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メッセージ主題:『すべてが新しくなる』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第二』

2019時年12月8日

聖書拝読:コリント人への手紙第二5章17-19節(新改訳聖書)

中心聖句:

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(17)

メッセージ主題:『すべてが新しくなる』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『主なるイエスを宣べ伝える』と題しまして、神様からのメッセージを学ばせていただきました。

コリント第二第4章は、主イエス・キリストを宣べ伝えることが強調されています。キリストを宣べ伝えるのは何のためかと申しますと、それは、もちろん人々がイエス・キリストの恵みである「罪赦されて永遠のいのちにあずかる」ということです。しかし、それは究極の目的ではありません。イエス・キリストの恵みによって人々が神に感謝し、神の栄光が現われるということが、神の一番の目的なのです。神への感謝が満ちあふれる時、神の栄光が現われるのです。私たちがよく、「神様に栄光をお返しします。神様に栄光を帰します」というのは、やさしい表現をすれば、「神様、ありがとうございます」と感謝し、神様を見上げることです。「神様が私たちの主(あるじ)である」と宣言することです。先週は、「イエス・キリストを宣べ伝える」ということを学ばせていただきました。

今朝は、『すべてが新しくなる』と題しまして、神様からのメッセージをお聞きいただきます。

コリント第二第5章は、「神様との和解」がメインであります。神様との和解をイエス様が成し遂げてくださいました。パウロはその「和解の務め」を、先に救われた私たちが担うべきだと説いています。つまり、「福音を宣べ伝えよ」と励ますのであります。しかし、そのことも、私たちが「イエス様によって新しく造られた者である」ことを自覚するかどうかにかかっています。今朝は、「すべてが新しくなりました」とはどういうことなのか、黙想してみたいと思います。

短くお祈りいたします。(祈り)

まず、5章のメインテーマである、「神様との和解」でありますが、どのようにして、神様と和解せざるを得ないぐらい、神様と私たちの心は遠くはなれていったのでしょうか。そもそもはアダムとエバに遡ります。アダムとエバが創造されたときには、アダムとエバは、常に神様と語らい、神様に従順であったと思われます。ひょっとすれば、自我というものも生まれていなかったのかも知れません。食べてはいけない木の実も、神様がそうおっしゃるからということで、それを疑いもせず、その実は食べなかったのです。しかし、悪魔の化身であるヘビが、まずエバを巧みな言葉でそそのかし、禁断の木の実をアダムにも渡し食べてしまいます。そうすると自我が生まれ、自己中心になり、自分を神の代わりに置き、まず自分の身を守るための嘘を覚えてしまいます。そこから神様との断絶が始まります。それの象徴的出来事が、エデンの園追放であります。またエデンの園を追放されるときに、罪を帳消しにするための動物の血が流れ、アダムとエバがその動物の毛皮を着ることによって、罪がゆるされることを象徴されています。

しかし、アダムとエバが犯した罪は人間のDNAのように入り込み、全ての人間に罪が入り込んでしまいました。このDNAのように組み込まれてしまった罪の性質は、人間の力では、消し去ることはできません。動物のいのちをもってしても、ひとつひとつの犯した罪しか消されません。これでは根本的な救いとはならない、神様の目に「罪なきもの」として映ることはできないのです。そこで、神は御独り子であるイエス様を、人間の身体はもっていても罪が組み込まれていない人間として聖霊によって誕生させました。そして、イエス様をいけにえとして捧げることによって、神の義が成就し、キリスト・イエスを信じる者は、天の御国に戻ることがゆるされるのであります。これが神様から私たちに対して、手を差し伸べられた和解です。

そして、今朝の中心聖句、17節、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」で説くように、「キリストを信じる者はだれでも、キリストにあって古い人が死に、新しい人として再創造されたことになるのです。パウロはそのことをローマ書でも語っています。6章6~10節です。少し長いですが、ご紹介いたします。「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。死んでしまった者は、罪からは異邦されているのです。もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを、支配しないことを私たちは知っています。なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのだからです。」

このところでも分かりますように、私たちの罪は、イエス・キリストと共に十字架に張り付けられ、イエス・キリストの血によって赦され、罪の奴隷から解放され、そればかりか、死者の中からよみがえられたキリストとともに、私たちは新しい人としてよみがえり、歩むことができるのです。

