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メッセージ主題:『主にあって富む者に』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第二』

2019時年12月29日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌388「いとも良きものを」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「Amazing Grace」

交読: 交読文38:詩篇 第121篇:新聖歌p.910-911

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌40「ガリラヤの風かおる丘で」

聖書拝読:コリント人への手紙第二8章1節~9節(新改訳聖書)

中心聖句:

「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(9)

メッセージ主題:『主にあって富む者に』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『神のみこころに添った悲しみ』と題しまして、神様からのメッセージをお聞きいただきました。

コリント第二第7章は、「教会の悔い改めをパウロが喜ぶ」ことが主軸であります。コリント教会では何らかの重大な問題が生じていて、それを悔い改めによって解決したことをパウロは、派遣していたテトスからきき、その知らせとテトスが戻ってきたことを喜んだのであります。そのコリント教会での悲しい問題は明らかにされていませんが、それが益となったようです。神のみ心にそぐわない、世的な悲しみは、死をもたらし、神のみ心に添う悲しみは、永遠のいのちにいたるとパウロは告げます。先週はこの双方の悲しみを考えさせていただきました。

今朝は、『主にあって富む者に』と題しまして、神様からの語りかけに心をよせさせていただきます。

コリント第二第8章は、自発的な献金、とくに苦難な中にある諸教会への献金を奨励しています。今朝の中心の御言葉のように、主が豊かさを私たちに分け与えてくださったように、私たちも財政的に諸教会をサポートしなければいけないと、パウロは説いています。このように、この8章の主題は、他教会への援助でありますが、そのすすめの中で、パウロの口からポロリと出てきた真理が、今朝の御言葉であります。「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」今朝はこの真理を再確認させていただこうと思います。

短くお祈りいたします。(祈り)

パウロはこの8章の1節~5節までで、ピリピの教会やテサロニケの教会、それにベレヤの教会などを含むマケドニヤの諸教会が、自分たちも非常に苦しい中にありながら、より大変な中にあるエルサレムの教会に献金をしていることを、喜びをもって報告しています。パウロの三回の伝道旅行は、福音を正しく伝え、教会が間違った方向に行かないようにと叱咤激励しながら導くことが主目的であります。しかし、実は、エルサレム教会を支えるための献金集めという目的も兼ねていました。

2節には、4つのキーワードが出て来ます。「苦しみゆえの激しい試練」と「満ちあふれる喜び」、それに「極度の貧しさ」と「惜しみなく施す富」であります。これは、『試練が喜びを導き』『貧しさが施す富を導く』と読めます。

「苦しみゆえの激しい試練」を「患難」だと考えますと、皆さまよくご存知のローマ人への手紙の5章3節~5節を思い出します。「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望には終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」パウロは、「患難さえ喜んでいる」と言っています。この「喜び」とは、2節の「神の栄光を望んで大いに喜んでいます」というのと、11節の「私たちは神を大いに喜んでいるのです」というのと同じギリシャ語が使われていて、実は、この「喜び」は「誇る」という意味だそうです。パウロは、「神を誇り、患難が最終的に希望を生み出すので、患難をも誇る」と主張しているのです。

この8章2節の「満ちあふれる喜び」の「喜び」と「患難さえも喜んでいる」の「喜び」とは、異なる言葉が使われています。「満ちあふれる喜び」は「主を喜ぶ」ことであり、「患難さえも喜ぶ」は「主を誇る」ことであります。しかし、両方とも、「主をほめたたえる」表現なのです。ですから、ローマ書を書いたパウロは、コリント書の中でも、「試練を通して、または試練ゆえに、神をほめたたえることになる」と述べているのです。

『貧しさが、施す富を導く』の中の「施す富」とは、「物惜しみしない、ケチケチしない心」のことです。そしてその富は「あふれ出る」ほどのものであり、つまり、「豊かな心」を表しています。私はこの「豊かな施しの心」を「富」と表現したパウロの気持ちが、イエス様の気持ちと同じだと思えるのです。マタイの福音書6章20節21節では、「自分の宝は天にたくわえなさい。、、、あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」とイエス様はおっしゃいます。まさしく、パウロの、ここでいうところの「富」は、「天の宝」でもあり、「豊かな施しの心」なのです。

「試練が、神によりすがり、神をほめたたえる信心を養い、貧しさが、かえって、施しの心を豊かにする」のです。そして、それは、すべて聖霊の働きによるものです。マケドニヤの諸教会は、自らを誇るのではなく、彼ら自身を主にささげ、主を誇ったのであります。まさに、「誇る者は主を誇れ」(口語訳:1コリント1:31)であります。

パウロは、そのような聖霊の働きの兆しを、コリント教会に見ました。そして、弟子のテトスに、豊かに施し捧げる心を育てるお手伝いをしなさいと励ますのです。6節がそれです。「それで私たちは、テトスがすでにこの恵みのわざをあなたがたの間で始めていたのですから、それを完了させるよう彼に勧めたのです。」

そして、この恵みのわざに、富むようになってほしいゆえに、今朝の御言葉である真理を、「富と貧しさ」の言葉を借りて、パウロは表現します。「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

また、ピリピ人の手紙、2章6節7節では、パウロは次のように述べています。「キリストは神の御姿であられる方なのに、神のあり方をすてることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」これが私たちに示して下さった神の愛であり、神がわたしたちのために貧しくなられたということです。

パウロは、いろいろな書簡の箇所で、このことをもっと具体的に述べています。ひとつの例として、コロサイ人への手紙1章19節~22節をあげてみましょう。「神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたを自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。」

