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メッセージ主題:『愛ある預言』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第一』

2019時年10月20日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌316「御言葉なる」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「すべてにまさる愛」

交読: 交読文31:詩篇 第100篇:新聖歌p.904-905

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌256「御翼のもとに」

聖書拝読:コリント人への手紙第一14章1-5節(新改訳聖書)

中心聖句:

「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」(1)

メッセージ主題:『愛ある預言』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『イエス様の愛』と題しまして、お話をさせていただきました。

第一コリント第13章は、12章で説かれたいろいろな賜物があり、その上にある、賜物を活かすものがあると説かれています。それは、愛です。それもイエス様の愛です。そのイエス様の愛がなければ、12章で説かれた全ての賜物は何の意味も持ちません。この第一コリントの13章は「愛の章」と言われるのですが、この13章こそ、イエス様の愛を語っているところでございます。先週はこの13章全体を読みつつ、イエス・キリストの愛を覚えさせていただきました。

今朝は、『愛ある預言』と題しまして、お話をさせていただきます。

第一コリント第14章は、預言と異言のことについて述べられています。なぜなら、当時コリント教会での感心が極度に「異言」にあったからです。異言は、神様との天使の言葉による個人的な会話であって、個人の徳を高めるものですが、預言は、神の言葉を取り次ぐもので、教会の徳を高めるとパウロは述べています。そして、教会内での異言には消極的であり注意を払う必要があると説きます。なぜなら、異言そのものでは、通訳者がいない限り、誰一人としてその内容は分からないからです。そして、その通訳者は一人ではなく、複数の人が必要だと言われています。一方、パウロが預言の賜物を求めるように奨励しています。なぜなら、それは教会が世に働きかけをするために、時に適って必要だからです。預言は教会のかじ取りに必要であり、教会運営には欠かせないのではないかと、私は思っています。今朝は、この賜物である預言のことについて考えて見ましょう。

短くお祈りいたします。(祈り)

パウロは、コリントの教会に、「預言することを熱心に求めなさい」と告げました。教会を良い方向へと導く人々が、教会には必要です。現代の教会の牧師や信徒代表、執事や役員といった方々に預言の賜物が与えられているはずです。特に牧師は礼拝で、神の通り良き管として、御言葉を語り、神の預言者としての側面があるはずでありますが、正直、私の場合に限って言えば、私は、預言の賜物を求めていますが、それが今、旧約時代のような預言の賜物が備わっているのかどうかは分かりません。神の意志と言葉を語っているかと問われれば、そのように願い祈っていますとしか答えられません。預言の賜物をいただいていますとは、はっきりと宣言できない弱い自分がいます。

旧約聖書時代において、預言者と祭司とは異なりました。祭司は、律法に基づいた儀式を中心とし、預言者は、そのような儀式からは自由であり、神の言葉を求め伝えることに専念しています。しかし、イエス・キリストが十字架上で死んだ瞬間、神殿の聖所と至聖所を分けていた垂れ幕が、上から下に裂けました。それまでは、垂れ幕の奥にある至聖所に入り神とまみえることができたのは、大祭司だけでした。しかも、年に一度だけ。しかし、神殿の垂れ幕が裂け、すべての信者が真の大祭司であるイエス・キリストを通して、神の臨在の前に出ることができるようになりました。そして、イエス・キリストを信じれば、聖霊が心に降り、そのまま心にとどまります。その時点で、私たちはイエス・キリストを通して、神の子とされ、神を「アバ父」と呼べる関係に入ります。ですから、新約時代においては、地上的な祭司は必要ではなくなりました。

