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メッセージ主題:『御霊による推薦状』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第二』

2019時年11月24日

聖書拝読:コリント人への手紙第二3章2~6節(新改訳聖書)

中心聖句:

「あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。」(3)

メッセージ主題:『御霊による推薦状』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『キリストのかおり』と題しまして、主の御声に耳を傾けさせていただきました。

コリント第二第2章は、4つの要素からなっています。①パウロがコリント教会に送った「涙の手紙」(この手紙は発見されていません)のこと、②パウロを非難していた人を赦すように信徒に勧めること、③「涙の手紙」を携えてコリントに向かったテトスと連絡がつかず、マケドニアに向けて出発したこと、④キリストの福音を香水になぞらえたことであります。先週は、その中の4つ目の「キリストを知るという知識の香り」のことについて、神様から導いていただきました。

今朝は、『御霊による推薦状』と題しまして、主からのメッセージを学ばせていただきます。

コリント第二第3章は、新しい契約の奉仕者について記されています。新しい契約があるということは、古い契約もあります。古い契約とは、モーセが神様からいただいた石に書きしるされた十戒であります。それを守ることによって約束の地、天の御国に入れるというものでありました。ところが、十戒は律法となり、形式的なものになっていきました。律法は罪を明らかにし、律法に従うことが要求されますが、誰も完全に従うことはできません。そこで人々は、罪悪感にさいなまれるか、その苦しみから逃れるために、律法から離れるか、または形式的に律法に従う、つまり、心をともなわずに、法律に従おうとしたのです。そこで、神は御子イエス様をこの世にお送り下さり、その古い契約を成就させるために、イエス様ご自身が人々の罪を肩代わりし、自ら、十字架上での死なれました。罪の代価は死だからです。そして、三日目に死を克服してよみがえり、天に上られる前に、そのことを告げられました。新しい契約は、ただ単にイエス・キリストを信じることで、私たちは罪赦され、天の御国へと入ることができるようになったのです。パウロは、新しい契約におけるキリストのよき証人は、パウロの推薦状であると述べています。今朝はその推薦状のことを主から導いていただこうと思います。

短くお祈りいたします。(祈り)

新しい契約は、イエス・キリストの誕生する以前に、預言されていました。エレミヤ書31章にあります。31節から34節までを少し長いですがお読みいたします。

「見よ。その日が来る。――主の御告げ。――その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。――主の御告げ。――彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ。――わたしはわたしの法律を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのようにして、人々はもはや、『主を知れ。』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。――主の御告げ。――わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」

これが新しい契約の預言であります。この新しい契約には三つのポイントがございます。1つは、「神の律法を私たちの心に書きしるす」つまり、消すことのできない、破棄することのできない律法を示すということ。二つ目は、「神は私たちの神となり、私たちは、神の民となる」ということ。これは、古い契約での継続事項で、再確認でもあるでしょう。三つ目は、「神はわたしたちの咎を赦し、私たちの罪を二度と思い出さない」ということ。これはまさにイエス様の福音であります。イエス様はおっしゃいます。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは、父を知っており、また、すでに父を見たのです。」(ヨハネ14:6-7)「父を知り、父を見た」という意識の中に、罪を咎めるという余地はありません。もうすでに、罪を忘れ去られておられるがゆえのお言葉なのです。

ヘブル書では、新しい契約のことを次のように述べています。9章14節15節です。「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。それは、初めの契約のときの違反を贖うための死が実現したので、召された者たちが永遠の資産の約束を受けることができるためなのです。」 「永遠の資産」とは「永遠のいのちであり、それにともなう永遠の喜び、永遠の平和・平安」であります。イエス様は、私たちに、その永遠の資産をうける約束をして下さったのであります。

そして、永遠の資産をうける約束の確証として、イエス様は、イエス様を信じ愛する者に約束手形をくださいます。それは天の父からのプレゼントでもあります。イエス様はおっしゃいます。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」(ヨハネ14:16-17)そうです。信じる者の心の内に住みたもう、助け主は、天のお父様がイエス様の名によってお遣わし下さる聖霊様です。わたしたちにすべてのことを教え、イエス様が、聖書を通してお話し下さることを理解させてくださるのです。

その助け主である聖霊様は、主の平安であります。イエス様はおっしゃいます。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。」(ヨハネ14:27)私たちには、神様の平安が、神様の喜びが、今、聖霊様を通して経験できるのです。

さて、コリント第二の手紙3章に戻ります。パウロはパウロたちの推薦状はあなたがた、つまりキリストを信じる私たちですと宣言しています。その推薦状はすべての人に知られ、読まれている、と述べています。パウロの言葉を借りますと、私たち、イエス様を愛し信じる者は、キリストが使徒や牧師や伝道師や教師を用いてお書きになった手紙であって、それは、墨ではなく生ける神の霊によって、また石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙だというのです。

神様は聖霊様に私たちの心の板に手紙を書くようにされたのです。嬉しいではありませんか。手紙の内容は何でしょう。それは、神様を知る楽しみ、神様を見る喜び、もちろん、楽しいこと嬉しいことだけではありません、苦しいこと辛いこと悲しいこと。しかし、それぞれの時において、神様を求め、神様により頼み、神様に感謝した、その積み重ねの手紙なのであります。

