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メッセージ主題:『すべてに愛をもって』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第一』

2019時年11月3日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌350「主の恵み語るは楽し」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「御腕に抱いて」

交読: 交読文33:詩篇 第104篇:新聖歌p.906-907

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌236「あだに世をば過ごし」

聖書拝読:コリント人への手紙第一16章13-14節(新改訳聖書)

中心聖句:

「目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。いっさいのことを愛をもって行ないなさい。」(13-14)

メッセージ主題:『すべてに愛をもって』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『御霊のからだ』と題しまして、お話をさせていただきました。

第一コリント第15章は、おもに死者の復活と復活の体のことが記されています。キリストは死を克服し復活されました、それも新しい体でです。パウロはこの章で、キリストが復活されたことを信じなければ、キリストを信じることはむなしいと訴えます。死者の中からよみがえって、永遠のいのちを得、それにふさわしい体を持つようになります。それは、御霊のからだでもあります。地上での肉のからだではなく、天上での御霊のからだなのです。先週は死からの復活とその復活後の永遠のいのちをもつからだのことについて思いをめぐらさせていただきました。

今朝は、『すべてに愛をもって』と題しまして、お話をさせていただきます。

第一コリント第16章は、この手紙の最後の章で、エルサレムへの献金のこと、パウロのコリント訪問の予定、勧告と手紙の最後のあいさつとからなっています。今朝はそのなかの勧告を取り上げます。勧告は、このコリント人への手紙の総まとめのようなものです。しかし、ここでも愛が強調されています。また22節では、パウロが自らの手で、きびしいことを告げています。「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。」これは、パウロ風の「主を愛しなさい。主にしっかりととどまっていなさい。主の日は近いのだから」と励ましているのであります。今朝は、この13節14節を中心に主に語っていただきましょう。

短くお祈りいたします。(祈り)

13節14節の御言葉「目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。男らしく、強くありなさい。いっさいのことを愛をもって行ないなさい。」を一つずつ見ていきたいと思います。

「目を覚ましていなさい」

「目を覚ましていなさい」という言葉で、すぐに思い起こされるのは、ゲッセマネで祈りに集中していたイエス様の弟子たちに対する注意ではないでしょうか。「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」(マタイ26:41)この時の弱さとは、誘惑や雑念や不安や睡魔だったでしょう。しかし、弟子たちは寝入ってしまいました。また、イエス様は、主の日に備えて、「目を覚ましていなさい」とも告げています。短い箇所で3回も注意しています。「気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。」(マルコ13:33)「だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。」(35)「わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。」(37)しかし、パウロはここで、コリント人の信徒に告げたかったのは、イエス様から目を離すようなこと、イエス様の福音をだいなしにするような、霊的な敵、巧妙な間違った教え、無知からくる高ぶりなのであります。そのようなものを用心し、関わらないようにしなさいと勧告するのであります。目を光らせて、間違った教えを排除し、人ではなくイエス様だけを見つめるようにせよと説くのであります。

「堅く信仰に立ちなさい」

固い信仰の基盤の上にしっかり立つことです。それはパウロから教えられた福音信仰に立つことであります。パウロがこの手紙の15章で次のように述べています。「もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりとたもっていれば、その福音によって救われるのです。私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパ(ペテロ)に現われ、それから十二弟子に現われたことです。」(2-5)この事を信じ、ぶれてはいけないと注意するのです。それは、イエス様がたとえられた「まかれた種」のようなものです。イエス様はおっしゃいます。「別の種は良い地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ」(ルカ8:8)「良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実をむすばせるのです。」(8:12)「堅く信仰に立つ」ということは、神のことばを聞いて行ない、百倍の実を結ぶことでもあるのです。ですから、もうお分かりのように「堅く信仰に立つ」とは、受け身的な信仰ではなく、能動的で、前向きな、ポジティブな信仰なのです