確かに、新約時代、キリスト教においては、旧約時代のような祭司職はなくなりましたが、人間はどうしても律法的になりやすい生き物です。徐々に、ユダヤ教の祭司と同じように、儀式に専念し、礼拝においても儀式が優先されるようになってしまいました。それを憂えて、宗教改革を起こしたのがマーチン・ルターでした。今から約500年前のことです。彼によって、プロテスタントという派が生まれました。ルターは「万人祭司」を主張しています。キリストを信じる者には、全員特権が与えられている、それは、イエス・キリストを通して大胆に神の御前に出ることができるという特権です。生き方や生きざまを通し、言葉を通して、神に喜ばれる霊のいけにえを捧げるということ、そして、自分で聖書を読み、解釈する権利が与えられています。聖書を解釈する特権は、特定の教会や教派に属しているのではなく、信じる者、個人個人に与えられています。しかし、権利は義務をともなうということを忘れてはいけません。聖書を毎日読み、より深く理解することによって、神の御心を知ることが極めて重要なのです。ルカは次のような人たちを使徒の働きで記録しています。「ここのユダヤ人(ベレヤの人々)は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。そのため、彼らのうちの多くの者が信仰にはいった」(17:11-12)このようにベレヤの人たちは、聖書を熱心に読み、救い主を知ることになったのです。

私たちは大胆に神に親しみをもって近づける権利をもっていますが、その権利を行使する時に、聖書を熱心に読むという義務をベレヤの人々のように果たしているでしょうか。私たちは本当に霊的な祭司でしょうか。

使徒ペテロも第一の手紙の中で次のように述べています。「あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、神の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」(2:3-5)「神に喜ばれる霊のいけにえ」とは、先程も申しましたが、キリスト者としての生き方であり、生きざまであり、愛ある行ないであり、証しであり、讃美と祈りであります。

私たちは、霊的な祭司として、神に喜ばれる霊のいけにえをささげているでしょうか。

私たちが、もしも、マーチン・ルターの言うように、全員が霊的な祭司であるなら、預言者ともなりうるはずです。もちろん、旧約聖書時代の預言者のイメージではなく、神の言葉を取り次ぎ、教会を良い方向へと向け進めるための賜物をもっている方としてであります。牧師や役員や執事だけが預言者でしょうか。パウロは、コリント教会の人々に言います。「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」

私は預言の賜物がいただける大前提として、私たちが霊的な祭司でないといけないような気がします。聖書を熱心に読み、神に喜ばれる霊のいけにえをささげ、大胆に御座に近づこうではありませんか。

さて、天国長屋の八さん、熊さん、あなたたちは、預言の賜物をほしいと思われますか。

――――――――――

八: 預言の賜物ねぇ。くれるって言うんなら、いただくけど、、、求めるかっていうと、そうじゃねぇな。なんか、牧師さんの熱心に水を差すようだけど。

熊: おい、八。教会を良くするための賜物なんだぜ。もらっておこうよ。

八: いや、預言者なんて、俺のキャラじゃ、ねぇよ。それに、預言者はいわば、みんなの嫌われ者だ。なんせ、苦言をていするんだから。そしてろくな死に方をしねえ。

熊: 八、おめぇ、バプテスマのヨハネのような預言者を想像してねぇか。本当のことを言ったから、牢に入れられ、あげくのはてに斬首された。

八: バプテスマのヨハネに限ったことじゃねぇ。旧約聖書のバビロン捕囚前後に出てきた預言者たちも、みんな、あわれな最後だったそうじゃぁねぇか。おれは、布団の上で死にてぇよ。

熊: どのようにして、神様が俺たちの命をとりあげなさるのか、そんなことは誰にも分からねぇ。けどよ、どんな死に方にしても、ありあまるぐらいの祝福があるんだよ。だって、イエス様が俺たちのかわりに十字架にかかってくださった。俺たちの罪は帳消しにされた。借金の借用書が破かれたみてぇによ、「おめぇの罪はもうゆるされた」って言って下さったんだ。ありがてぇじゃあねぇか。そんな恐れ多い祝福をいただいているんだ。それに、死んだら天国だ。天のお父様にあえるんだぜ。

八: たしかに、そうかも知らねぇ。けど、なにも預言者でなくても、天国にはいける。もう俺たちゃ、イエス様を信じたんだから。だから、なにもわざわざ辛い目にあわなくてもいいじゃぁねぇか。それに、預言者の食事も、お粗末だぜぇ。イナゴに野蜜生活だ。俺は、虫は食いたかねぇ。服装も、貧相だ。あれじゃあ、臭くていけねぇ。誰からも相手にされないのも当然さ。

熊: 仕方がねぇなぁ。どうしても、八は預言者のイメージが、荒野で人里離れて暮らしている修行僧のイメージなんだよな。でも、パウロのだんなは、そんな修行僧になれって、一言も言ってないぜ。ただ、預言の賜物を熱心に求めよって言ってんだ。

