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メッセージ主題:「神のみこころに添った悲しみ」

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第二』

2019時年12月22日

聖書拝読:コリント人への手紙第二7章6-11節(新改訳聖書)

中心聖句:

「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。」(10)

メッセージ主題:『神のみこころに添った悲しみ』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『生ける神の宮』と題しまして、神様からのメッセージを学ばせていただきました。

コリント第二第6章は、キリスト者の生き方を述べています。先週の聖書の箇所は、その後半部分で、クリスチャンは、「生ける神の宮」であることが強調され、クリスチャンとして世と交われない部分があることを示唆しています。先週は、「生ける神の宮」として、世とどうかかわっていくのかを考えさせていただきました。

今朝は、『神のみこころに添った悲しみ』と題しまして、神様からのメッセージをお聞きいただきます。

コリント第二第7章は、「教会の悔い改めをパウロが喜ぶ」が主軸であります。コリント教会では何らかの重大な問題が生じていて、それを悔い改めによって解決したことをパウロは、派遣していたテトスからきき、その知らせとテトスが戻ってきたことを喜んだのであります。そのコリント教会での悲しい問題は明らかにされていませんが、それが益となったようです。神のみ心にそぐわない、世的な悲しみは、死をもたらし、神のみ心に添う悲しみは、永遠のいのちにいたるとパウロは告げます。今朝はこの双方の悲しみを考えてみたいと思います。

短くお祈りいたします。(祈り)

まず、神のみ心に添った悲しみと世の悲しみとはどうちがうのでしょうか。リビング・バイブル訳では10節を次のように記しています。「罪と縁を切らせ、永遠のいのちを求めさせるために、時々、神様は、悲しみを与えます。そのような悲しみを嘆いてはなりません。しかし、クリスチャンでない人の悲しみは、真の悔い改めの悲しみではなく、永遠の死を食い止める力がありません。」

神のみ心に添った悲しみとは、罪と縁を切るための苦痛であります、痛みがあります。罪は時として、私たちにとっては、甘い存在でもあります。それと決別し、神に向かうことになれば、それなりの誘惑を受けることになり、それを悲しみ・苦痛とも考えられます。また、ディボーショナル聖書注解では次のように解かれています。「罪に対する悲しみによって、行動が変わることがある。多くの人々は、罪自体を悲しまず、罪がもたらす結果や、罪をおかしていることがばれることを悲しむ(世の悲しみ)。ペテロの激しい後悔と悔い改めを、イスカリオテ・ユダの悲しみと自殺と比較してみよう。二人ともキリストを否定した。一方は悔い改めて信仰と奉仕に復帰し、もう一方は自殺したのである。」いろいろな注解書にも、このようにペテロの罪に対する悲しみとイスカリオテ・ユダの自殺が取り上げられています。罪からの決別は痛みを生じ、しかしその悔い改めは無にならず、永遠のいのちへと導きます。しかし、ユダは自分がイエスを裏切ったという悲しみだけで、それは自分可愛さの悲しみなのかもしれません。勘違いしないでいただきたいのは、「自殺」がすべて「悔い改めのないものである」とは考えていません。自殺をする時というのは、精神的にも不安程な状態だからです。

私たちキリスト者は、多かれ少なかれ、神に立ち帰り、罪への決別を経験しています。逆に言えば、その決別の痛み(悲しみ)がなければ、救われないのです、永遠のいのちにあずかることはできないのです。本当の意味で、キリストを信じ、受け入れたことにはなりません。キリストを受け入れるということは、罪の自分を中心にもってこないというのであり、キリストに全面降伏し、キリストに支配していただくということでもあります。そして聖霊様によって心の内からの後押しがあり、今までの罪深い自分を追い出すことをしなくてはいけないのです。

それを、私たちは、キリストと共に十字架にかかり、古い自分を十字架にかけ、主キリストと共に死に、罪深い自我を死にいたらせ、キリストと共に目を覚ましたときには、新しい自分にあえるということなのです。それをパウロは「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせます」と表現したのであります。

今日は、天国長屋の八さんと熊さんは、べつの集会にでており、お休みとなっております。ご了承ください。

今日はこれで、メッセージを終わらせていただきます。

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「神のみこころに添った悲しみ」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちは、罪の多い者であり、主イエス様は、私たちを愛していてくださるがゆえに、共に十字架にかかり、死んでくださり、三日目によみがえられました。私たちも罪との決別のときに痛みを覚え、悔い改めへと導かれます。どうか、主が私たちの全てを支配してくださいますように。

この祈りを、主イエス・キリスト様の御名により、今朝の導きに感謝しつつ、皆さまのお祈りと合わせまして、御前におささげいたします。アーメン。

皆様、良いクリスマスをお過ごしください。