「男らしく、強くありなさい。」

これが語られた時代は、男性社会中心でありましたから、「男らしく」という表現は仕方ありませんが、「強くありなさい」とは、詩篇の31篇に詠まれていることと同じです。23節24節をお読みいたします。「すべて、主の聖徒たちよ。主を愛しまつれ。主は誠実な者を保たれるが、高ぶる者には、きびしく報いをされる。雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。」あらゆる問題に対して、逃げ腰になるのではなく、正面切ってその問題に誠実に対処せよ、主がそのような人を守り支えられるのだからと、神はおっしゃるのであります。イザヤ書でもそのように詠っております。「弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。心騒ぐ者たちに言え。『強くあれ。恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐(報い)が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。』」心配することはない、あなたの敵はわたしが裁く。わたしはあなたを救う神である、とおっしゃるのであります。また、神は、言い放しで突き放す方ではありません。神は寄り添って下さるお方です。モーセを見てください。及び腰で気弱になっているモーセに、神は次のようにおっしゃいました。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。、、、わたしは、あなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出す時、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」(出エジプト記3:6&12)全地全能の神が、共にいるとおっしゃってくださるのです。これほどの祝福がこれほどの励ましがこれほどの安心があるでしょうか。「強くありなさい」とおっしゃる神ご自身が私たちを守り、敵を寄せつけないのです。

また、私たちイエス・キリストを信じる者には、全員、聖霊様が心に宿っておられます。私たちは強くありません。いえ、どうあがいても強くなれないのです。ですから、父なる神はわたしたちに聖霊様という「強い味方」をお付け下さったのです。私たちは、聖霊様に、主に、天なる父により頼んで、お力をお借りすればいいのです。パウロはそのことを、次のように表しています。「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(2コリント12:9-10)「弱いときにこそ、強い」 主が「雄々しく強くありなさい」とおっしゃる時は、「わたしを信頼し、わたしにより頼みなさい」とおっしゃってくださるのです。

「いっさいのことを愛をもって行ないなさい」

ここでも分かるように、愛は、その行ないによって、裏打ちされるのです。互いに忍び合い、互いに赦し合うことは尊いことですが、パウロはそれらすべての上に、「愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」(コロサイ3:14)と説きます。また全てにおいて「愛がないなら、何の値打ちもありません」(1コリント13:2)とも説きます。では、私たちの本当の愛、誠実な愛はどこから生まれ出て来るのでしょうか。パウロは「私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ5:5)と言います。つまり、聖霊様の宿る私たちの心には愛が満ちあふれて来るはずなのであります。なにせ、聖霊様は、いわば愛の泉なのでありますから。私たちが、真に、神に屈服し、聖霊様に従うのであれば、私たちの行動は愛から出たものとなり、常に愛によって結び付けられるのです。「愛をもって行なう」とは、聖霊様の導きを求め、その導きに喜んで従うことにあります。

そして、もし愛がなければ、私たちは、1コリント13章の4節~7節の真逆の人間となってしまうのだと、パウロは示唆しているのであります。つまり、愛がなければ、寛容でなくなり、親切でなくなり、人をねたみます。愛がなければ、自慢し、高慢になります。愛がなければ、礼儀をわきまえず、自分の利益を求め、怒り、人のした悪を心にとめます。不正を喜び、真理を喜ばず、我慢することなく、信じることなく、期待もせず、耐え忍ぶこともしない者となってしまうのです。愛がなければ、大いなる信仰心があったとしても、何の値打ちもないのです。

私たちは、この聖句から学ぶべきことは、「天の父を見あげ、イエス様の声を聞き、教えを喜びとし、イエス様を信頼しより頼み、聖霊様の導きを求め従うこと」ではないでしょうか。