八: じゃあ、聞くがよ。熊の、預言者っていうイメージはどんなんだい。

熊: そうさなぁ。ベレヤの人たちのように、熱心に聖書を読んで、イエス様のことをもっと深く知ろうとして、知れば知るほど喜んでいる人って感じかな。だから、普通に仕事もし、普通に生活もしているのさ。

八: じゃあ、今の俺たちと変わんねぇじゃぁねぇか。

熊: そうだよ。変わらねぇよ。でも、預言者のイメージは、「自分を律する」っていうか、できるだけ「欲」から遠ざかろうってしている感じはするな。

八: 「欲」ねぇ。でも、「自分を律する」っていうのは、律法的じゃぁねぇのか。

熊: そうじゃ、ねぇよ。「主にあって自分を律する」のさ。修行をする、というよりは、「イエス様だったら、どうなさるか」ってことを、いつも考えながら行動するんだ。イエス様は欲のない方だった、私利私欲から遠いお方だったからな。

八: なるほどねぇ。じゃぁ、預言の賜物っていうのは、平たく言えば、「イエス様に倣うこと」「イエス様だったら、どうなさるか」ってことをいつも思えるってことかい。

熊: そうさ。そうだと俺は思うよ。だから、みんなが預言の賜物をいただくことができるんだ。特別に修行をした人だけがもらえるものじゃあねぇんだよ。教会で、みんなが預言の賜物をもらってみろ、意見の一致もスムーズさ。なにせ、みんながひとりのイエス様を見あげて、イエス様だったらこうなさるだろうと思って意見をだし、教会を整えていくんだから。

八: そうか。だからパウロのだんなは、「預言をする者は教会の徳を高める」(14:4)って言ってたんだ。なるほどねぇ。牧師さんの言ってた、ベレヤの人ねぇ。、、、おらぁ、やっと、イナゴと野蜜の生活から離れられるような気がするよ。

――――――――――

八さんの預言者のイメージが変わって良かったです。私たちは全員、霊的な祭司にもなれ、預言者にもなれるのです。さっき、熊さんが言って下さったように、「イエス様に倣う」こと「倣おうとする」ことが大切なのです。祭司だから預言者だから、偉いわけではありません。なぜなら、「イエス様は寛容であり、親切です。また人をねたみません。イエス様は自慢せず、高慢になりません。イエス様は礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。イエス様はすべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」そのような大祭司であり大預言者であるイエス様に、私たちは倣おうとするのですから。ですから、忘れてはいけないのは、パウロが言うように、まず「愛を追い求めなさい」ということです。そして、「御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」と励ますのです。また、パウロも自戒をこめて、言います。「たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。」(13:2)御霊の賜物である預言は、愛をもって成就するのです。逆に言えば、預言は神の愛を成就するためにあるのです。

私たちは、熱心に預言の賜物を求めましょう。そして、父なる神を愛し、イエス様を愛し、人を愛することを大いに学びましょう、イエス様に倣う者として。預言者が神に仕えているように、私たちも主に仕え、また、お互いに仕え合いましょう。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「愛ある預言」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。すべては、「イエス様に倣う」ことに集約でき、御霊の賜物である預言も、神様の愛を成就させるものでありました。

黙想の前に、マルコの福音書10章45節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

(3分間黙想)The Lord Bless You And Keep You (Aaronic Blessing)

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「愛ある預言」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちが、常に主を見あげ、よく聖書を読み、よく祈り、言葉においても行動においてもイエス様に倣う者とさせてください。神と人を愛するための預言をお与え下さい。

この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌143「いとも尊き」

賛美: 今月のワーシップソング「すべてにまさる愛」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

The Lord Bless You And Keep You (Aaronic Blessing)

https://www.youtube.com/watch?v=x-eHCxMM3PI&list=RDXIk0_WWIvU8&index=6

今月のワーシップソング「すべてにまさる愛」♬

すべてにまさる

すべてにまさる

すべてにまさる

あなたのあい

https://www.youtube.com/watch?v=8_-BaA1zLyw

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。