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メッセージ主題:『望みと祈りと恵みと感謝』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第二』

2019時年11月10日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌182「ただ信ぜよ」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「御腕に抱いて」

交読: 交読文34:詩篇 第108篇:新聖歌p.907-908

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌136「御霊よ降りて」

聖書拝読:コリント人への手紙第二1章3-11節(新改訳聖書)

中心聖句:

「ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。」(10-11)

メッセージ主題:『望みと祈りと恵みと感謝』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『すべてに愛をもって』と題しまして、お話をさせていただきました。

第一コリント第16章は、この手紙の最後の章で、エルサレムへの献金のこと、パウロのコリント訪問の予定、勧告と手紙の最後のあいさつとからなっています。先週はそのなかの勧告を取り上げました。勧告は、このコリント人への手紙の総まとめのようなものです。しかし、ここでも愛が強調されています。また22節では、パウロが自らの手で、きびしいことを告げています。「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。」これは、パウロ風の「主を愛しなさい。主にしっかりととどまっていなさい。主の日は近いのだから」と励ましているのであります。先週は、この13節14節を中心に主に語っていただきました。

今週からコリント人への手紙第二に進みます。

第二コリントの手紙は、第一コリントの手紙から恐らく一年以内にピリピで書かれたと推測されています。パウロはエペソで第一コリントの手紙を書き、愛弟子テモテを派遣し、コリント教会における数々の問題に取り組むよううながします。その後実際にパウロはコリントまで足を運び、短期間滞在したと思われるのですが、問題解決には至っておりませんでした。その短期滞在後、パウロはすぐに涙の手紙をしたためます(2コリント2:4)。残念ながら、その涙の手紙は発見されていません。そして、もう一人の愛弟子テトスによって、コリント教会の大部分の人は悔い改めたと報告されます。その中、このコリント人への第二の手紙の前半は、彼らが悔い改めたことを喜ぶ内容でありますが、後半は、まだ悔い改めていない人々への叱責に近い厳しい口調で書かれています。

今朝は、『望みと祈りと恵みと感謝』と題しまして、主の御声に耳を傾けさせていただきます。

コリント第二第1章は、「苦難と感謝」および「コリント訪問の延期」が記されています。苦難の中にも神の慰めがあり、その慰めがほかの人々へのとりなしの祈りとなり、その人々の慰めとなる。なぜなら、私たちの苦難と慰めは、キリストがすでに経験され、苦難を克服されておられるからであります。キリストを信じる者には、キリストの苦難とその克服の勝利が現われ、その人たちが祈る相手にも同じように現われ、それらの人たち全員が神に感謝をささげることになるとパウロは述べています。今朝は、この前半の「苦難と感謝」のところから、とりなしの祈りへの神の導きを学ばせていただきます。

短くお祈りいたします。(祈り)

人生において、苦難や困難はつきものです。イエス・キリストを信じていようといまいと、雨が全員に降りそそがれるように、苦難や困難も等しく襲って来ます。もちろん、苦難や困難も個人によって程度の差もあり、時期や期間も違うでしょう。でも、ないことはないのです。全員が経験します。イエス・キリストを信じたから、苦難や困難に遇わないということはありません。いえ、キリストを信じたからこそ、苦難や困難に余分にあうことになると感じる方も多いのかもしれません。恐らくそれは事実でしょう。キリストを信じるがゆえに、イエス様が受けた迫害や苦難と同じ迫害や苦難が与えられるからです。イエス様もそのことをご存じで、山上の説教の中で次のように、私たちを励まします。「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりする時、あなたがたは幸いです。」(マタイ5:11)そして、どのように幸いかと申しますと、その前の節で「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」(5:10)とイエス・キリストを信じた時点で、天の御国へ入ることが許されているからです。だから、その後の節で「喜びなさい。喜びこおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。」(5:12)とあるのです。