なんという恵みでしょうか。私たちの主は、人間の生身の身体に宿り、私たちの罪をつぐなうために生まれ、十字架にかかり、その血潮によって、わたしたちを清め、神と和解させてくださいました。そして、三日目に死を克服してよみがえり、私たちを永遠のいのちにあずかれる者とされました。私たちの責任は、その主イエス・キリストを信じ、信じ続けることだけです。主を愛し、主をあがめ、主を喜び、主を誇り、主をほめたたえるだけなのであります。

さて、天国長屋の八さん熊さん、「主にあって富む者に」された者として、何か付け足すことはございますか。

――――――――――

八: 主にあって富む者にされた、か。確かにそうだ。俺は、ある歌を聞いて、涙が止まらなかった。

熊: なんだい、八。そんなに悲しい歌があるのかい。

八: いやいや、悲しくて泣いたんじゃないんだ。有難くて泣いたんだよ。

熊: それって、どんな歌だい。

八: サビの部分はこんな感じだ。

♬「主は豊かであったのに、貧しくなられた。わたしたちが主によって、豊かになるために」♬

熊: なるほどねぇ、その歌のタイトルはなんだい。覚えてるかい。

八: たしか、「主は豊かであったのに」だったと思う。

熊: そんな、今日の御言葉にぴったしの歌があったんだね。

八: ところで、熊は、「主にあって富む者」とされて、思い出すのは何かあるかい。

熊: 俺は、やっぱり、ヨハネの15章だな。あの「ぶどうの木」のところさ。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」「多くの実を結ぶ」てぇのはいいじゃねぇか。御霊の実が多くなるってぇのもいいけど、俺にとっちゃ、「多くの実を結ぶ」ってぇのは、「人生が豊かになる」ことだと思ってるんだ。

八: なるどほね、ところで、御霊の実ってぇいうのは、あれだろ。ガラテヤ人の手紙のところだよな。

熊: 5章の22節23節さ。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」九つだな。

八: こんな実が全部実れば、嬉しい限りだ。でもよ、俺は、同じヨハネの15章だったら、7節の方がいいな。「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。」主にあって、求めるものはなんでもかなえられるんだぜ。

熊: それは、イエス様のことばにとどまってという条件がついてるからな。マタイの福音書の箇所と同じだよ、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらの(必要な)ものはすべて与えられます。」(6:33)

八: あれれ、そうすると、「イエス様にとどまり、イエス様のことばが俺たちにとどまる」ということと、「神の国とその義とをまず第一に求める」ということと同じじゃねぇか。どっちも必要は満たされる。

熊: そうさ、「神の国と神の義を求める」ということは、「イエス様のことばが俺たちにとどまる」というのと同じことなんだよ。つまり、この聖書のことばにとどまるということが全てなんだ。だから、俺たちは毎日聖書を読むんじゃねぇか。

八: だよな。聖書を読んで、主の御心がなになのかを黙想するっていうのが、日課になれば、大したものさ。

熊: 一日一章で、聖書を一冊読み終えるのに3年、一日三章なら1年だ。

八: 俺は今んところ、一日一章だけど、新しい年からは、一日三章読もうとしてるんだ。

熊: おお、言ったね。言ったら最後、やり通さねぇとな。分かってるかい、八。

八: そのつもりで言ったんだよ。まだ年は明けてねぇけど、新年の抱負だ。熊はどうなんだい。

熊: 俺は、聖書はもう一日三章読んでるから、そのペースでいいんだけど。クリスマスのプレゼントにカレン・ムーアという人の「1分間の黙想:心からの祈り」っていうのをいただいたから、それを毎日、読み続けようと思ってんだ。

八: 熊、おめぇ、以前に同じタイトルのもの読んでなかったか。

熊: ああ、あれは、バウンズさんの「1分間の黙想:祈りの力」ってぇやつさ。あれは、2年間まわし読みしたよ。今回もそうしようとは思っているんだけどな。

――――――――――

あらら、八さん、熊さん、話が新年の抱負になってしまいましたね。三日坊主に終わらないでくださいよ。ところで、話をもとに戻しますと。「主にあって富む者」とされるには、勿論、聖書を毎日読んで、黙想して、いつもイエスさまと会話することが一番でしょう。そして、いつも「イエス様ありがとうございます」って感謝し、喜んでいることです。主にあって富む者は、主を喜んでいるはずです。主にあって平安があるはずです。「静まって、雑念をすてて、主と語り、主を知る、主と交わる」ことが大切です。皆さまが、主にあって富む者でありつづけますように。また、この世の富ではなく、天の富に心を向けることができますように。また隣り人の必要を満たすべく、私たちに、施しの豊かな心が育まれますように、私たちの祈りがそのように変えられますように。

ただいまより4分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「主にあって富む者」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。常に主を思い、主と語り合っている者とさせていただきましょう。

黙想の前に、マタイの福音書7章7節8節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す物は見つけ出し、たたく者には開かれます。」

(4分間黙想)As the deer - Maranatha! Singers Music (instrumental)

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「主にあって富む者に」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。主にあって、天の宝に心を向け、主を仰ぎつつ、豊かに献げる心が与えられますように。主の御名を賛美しつつ、このお祈りを御前におささげ致します。アーメン。

賛美:新聖歌105「栄えの冠を」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

As the deer - Maranatha! Singers Music (instrumental)

https://www.youtube.com/watch?v=Y2ol3722r7I

Amazing Grace

Amazing grace how sweet the sound

That saved a wretch like me.

I once was lost but now am found,

Was blind but now I see.

(訳)

アメージング・グレース  何と美しい響きであろうか

私のような者までも救ってくださる  道を踏み外しさまよっていた私を

神は救い上げてくださり  今まで見えなかった神の恵みを  今は見出すことができる

https://www.youtube.com/watch?v=rO5GSLWodxo

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。