天国長屋の八さん、熊さん、いかがですか。どう思いますか。

――――――――――

八: 言ってることは分かるんだけど、なんかてんこ盛り過ぎやしねぇか。俺はひとつでもできれば御の字だな。熊はどう思う。

熊: そうさなぁ。これは全てつながっているように思えるよ。だから、一つを一生懸命すれば、後もうまくまわっていくような気がする。

八: おれは、「主の教えを喜びとする」というのがいいなぁ。聖書の御言葉を喜んで読んだり、聞いたり、そして自分でも言ってみたりして。

熊: いいねぇ。俺は、、、そうだなぁ、聖霊様の導きを求めるっていうところかな。「静まって主を知る」ってことを前々から大切にしていたからよ。

八: じゃあ、横丁のご隠居はどうなんだろう。

熊: ご隠居は、「主を喜ぶ」ってことだろうな。これはご隠居のモットーでもあるし。しかし、さっきの枠ん中には入りきれねぇけど。

八: まあ、いいんじゃないかい。ご隠居らしくて。

熊: ひとつのことを徹底してやってみるってのも、いいよな。なんかこう、一本筋が通っているようで。

八: おれたちゃ、どちらかと言えば、器用な方じゃぁねぇ、だから一つのことで、手一杯だ。まあ、それでもやらねぇよりはましだろう。ひとつでも神様喜んでくださるさ。

熊: そうだな、ちげえぇね。おれが、「静まって主を知る」おめぇが「主の教えを喜びとする」そして、二人で祈れば、イエス様もいらしてくださるから、点が三つになる。俺とおめえとイエス様。そうすると三角形ができる。三角形は外からも内からも強いんだ。ぶれることがねぇ。おいら、大工だからよ、常に三角形ができるようにこさえるんだ。

八: なるほどねぇ。俺とお前とイエス様。じゃあ、不動の三角関係だな、俺たちゃ。牧師さん、やっぱ、俺たち、一点ものでいくよ。

――――――――――

八さん、熊さん、面白いですね。一つの事に、秀でるというのは、信仰でもありでございましょう。そして、ひとりがひとつの秀でたものがあったとしたら、その人たちが集まれば、全体をひとつとして、すばらしいクリスチャンが出来上がります。それは教会とも言えるでしょうね。そして、一人一人をくっつけているのは、イエス様の愛でもありますし、イエス様への愛とも言えるでしょう。一人一人が足らないところを補い合って、お互いが強くなり、いろんな意味で強い教会が立ち上がるかもしれません。わたしもお仲間に入れて下さいよ。八さんと熊さんと私とで三角形。そしてイエス様が中心にいてくださると、三角形の中に小さな三角形が三つ。大きな三角形よりも、小さな三角形が三つ合わさったほうが、より強くなりますね。それに、八さんのおっしゃった、イエス様との三角関係。面白い発想です。人間だけの三角関係はドロドロ、おどろおどろしていますが、イエス様との三角関係はサバサバしていてそうです。いろいろと教えられました、感謝いたします。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「すべてに愛をもって」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。私たちは足らない者です。しかし、足らない者同士が補い合って、イエス様を頂点とする関係ができれば、私たちは強くされるのです。一人ではできなかったことが、二人寄り添い、イエス様が加わって下さることで、目を覚ましていることも、堅く信仰に立つことも、強くあることも可能になるのです。

黙想の前に、ヨハネの福音書14章23節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」

(3分間黙想)Ve'Ahavta (Thou Shalt Love) by Batya Segal

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「すべてに愛をもって」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちには、さまざまなプレッシャーや困難とともに生きています。しかし、一人では乗り越えられないことも、信仰の友と一緒にイエス様を見あげるならば、その人生の嵐ともいえるものに立ち向かうことも、嵐を上手に避けることもできます。お互いに協力しあって、目を覚まし、信仰に堅く立ち、強くありますように、信仰の友を信仰の仲間を与え、増やしてください。

この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌504「妹背を契る」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

Ve'Ahavta (Thou Shalt Love) by Batya Segal

https://www.youtube.com/watch?v=lToIw5q5mVk&list=RDXIk0_WWIvU8&index=4

今月のワーシップソング「御腕に抱いて」♬

いま主よ わたしの心に触れて  あたなの御腕に 抱いてください 

いま主よ わたしの心に触れて  あたなの御腕に 抱いてください 

すべてのつかれた人よ、おもに悩み負う人よ 

イエスのまえに出て行こう、すべてをいま手ばなそう

あなたの愛に飛び込みます。かならず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。かならず受け止めてくれるから 

https://www.youtube.com/watch?v=PFCXR9XRwlg

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。