しかし、実際にキリスト者ゆえの迫害にあっていなかったとしても、人生の上での苦難や困難の中にいる人や、失意や悲しみのどん底にいる人にとっては、「天の御国はあなたものだからです」とか「喜びなさい。喜びこおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから」と言われても、何の励ましにもならないかもしれません。それほどまでに打ちのめされているのですから。では、キリストを信じても信じなくても、苦難や困難や失意があるなら、キリストを信じなくてもいいじゃないか、という考えになるかもしれません。いえ、そうなるのも当然でしょう。もちろん、キリスト者には、最終の天の御国に入ることができること、天の御国へのチケット、天の御国への入国ビザがおりているのですから、そのことに希望を置ければいいのですが、現実的にそうではないことも多々起きてしまうのであります。「肉体の死が最後ではない」と信じていても、この世で「生きる」ことに、もがいてしまうのが、私たちであります。

では、キリスト者はなにを頼りに、「生きる」ことにもがき、苦難や困難や失意を克服しようとしているのでしょうか。それは聖書に書かれている御言葉とその中にある「生きる力」であります。代表的な例としては、皆さんもご存じの有名な御言葉、1コリント10章13節であります。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えて下さいます。」この時の「脱出の道」とは、具体的な事もあるでしょう、例えば、「お金に困っていたら、お金の融通がつく」とか、「病気が奇跡的に癒された」とか。それはそれで有難いことであり、感謝なことでありますが、そのような具体的な例が常に行われるとは限りません。そのような奇跡や不思議は行なわれる場合も行われない場合も神様の目的があり、しかし、私たちにはその目的は計り知れない時が多いのです。奇跡や不思議が起きる起きないは別にして、神は必ず「脱出の道」を備えて下さっておられるのです。その道とは、「天の父なる神様により頼む、イエス・キリストにより頼む、聖霊様により頼む」ということであります。キリスト者はこの「脱出の道」には裏切られないことを知っています。なぜなら、キリスト者は「父なる神、子なるキリスト、助け手である聖霊」を信じているからです。ですから、パウロは、第二コリント12章で次のように告白するのです。「主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(9-10) 自分の力が弱くなればなるほど、神に寄り頼み、神の力が加わり、そして、その神の力は絶大であることを知っているからです。パウロはそのことを今朝の聖句の箇所で述べています。9節です。「ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」パウロは、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難は、神により頼むための試練であると確信しているのです。

神により頼む者は、「神が必ずなんらかの方法で今もこれからも救い出して下さる」と確信できるのです。救い出して下さるという望みは失望に終わらないことを知っているからです。そして、その確信は、他の人のためにとりなす祈りにも現れます。「私たちも救われるのだから、彼らも救われる」「私たちが信じている神と同じ神を彼らも信じているのだから、彼らも神により頼むことができ、彼らの弱さは強さと変わり、困難や苦難の逃れの道を神に置き、その苦しみから救われる」と。そして、その救いこそが神様からの恵みであります。祈りが聞かれるという恵み。祈りは必ず答えられるという確信の恵み。祈る方も祈られる方もその恵みを受け、神様への感謝へと導かれるのです。そして、お互いがお互いの事を祈り合おうと励まされるのです。そうなると、双方にとって、祈りは力となります。私たちは、もっとお互いのために、祈りは聞かれる、祈りは答えられるという確信をもって、祈り合うべきであります。そして、それが、感謝となり、生きる力、主の愛を伝える力となるのです。

さて、天国長屋の八さん、熊さん、祈り合う大切さが分かっていただけましたでしょうか。

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八: ほかの人のために祈るって言うのは、結局、感謝が生まれるんだろ。その感謝が力になるっていうことか。

熊: 八、俺も、そう聞こえたよ。「感謝が力になる」っていうのはすげえことだぜ。いつか横丁のご隠居が言ってたじゃねぇか。御言葉の「いつも喜びなさい、絶えず祈りなさい、すべてのことに感謝しなさい」っていうのは、逆からやれば、すべてが収まるって。

