ぶどうの木キリスト教会
礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第二』
2019時年12月1日
礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り
礼拝:10:00
賛美: 新聖歌199「主を仰ぎ見れば」
使徒信条: 新聖歌p.826
賛美: 今月のワーシップソング 「Amazing Grace」
交読: 交読文36:詩篇 第116篇:新聖歌p.908-909
十戒:末ページに記載
祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り
賛美: 新聖歌137「聖なる 聖なる」
聖書拝読:コリント人への手紙第二4章5-6節&13-18節(新改訳聖書)
中心聖句:
「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光があらわれるようになるためです。」(15)
メッセージ主題:『主なるイエス様を宣べ伝える』
おはようございます、そしてお帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。
先週は、『御霊による推薦状』と題しまして、神様からのメッセージを学ばせていただきました。
コリント第二第3章は、新しい契約の奉仕者について記されています。新しい契約があるということは、古い契約もあります。古い契約とは、モーセが神様からいただいた石に書きしるされた十戒であります。それを守ることによって約束の地、天の御国に入れるというものでありました。ところが、十戒は律法となり、形式的なものになっていきました。律法は罪を明らかにし、律法に従うことが要求されますが、誰も完全に従うことはできません。そこで人々は、罪悪感にさいなまれるか、その苦しみから逃れるために、律法から離れるか、または形式的に律法に従う、つまり、心をともなわずに、法律に従おうとしたのです。そこで、神は御子イエス様をこの世にお送り下さり、その古い契約を成就させるために、イエス様ご自身が人々の罪を肩代わりし、自ら、十字架上で死なれました。罪の代価は死だからです。そして、三日目に死を克服してよみがえり、天に上られる前に、そのことを告げられました。新しい契約は、ただ単にイエス・キリストを信じることで、私たちは罪赦され、天の御国へと入ることができるようになったのです。パウロは、新しい契約におけるキリストのよき証人は、パウロの推薦状であると述べています。先週はその推薦状のことを主から導いていただきました。
今朝は、『主なるイエスを宣べ伝える』と題しまして、神様からのメッセージを学ばせていただきます。
コリント第二第4章は、主イエス・キリストを宣べ伝えることが強調されています。キリストを宣べ伝えるのは何のためかと申しますと、それは、もちろん人々がイエス・キリストの恵みである「罪赦されて永遠のいのちにあずかる」ということです。しかし、それは究極の目的ではありません。イエス・キリストの恵みによって人々が神に感謝し、神の栄光が現われるということが、神の一番の目的なのです。神への感謝が満ちあふれる時、神の栄光が現われるのです。私たちがよく、「神様に栄光をお返しします。神様に栄光を帰します」というのは、やさしい表現をすれば、「神様、ありがとうございます」と感謝し、神様を見上げることです。「神様が私たちの主(あるじ)である」と宣言することです。今朝は、「イエス・キリストを宣べ伝える」ということを学ばせていただきます。
短くお祈りいたします。(祈り)
5節では、「私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。」とあります。では、「自分自身を宣べ伝える」とはどういうことでしょうか。イエス様は、おっしゃいます。「だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります。自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし、自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。」(ヨハネ7:17-18) 自分の栄光を求める人、自分が褒められたい人、自分自身を自慢したい人は、自分から語る人であり、自分自身を宣べ伝える人なのであります。
イエス様でさえ、このようにおっしゃいます。「わたしがもし自分自身に栄光を帰するなら、わたしの栄光はむなしいものです。わたしに栄光を与える方は、わたしの父です。この方のことを、あなたがたは『私たちの神である。』と言っています。」(ヨハネ8:54)イエス様は私たちの主でありますが、イエス様が栄光を自分自身にとどめておくことはなさらず、つねに父なる神様に栄光をお返しされておられます。
