なんか嬉しくなるねぇ、俺たちゃ、今のまんま、神様にいつも感謝しておけばいいんだ。それすりゃ、神様の栄光が現わされるって寸法か。いいねぇ、世に光を放つランプ。

八: こっちは、こっちで話はまとまりましたが、こんなもんでどうでしょう、牧師さん。

ありがとうございます。「神の栄光を現わす」というのは、私たちが努力して現わせるものではないのです。もちろん、私たちの熱心や努力の上に、主の恵みとして、神の栄光が現われることはあります。神様は24時間、休みなしに、私たちそれぞれにお働き下さっています。つまり、私たちを通して、神の栄光は24時間現わされる可能性があるわけです。なぜなら、私たちは、神の栄光が現わされるための器でり、世に光を放つランプだからです。神が人間をお造りになった時点で、神の栄光は現れていました。しかし、その初めの人間であるアダムは罪によって、その器は汚されてしまい、光を失ったランプとなってしまいました。しかし、神様はあきらめません。御子イエス様をこの世に送り出し、その十字架の血によって、私たちの罪を贖い、器を浄め、ランプに光を灯されました。私たちは、すでに、新たに、神の栄光を現わす器とされているのです。私たちは、自然体で主の御業に感謝し、主を賛美し、主の御名をほめたたえる者とさせていただいていますから感謝です。ランプの火を、聖霊を消すことのないように、私たちはいつも喜ぶ者とさせていただきしょう。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「神の栄光を現わす」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。神の栄光を現わしうる器として、常に主と会話し祈る者とさせてください。黙想の前に、マタイの福音書5章15節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」

(3分間黙想)Kadosh Adonai (Hebrew) Elisheva Shomron

 

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「神の栄光を現わす」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちが、常にあなた様の栄光を現わす器として、また光を放し続けるランプとして、私たちをお用くださいますよう、お祈りいたします。

この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌166「威光・尊厳・栄誉」

賛美: 今月のワーシップソング「主を仰ぎ見て」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

Kadosh Adonai (Hebrew) Elisheva Shomron

https://www.youtube.com/watch?v=WC1zyHnV_dM&list=RDWC1zyHnV_dM&start_radio=1

今月のワーシップソング「主を仰ぎ見て」♬

主を仰ぎ見て 力を得よ

主は我が力 我が盾

主を仰ぎ見て 光を得よ

主が全てを 成し遂げられる

私にせまるどんな山も

越える力 与えてください

私が恐れず ただ主を信じ

進むことができるように

https://www.youtube.com/watch?v=TrYpqqFIYu0

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。