では、私たちは「すべてが新しくなる」とは、本当に頭のてっぺんから足の先まで新しくされたのでしょうか。勘違いをしてはいけないのは、肉体の私たちはそのままであるということです。肉体がそのままだということは、罪の性質もDNAのように組み込まれていますので、罪をおかさなくなるとはいえません。「すべてが新しくなる」とは霊的なことをいっているのです。

つまり、私たちの心の中に、聖霊様がすんでくださり、私たちは罪を犯しにくい性格にかわりつつあります。それ自体で、「すべてが新しくされ」、霊的には、真新しくなるのです。このことは、なかなか実感できないかもしれません。なぜなら、私たちの肉体は、常に罪と隣り合わせにいるからです。その危険を回避し、とどまらせてくれるのは聖霊様であります。

さて、いかがでしょう、天国長屋の八さん熊さん、「すべてが新しくなる」ということ、少しは分かっていただけたでしょうか。

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八: 「すべてが新しくなる」っていうのはよ、霊的なことか。おれはよ、もっとこう体が変わるっていうか、体質が変わるんじゃねぇかと思ってたんだよ。

熊: じゃあ、おめぇは、キリスト・ビフォー・アフターで何か変わったことがあったか、肉体的に。

八: いや、なんもねぇ。だから、俺はほんとうにイエス様信じちゃいねぇんじゃねぇかって思ったこともあった。

熊: それから、どうして納得したんだい。肉体的に、変化のない自分を。

八: ご隠居がいうにはよ、聖書の中にはまだまだ分からねぇことがいっぱいある。全部分かろうなんてぇのは、天の御国に行ってからのことだ。今は、分かんねぇことは、「そのうち分かるようになりますように」ってお願いしておくだけにしてもいいんだってよ。

熊: そうだよ。おめぇはイエス様を信じた。そして今も信じているし、大好きだ。

八: そうだよ。おらぁ、イエス様いのちだ。

熊: それでいいんだよ。後のことはおいおい分かってくらぁな。

熊: おめぇの心は変わった。それが大事なんだ。天の御国に行きゃあ、まったく違った体もいただけるっていう話だ。なにせ、永遠のいのちで不老不死だからな。けどよ、そんなことも、あっち行ってからでいいんだ。こっちはこっちで苦労も心配も十分、俺たちにまとわりついてくる。

八: 明日のことは、明日にまかして、今の俺たちが神様を喜んでるってことが、大事なんだな。けどよ、心であったとしても、「すべてが新しくなった」って、ほんとうに俺の心はそうなったのかね。

熊: 昔っからよく言うじゃねぇか。「心を入れ替えます」って。あれは、心が真新しくなって、なんていうか、リセットされた心を言うんじゃねぇんだと思うんだ。

八: たしかに、心を他人様の心に入れ替えたり、リセットするのは、今までの自分を消すっていう感じだな。今までの自分を消すっていうことはできっこねぇ。

熊: そうなんだよ。だから、「すべてが新しくなった」というのは、心の中心が、自分ではなくて、イエス様になった、つまり、方向転換したんだな。聖霊様が心に住んでくださることで、俺たちの心に新しい風が吹いた。そして、聖霊様が心を掃除してくださるから風通しがよくなった。そうすると今まで見えなかったものも見えて来る。今まで感じなかったことも感じられるようになる。新しい目をいただき、新しい耳や口をいただいたようなもんさ。

八: なるほどねぇ。だから「すべてが新しくなった」って、パウロのだんなは言われたんだ。けどよ、このこと、熊がひとりで考えたのかい、ひょっとして、、、、

熊: ばれたか。ぜ~んぶ、横丁のご隠居のうけうりさ。さすが、八だ。「新生人間、八だな」

八: なんだ、その「新生人間、八」って、「妖怪人間、ベムベラベロ」みたいにいうなよ。

熊: 「新生」っていうのは、「新しく生まれる」って書くんだよ。八も、イエス様を信じた時に、聖霊様がくだって、おめぇの心に宿って下さった。だから「新生」なんだよ。

八: 新しく生まれ変わったんなら、天のいのちの書に、そのように登録してもらっておかねぇといけねぇな。それでないと天に入れねぇかもしらねぇ。

熊: 何言ってんだよ。聖霊様が、すでにイエス様に「申請済み」さ。

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お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「すべてが新しくなる」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちの心は、すでに聖霊様によって新しくされ、新しい目で見えなかったものを見、新しい耳で聞こえなかったものを聞き、新しい口で主に賛美をささげることができるようになりました。感謝いたします。朝ごとに新しくされる喜びと感謝をささげるものでありますよう、お導きください。

この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。