ですから、私たちは自分自身を自慢するのではなく、イエス様がそうであったように、父なる神様に栄光をお返しし、そのようなイエス・キリストを誇りに思い、主であるイエス・キリストを宣べ伝える、主がどれだけ私たちに良きことをしてくださったか、そのことを私たちは率先して、喜びと感謝の心をもってお伝えする必要があるのです。
「イエス・キリストを伝える」ということは誰でもできます。しかし、「主なるイエス・キリストを宣べ伝える」ことは、イエス・キリストを信じていなければできないことなのです。2コリント4章の12節で、パウロは次のように語ります。「『私は信じた。それゆえに語った。』と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。」 もっと言えば、「主なるイエス・キリストを信じたら、嬉しくて、感謝の気持ちでいっぱいで、イエス・キリストが何者で、主が何をしてくださったかを語りたくなる」のです。いや、それでないと嘘です。その喜びがないのなら、本当に主を自分の心の中心に受け入れ、信じたのかどうか、よくよく考えてみないといけません。
良いことや楽しいことがあったら、ワクワク・ウキウキして、他の人に話したくなるでしょう。それと同じです。イエス様の十字架における救いのありがたみが分かれば、人に話したくなる、人に聞いてもらいたくなるのは、当たり前です。
人の人生が同じでないように、主が働いて下さるのも、人それぞれです。ですから、「私の証しなどは大したことはない、語れるようなものではない」と過小評価する必要はありませんし、遠慮する必要もありません。自分の証しを過小評価するということは、主の御業を過小評価しているのと同じですし、主に少ししか感謝していないと思われても仕方ありません。また、イエス様もおっしゃいます。「少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」(ルカ7:47b)少ししか喜びの無い者は、主を少ししか味わっていないのです。
パウロは私たちを励まします。「私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」(2コリント4:16)なぜなら、私たちには感謝が満ちあふれていて、神の栄光が現われるからです。主を証しする時に何を言おうかと心配するには及びません。「言うべきことは、そのときに聖霊がおしえてくださるからです。」(ルカ12:12)父なる神様への感謝にあふれ、喜びの中にあるということは、内に住み給う聖霊様が働いてくださっているのです。
『主なるイエス様を宣べ伝える』とは、もちろん言葉という媒体だけではありません。態度や信仰生活も「宣べ伝える」道具でもあります。先週の『御霊による推薦状』というメッセージでは、言葉よりも態度や信仰生活が重視されました。しかし、この度のメッセージでは、おもに言葉による証しが重視されます。
言葉にするのが、うまい下手はあるでしょう。しかし、洗練された言葉が、必ずしも「宣べ伝わりやすい」言葉という訳ではありません。なぜなら、「宣べ伝わる」には、そこに聖霊様が働いていてくださるからです。そして、先程申し上げましたが、聖霊様が働いて下さるには、私たちが主に感謝し喜んでいる必要があるのです。多いに主を喜び、主の御業を、聖霊様によって、お伝えさせていただきましょう。
いかがでしょう、天国長屋の八さん熊さん、「主なるイエスを宣べ伝える」って難しく構えなくて、少し気が楽になりましたか。
――――――――――
八: イエス様を宣べ伝えるっていうのは、このクリスマス時期はいいよな。
熊: そうだよ。とくに今週からアドベントだ。イエス様のお誕生日をお待ちする4週が始まる。
みんなもクリスマスっていうのは知ってるから、伝えやすいやね。
八: しかしなあ、お決まりのクリスマスのイエス様のお誕生日のお話しでいいのかな。
熊: それは、それでいいのだろうけど、それじゃ、単なるお話しになっちまわねぇか。
八: やっぱ、自分がどのようにして救われたかとか、イエス様をどのように思っているか、
そんな話をした方がリアリティがあっていいよな。
熊: おお、八つぁんから、リアリティって、カタカナが入ってきたねぇ。じゃあ、おれも。
「救いのビフォー・アフター」ってのはどうだ。
八: 救われる前と救われた後。信じる前と信じた後か。ちょいと恥ずかしいな。
恥をさらけだすようで。
熊: 何言ってんだよ、イエス様を知った喜びに較べれば、恥も外聞もねぇやな。
ダビデ王なんて、あの契約の箱が戻ってきたときに、王さまという立場を忘れて、
変な踊りを踊って、奥さんにあきれられてたんだぜ。
神様を知るっていうことは、そういうことじゃねぇのかな。
八: 俺も、モンキーダンスぐらいだったら踊れるぜ。まあ、熊の言ってることは分かるよ。
でも。できれば、こうスマートにしゃべりてぇじゃぁねえか。
熊: その心がだ、パウロのだんなの言う、「自分自身を宣べ伝えている」ことになんねぇか。
自分をカッコよく見せる。それがいけねぇんじゃねぇか。ありのままでいいんだよ。
八: そうか、「ありのまま」かぁ。♬ありの~ままで~、「ハナイキ2」