では、その手紙はだれに宛てたものなのでしょうか。パウロは「すべての人に知られ、みんなに読まれている」と記しています。つまり、教会内外問わず、私たちの隣り人に対してであります。

私は、ある教会のお話をきいたことがございます。

その教会には、まったくお金がない。信徒の方々も金銭的にはあまり余裕がない。チラシやトラクトを配ろうにも、その印刷代もままならない。もちろん、音楽コンサートもなかなか難しい。そんな時、牧師を中心として、みんなで自分たち自身がチラシの役目をしよう、それも日常的に、と総会で決めたそうです。それから、その教会は、みんなで自主的に聖書の学び会が始まり、祈り会も時間の都合に合わせて、小グループで祈り、そして、日曜日は、なるべく時間を割いて、みんなで遊びに行くようにしたそうです。そのことによって、じょじょに家族が救われ、隣近所の方々が、教会に顔を出すようになったそうです。

聖霊様がその方々の心にキリストを書かれ、その方々を手紙とされたのです。

私が、この教会の例をあげましたのは、この教会のやり方を真似なさいということではありません。一つ一つの教会、一人一人のクリスチャン、それぞれに、神様が働いておられます。私が申し上げたかったのは、神様は、すでに皆さまもキリストの手紙とされておられるのですよということなのです。

いかがでしょう、天国長屋の八さん熊さん、「キリストの手紙とされる」って分かりますか。

――――――――――

八: この「キリストの手紙とされる」とか「御霊の推薦状」っていうのはよ、なんかよく分かんねぇんだよな。だって、俺、今までに手紙なんてもらったことねぇしよ。それに、推薦状なんか書いてもらったこともねぇ。また、借金の督促状なら、いくらでもあるけどな。だから、イメージが湧かねぇんだ。

熊: 八、手紙もらったことねぇのか。例えば中学校のときに、ラブレターみたいなものさ。

八: あるわけねぇよ。熊は、あるのかよ。

熊: おう、一度だけな。「熊さんの男らしいところが好きです」って。それに、「つぶらな瞳に角ばった顔もって」。

八: まあ、蓼食う虫も好き好きって言うからな。お前は小いせぇときから、顔は将棋の駒みてぇに角ばってたよな。

熊: 手紙をもらったことのねぇ、誰かさんよりはましさ。また、ラブレターには、「ここが好き」「あそこが好き」って書いてあるんだ。

八: じゃあ、なにかい、キリストの手紙にも、ここが好き、あそこが好きって書いてあんのか。

熊: いやいや、手紙と言っても、御霊の推薦状だろ。だから、たとえば、「八さんは、キリストを神と信じ、キリストを愛し、なにごとにもキリストに感謝しています。八さんは、キリストをいつも喜んでいます。ここに、八さんをキリストのしもべとして推薦します」てな、感じじゃねえかな。

八: おお、いいねぇ。俺たちゃ、イエス様いのち、じゃねぇか。そんな推薦状もらえたら、俺はもう、小躍りしちゃうねぇ。そんな推薦状、見てぇもんだ、読みてぇやな。

熊: まあまあ、本人には分からねぇんだろうよ。まあ、それに、神様の栄光が現われてんだろうな。

八: いいねぇ、なんか背中から後光がさしてるような感じか。

熊: 何も後光はささねぇよ。でも、顔はイエス様の光で照らされているかもな。キラキラって。

八: キラキラか。(熊の顔をじっと見つめて)いやいや、どう見ても、おめぇの顔は、キラキラというよりギトギトだ。脂っぽくていけねぇ。

――――――――――

八さん、熊さんありがとうね。熊さんは、大工で日焼けしてますから、仕方がないよ。脂っぽいのじゃなくて、油そそがれているのかもしれませんね。でも、お二人ともいい顔しています。それに、ここにいらっしゃる皆さんも。その笑顔が、御霊の推薦状ですね。キリストを喜び楽しんでいる顔をされています。

私たちは、よく教会の時の顔と、家の時の顔と、仕事場での顔と違うと思って反省したり、そのように非難されることもあります。特に近しい人から。人間ですから、だれしも外面も内面もございます。外面も内面もみんなひっくるめて、キリストのしもべなのであります。罪人であるにもかかわらず、私たちを選んでくださったのと同じです。それに、神様は、御霊によってキリストの推薦状に私たちをしてくださっておられるのです。まことにありがたいことです。足りない部分もあるにもかかわらず、いえ、足りない部分の方が多いにもかかわらず、私たちの心に推薦状を書いて下さっています。イエス様はこう言いながら、お書きくださっているのではないでしょうか。「みなさん、おひとりおひとりが、わたしの愛するしもべです、友です、兄弟姉妹です。みなさんにお送りした助け主である御霊がわたしについてあかしをします。どんな時にも、わたしを思っていてください。あなたは、わたしの平安と喜びに満たされます。」

祈りの前に、ヨハネの福音書15章11節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。」

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「御霊による推薦状」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちは、イエス様を信じた時点で、聖霊様がお下りくださり、私たちは、キリストのしもべとされました。しかし、イエス様は、しもべである私たちを、友と呼び、また、私たちが神様を天の父と呼べるようにして下さいました。私たちは、キリストの証し人とさせていただき、キリストの推薦状ともさせていただきました。心から感謝いたします。どうか、イエス様のお話しをさせていただく時、主の栄光が現われますように。

この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。