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メッセージ主題:『主を誇る』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コリント人への手紙 第二』

2020時年1月12日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌248「人生の海の嵐に」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「御腕にいだいて」

交読: 交読文40:詩篇 第126篇:新聖歌p.911-912

十戒:末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌203「ああイエス君、こよなき友よ」

聖書拝読:コリント人への手紙第二10章17節~18節(新改訳聖書)

中心聖句:

「誇る者は、主にあって誇りなさい。」(17)

メッセージ主題:『主を誇る』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『喜んでする献金』と題しまして、神様からの御声に耳をかたむけさせていただきました。

コリント第二第9章では、パウロは、困難の中にあるエルサレム教会の支援のための献金をうながしています。キリスト教会では、よく献金が問題となり、それに躓く人がでます。それは、「什一献金」という目安があるからです。先週は、この献金について、主に導いていただきました。

今朝は、『主をほこる』と題しまして、神様からのメッセージをお聞きいたします。

コリント第二第10章では、パウロが誇りとするものについて述べられています。これは、コリント教会の中の一部に、自分を高くし、他人を見下したり、扇動したりする人がいて、そのことで教会に混乱が生じているからです。今朝は、パウロのいうところの「主をほこる」とはどういうことなのか、考えてみたいと思います。

短くお祈りいたします。(祈り)

パウロは、言います。3節「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。」

私たちは生きています。手を動かし、足を動かし、体を動かして、一日一日を過ごしています。これは、「肉にあって歩んでいる」ことでしょう。私たちは全員、肉にあって、この世で生きています。では、「肉に従って戦う」とはどういうことでしょうか。この表現には二つに要素があります。「肉に従う」ということと「戦う」ということです。しばらく、この二つの要素を考えたいと思います。

●「肉に従う」

パウロはローマ書8章で、「肉の思い」について次のように述べています。

6節「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」

7節「肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。」

8節「肉にある者は神を喜ばせることができません。」

9節「けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

13節「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」

肉の思いは魂の死であり、神に対して反抗し、神に喜ばれないものです。そして、肉の思いを制御できるのは、私たちの中に住むキリストの御霊だけです。

まだ、少しわかりにくいですね。パウロは7章のところで、自分自身の事として「肉の思い」を語っています。

18節「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。」

19節「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。」

最後のパウロの19節の言葉で、「肉の思い」とは「悪い思い」であると示唆しています。

私たちは、人に親切にしたいと思っているのに、かえって意地悪をしてしまったり、また、謝りたいと思いつつ、また言い合いになってしまったりと、また困っている人を助けたいと思っているのに、目の前にいる人に席をゆずることのできない自分がいます。それらはみな、肉の思いであり、「肉に従う」とは、その「肉の思い」に抵抗せず、かえって服従してしまうことです。

そして、私たち自身は弱く、肉の思いに抵抗できずにいますが、キリストの御霊が心に宿れば、キリストがその肉の思いに対して、私たちを助け、抵抗する力が与えられ、ともに戦ってくださるのです。

そして、「肉に従って戦う」の「戦う」とは、この厳しい世の中を「生きる、生き抜く」という意味がこめられているのでしょう。キリスト者は、キリストの御霊を内に宿していますから、キリストの御霊にある力によって、肉の思いに対して抵抗しつつ、かつ、キリストの御霊にある平安によって、肉の思いの影響から逃れられるように導かれるのであります。

自尊心や虚栄心も「肉の思い」であります。私たちは、ほかの人の目を気にしているときが多々あります。それは、「肉の思いに従っているとき」だともいえるでしょう。私たちは、弱いということを理解すべできです。私たちは誘惑にも弱く、自尊心や虚栄心をくすぐられると、抵抗できません。ですから、自分が弱いと悟った時こそ、主が万能の力を配して、私たちを強くしてくださるのです。パウロは、自分自身の肉体的弱さを通して、主に自らを降伏し、主にすべてをあずけるという境地に立たされたことを告白しています。2コリント12章です。

9節「主は『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」

10節「ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです。」

『弱い時にこそ、強い』パウロは、2コリント10章で、「私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。」とキリストの御霊の力を表現しているように、私たちの助け主である御大将は、この世の創造主であり、私たちを罪から買い取られたお方なのです。

弱い私たちが何かを成し遂げるわけではありません。私たちの神、主の助けがあってこそであり、私たちに勝利がもたらされるのは、主が働いていてくださるからなのです。まさに、自分で自分を推薦するものではなく、「誇る者は、主にあって誇りなさい」口語訳では「主を誇りなさい」とある通りなのであります。肉の思いと戦うためには、キリストの御霊の力と平安が必要です。そのためにも、常に主を誇り、主に栄光をお返しするものとさせていただきましょう。

さて、天国長屋の八さん熊さん、「主を誇る」と言ったら、どのように誇りますか。

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八: 「主を誇る」っていうのは、「俺の信じている神様はすげぇんだぞ」っていうことだよな。ということは、つまりはなんだ、神様に感謝することが神様を誇るっていうことじゃねぇのか。

熊: でも、「感謝」っていうのは、神様がしてくださったこと、またこれからしてくださることに「感謝」するってぇことだろ。けど、「神様ってすげぇんだぞ」って言うことは、神様の御名をほめたたえることじゃぁねぇのかな。だから、キリストの呼び名を言うことも「主を誇る」ことにならねぇか。

八: たとえば、どんなだ。

熊: そうだなぁ、「主の主、王の王」、「救い主」、「贖い主」、「神の子」、「裁き主」、「平和の君」、「命のパン」もっとあるよな。

八: その呼び名を言うことも、「主をほめ、主を誇る」ことになるかもしれねぇ。

熊: 主をほめる、っていうことと、主を誇るっていうこととは、結局同じことかもしれねぇな。

八: そうすると、「主に栄光をお返しいたします。」とか、「主に栄光を帰する」というのと同じことなのかも知れねぇな、「主を誇る」っていうのはよ。

熊: 「主に栄光をお返しします」とか「主に栄光を帰する」っていう表現は結局、感謝の表現じゃぁねぇか。あれあれ、結局、「感謝」に戻ってきちゃったよ。

――――――――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。感謝も主を誇ることの一部でもあるのでしょうね。

主を誇る、主の御名を賛美する、主の御名をほめたたえる、主に栄光をお返しする、すべてが主をあがめることなのでしょう。

ただいまより3分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「主を誇る」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。一生懸命つくしている自分をほこるのではなく、私たちの助け主、贖い主なるイエス様を大いに誇り、主の御名をあがめましょう。

黙想の前に、ルカの福音書10章21節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」

(4分間黙想)Praise the Lord - Maranatha Singers (instrumental)

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「主を誇る」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちが、自分を誇るのではなく、常に主を誇り、主の御名をあがめ、主に栄光を帰すことができますように。主イエス様の御名により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌332「主はまことのぶどうの木です。」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

Praise the Lord - Maranatha Singers (instrumental)

https://www.youtube.com/watch?v=j7rF3foJsRo

●御腕に抱いて 

いま主よ わたしの心に触れて  あたなの御腕に 抱いてください 

いま主よ わたしの心に触れて  あたなの御腕に 抱いてください 

すべてのつかれた人よ、おもに悩み負う人よ 

イエスのまえに出て行こう、すべてをいま手ばなそう

repeat×1 

repeat×2 

あなたの愛に飛び込みます。かならず受け止めてくれるから

あなたの腕に飛び込みます。かならず受け止めてくれるから 

repeat×1 

repeat×2

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。