熊: 八、歌わなくっていい。そこまで恥も外聞も、ぜんぶさらけ出して、歌うな。
八: なんでだよ。おめぇが、さっき、恥も外聞もさらけだして、って言ったんじゃねぇか。
熊: そうさ。けど、人の迷惑になっちゃいけねぇ。おめぇの歌は、、、攻撃的で、破壊的だ。
それに、なんだ「ハナイキ2」って。
八: ありゃ、昨日、となりのお梅ちゃんが、「ハナイキ2」っていう映画を観にいったそうだ。
熊: それを言うなら、「アナと雪の女王2」だろうよ、「ハナイキ2」じゃなくて、
「アナ雪2」だ。俺も見に行くんだ、この後で。
八: えっ! 熊がかい! 人は見かけによられねぇ、って、熊のことを言うんだね。
熊: 「アナと雪の女王」についちゃ、ちとうるせえぜ。DVDも持ってるから。何べんも見たし。
八: なるほどねぇ、はぁ、さすが、アナ雪通だね。
熊: なに、しゃれ言ってんだよ。話を戻すぜ、「救いのビフォー・アフター」だ。
八: でも、俺には、そんなてぇした変化はなかったなぁ、あんときは。
熊: 俺もさ。でも今だったら、神様がどんなによくしてくださってるか、
イエス様にどんなに感謝しているか、言えるぜ。八、お前もだろ。
八: そうか、その手があったな。今のことだったら、いくらでも話せる。
熊: それでいいんだよ。今のおめぇをさらけだしゃあ、いいんだ。
八: イエス様と出会って、喜んで感謝していることを伝えて、
イエス様が俺の救い主だということを話せばいいんだな。よし、やるぞ、お伝えするぞ!
とくに、今は、クリスマスだからな。イエス様のお誕生のことと合わせて、ナッ!
エイエイオー!
熊: おっ、八、ハナイキ、荒くなったね。そのイキだ。
八: いや、粋(いき)じゃなくってもいい、ありのままさ、アナ雪さ。
――――――――――
八さん、熊さん、ありがとうね。熊さんはこの後、「アナ雪2」ですか。いいですね。楽しんで行ってらっしゃい。
私たちは、先週の「御霊による推薦状」で、私たちのありのままの信仰の姿が、イエス様を推薦する推薦状として書かれ、イエス様のことを私たちの態度や姿勢でお伝えするということでしたが、今朝は、私たちのありのまま信仰と合わせて、イエス様のことを、回りの方々に言葉でお伝えする、そのことを勇気づけられました。感謝であります。今日から待降節アドベンドで、イエス様のお誕生を心待ちにする4週を過ごします。これはいいチャンスです。私たちは、態度や姿勢だけではなく、言葉でも、イエス様を喜んでお伝えし続ける者とさせていただきましょう。
ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「主なるイエス様を宣べ伝える」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。主を喜ぶということ、主に感謝をささげるということは、主に栄光をお返ししているのと同じです。喜び感謝しつつ、私たちの主、あなたの主、イエス・キリストを宣べ伝えさせていただきましょう。
祈りの前に、ヨハネの福音書15章9節のイエス様のお言葉をお読みいたします。
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。」
(3分間黙想)In Moments Like These
お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「主なるイエス様を宣べ伝える」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。主を喜び、主に感謝しつつ、主がこれまでに愛して下さったことを、勇気をもって、回りの方々にお伝えするものとさせてください。
この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。
賛美:新聖歌89「神は独り子を」(献金の時)
献金の祈り
「主の祈り」(新聖歌p826)
頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」
祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
アーメン四唱:新聖歌59.7
黙想時の歌
In Moments Like These
https://www.youtube.com/watch?v=nVx0YmYPNYk
Amazing Grace
Amazing grace how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.
(訳)
アメージング・グレース 何と美しい響きであろうか
私のような者までも救ってくださる 道を踏み外しさまよっていた私を
神は救い上げてくださり 今まで見えなかった神の恵みを 今は見出すことができる
https://www.youtube.com/watch?v=rO5GSLWodxo
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。