八: ああ、覚えてるよ。まず、神様に感謝すれば、その「ありがとうございます」っていう神様への言葉かけが、すでに神様への祈りになってる、そして「ありがとう」っていうときには喜んでいるから、小さいことでも「神様ありがとう」って感謝するだけで、絶えず祈り、いつも喜んでいることになるって、ご隠居、そう言ってたよな。

熊: 今日のメッセージで、ちょいと幅ができたじゃねぇか。相手のことを祈ったら、相手も祈った方も神様への感謝の気持ちが生まれて、相手のことを祈ることは、俺たちにも益になるんだって話じゃねぇか。

八: 相手のことを祈ったら、俺たちも得するんだ。いいねぇ。前から牧師さん、「祈りは力です」って言ってたけど、この事なのかもしれねぇな。「祈りは感謝を導き、感謝は力だ」ってな。

熊: ちげぇねぇ。俺たちゃ、「感謝は力」だってことは、前から知ってた。ご隠居が教えてくれたじゃねぇか。「神へのいけいえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ、あなたは、それをさげすまれません。」どこだっけ。

八: 詩篇の51篇の17節だろ。神様に「ごめんなさい」と謝る時や「ありがとう」と感謝の時には、その素直で謙遜な心を神様にささげれば、神様は喜ばれるって言うんだろ。

熊: 神様に喜ばれるっていうのは、俺たちの力になる。神様が喜んでくだされば、俺たちも嬉しい、だから、俺たちの喜びも力となる。喜びを通して、感謝を通して、神様から力を与えられる、それもまた恵みじゃねぇか。

八: って、ご隠居の受け売りだよな。喜びや感謝の相乗効果だって。ご隠居、詩篇の28篇の7節を読んで、そう言ってた。

熊: 「主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。」喜んで感謝すれば、また力を与えてくださる。

八: そして、今度は、祈りだ。祈りが感謝を生み、力となる。嬉しいじゃねぇか。大いに祈ろうぜ、お互いに、また他の人のことも。

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八さん、熊さん、これがクリスチャン同士の祈りの相乗効果なのです。相手へのとりなしの祈りは双方に感謝を生み、感謝は喜びを生み、喜びは力を生む。そして、その力は絶えることはありません。どうか、お互いにどんどん祈り合いましょう。そして、祈ったらすぐに、祈りが聞かれたことを確信して感謝いたしましょう。そして、お互いがお互いのことをもっとよく知り合えることができれば、良いですね。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「望みと祈りと恵みと感謝」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。喜びも祈りも感謝も、それらを通して、すべて神様からの力を得ることができますし、神様に栄光をお返しすることができます。どうか私たちがお互いのことを祈り、神様に感謝するものとさせていただきましょう。

黙想の前に、マルコの福音書11章24節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

(3分間黙想)El Shaddai

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「望みと祈りと恵みと感謝」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。今朝はお互いに祈り合うことが、なぜ大切なのか、あなた様から導かれました。イエス様のおっしゃった「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい」の「信じなさい」とは、祈りが聞かれた感謝と喜びをささげなさいということなのですね。祈りにおいて全てが力になることを教えていただきありがとうございます。

この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

賛美:新聖歌428「キリストには代えられません」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

El Shaddai

https://www.youtube.com/watch?v=6-7v6dqxeFs&list=RD6-7v6dqxeFs&start_radio=1

今月のワーシップソング「御腕に抱いて」♬

いま主よ わたしの心に触れて  あたなの御腕に 抱いてください 

いま主よ わたしの心に触れて  あたなの御腕に 抱いてください 

すべてのつかれた人よ、おもに悩み負う人よ 

イエスのまえに出て行こう、すべてをいま手ばなそう

あなたの愛に飛び込みます。かならず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。かならず受け止めてくれるから 

https://www.youtube.com/watch?v=PFCXR9XRwlg

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。