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メッセージ主題:『新しい創造』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ガラテヤ人への手紙』

2020時年3月15日

礼拝前祈祷:8:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:9:00

賛美: 新聖歌397「神の御子にまうイエス」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「静まって知れ Still」(末ページに記載)

交読: 交読文48:イザヤ第35章:新聖歌p.917-918

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌203「ああイエス君 こよなき友よ」

聖書拝読:ガラテヤ人への手紙6章11節~18節(新改訳聖書)

中心聖句:

「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。割礼を受けているかうけていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」(14-15)

メッセージ主題:『新しい創造』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『御霊によって歩む』と題しまして、神様からのメッセージをお聞きしました。

ガラテヤ書の5章は、「キリストによる自由」と「御霊による信仰の営み」のことが記されています。パウロは1節で「キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。」と宣言しています。何からの解放かと申しますと、ユダヤ人に対する律法からの解放であります。律法を守ることによって、神から義と認められると信じ、その義を全うすべく、律法に従っていたのですが、従えば従うほど、自らの罪が見えてきて、罪人であることが分かってきてしまい、罪の奴隷であり、律法の奴隷であることに苦しめられます。しかし、イエス様の十字架によって、その罪から、律法から、解放されたのであります。そして、パウロは、いったんイエス様によって自由の身となった限りは、愛をもって互いに仕えなさい、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」と律法の基本精神を持ち出して、愛を説きます。そして、そのことは、「御霊によって歩むこと」が絶対条件であると述べるのであります。先週は、その「御霊によって歩む」ことを、主に学ばせていただきました。

今朝は、『新しい創造』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けたいと思います。

ガラテヤ書の6章は、「誇る」ことを中心に、「信仰に基づいた助け合い」とこの手紙の結びの部分である「世と決別して新しく生まれ変わる」ことが記されています。パウロは2節で、「互いの重荷を追い合う」ことを強調し、真の誇れるものとは、自分も相手も誇れるものであるべきだと主張します。それが、14節でいうところの「主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものがあってはならない」というところにつながります。「主を誇る」とは、主の御業に感謝し、主の御名を賛美しあがめることです。すべては主の御業であるとすれば、私たち人間には主以外になにも誇るものはありません。ですから、パウロは1コリント1:30-31で「あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。まさしく、『誇る者は主にあって誇れ。』とかかれているとおりなるためです。」このように、主を誇るものとなりなりなさいと勧められています。そして、ガラテヤ6章15節では、「大事なのは新しい創造」であると説きます。今朝は、その新しい創造」のことを考えたいと思います。

短くお祈りいたします。(祈り)

パウロの言う「新しい創造」には、神様が人間をお造りになられた、アダムとエバのことを思い起こされます。アダムとエバは、はじめ罪のない人間でしたが、悪魔の誘惑によって、神を頼りとしない罪が入ってきてしまいました。罪の結末は死です。しかし、人間が死を迎えることだけでは、天の御国にはいることはできません。主イエス・キリストの十字架による贖いがあってこそ、私たちは主の共に、私たちの罪を十字架につけ、主とともに死からよみがえって、永遠のいのちにあずかることのできるものとされました。ここに「新しい創造」があります。主を信じた時点で、聖霊様が私たちの心に宿ってきてくださり、私たちを罪の奴隷から主の友とされたのです。それこそが、「新しい創造」であります。

しかし、この「新しい創造」には、「世との決別」が含まれます。それをパウロは14節の後半で次のように記しています。「この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」「十字架につける」とは死を意味し、決別を意味します。ですから、私たちは、この世との決別をしないかぎり、私たちの中で「新しい創造」が完成されません。

「この世との決別」とは、なにも、この世と肉体的に離れ、隠遁生活をすることではありません。そんなことをすれば、福音は伝えられなくなります。私たちはこの世にいてこそ福音が伝えられるのです。ですから、心において、この世と染まってはいけないということであります。心が天になければなりません。それを可能にさせていただくのは、私たちの心の中に住みたもう聖霊様だけです。ですから、私たちの信仰的努力は「新しい創造」には、まったく関係ありません。神様からの憐みであり、恵み以外のなにものでもありません。

しかし、その「その新しい創造」の恵みをうけるには、「私が世界に対して十字架につけられる」こと、先ほどからしつこく言っていますように、「この世との決別」という決心が必要なのです。そして、それは厳しくなる場合があります。

例えば、ロトの妻の場合がそうです。主はソドムとゴモラの町を滅ぼしますが、唯一助かるロト家族のうち、ロトの妻は、「うしろを振り返って、ソドムとゴモラの町を見てしまいます」彼女はソドムとゴモラの町の暮らしに心をとらわれてしまい、後ろを振りむいてしまったのです。ロトの妻はたちまち、塩の柱になってしまいました。生き物が生存できない塩の柱に、永遠の死に。「この世との決別」の決心がにぶれば、永遠の死に至るのです。(創世記19章26節)

この世と決別することを決心し、「新しい創造」が始まれば、必ず心の変革が行われます。日ごとに新しくされます。当然、いろいろな信仰的つまずきも失敗もあるでしょう。しかし、主は私たちが主の方を向いていさせすれば、主の憐みによって、朝毎に新しくされるのです。前日のことは忘れて、気持ち新たに、今日という日のスタートがきれるのです。なんという恵みでしょう。

主は昨日までのことは忘れてくださるのです。主は昨日ではなく、明日でもない、今日を大切に行きなさいとはげましてくださるのです。

天国長屋の八さん、熊さん、おふたりは「新しい創造」についてどう思われますか。何を期待されますか。

――――――――――

八: 「新しい創造」って聞いただけでもワクワクするねぇ。俺たちが、まったく新しくされるてんだがら、けど、どう新しくなるのかな、なぁ、熊。

熊: そうさなぁ、パウロの旦那は、このようにも言ってる。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

八: おう、それは、2コリントの5章17節のところだろ。イエス様が死んで生き返ったのは、自分のために生きていた俺たちを、神様のために生きるものにするためだ、ってぇことだろ。

熊: そうだけど、なんか分かったような分からねぇ説明だな。つまりは、自己中心的にわがままに生きていた者を、神を中心とした生き方に変えてくださる、神様とともに生きる者としてくださる、ってことだよな。

八: そうだよ。だけどオメェの説明も難しいやな。もっと簡単に言えば、罪の奴隷だったものが、イエス様によって、ともに神の子とされたってぇ、ありがてぇことだよな。

熊: 罪の奴隷が神の子か、いいね、それ。つまりは、罪から解放された者となった、ってぇことだな。それが、新しい創造ってこったな。けど、俺たち、どう新しくなったんだろ。

八: もちろん、この体が変わったわけじゃねぇ。けどよ、イエス様を信じてから、喜んでいる時間が増えてないかい。俺は、「感謝です」ってぇ言葉をしょっちゅう言うようになった、って、周りの連中が言ってるな。

熊: 俺もだよ。「なんかあったら、神様ありがとうだな、熊は」って、冷やかされてるぜ。でも、悪い気はしねぇ。だって、神さま、天のお父様ありがとうっていう気持ちでいっぱいだからな。

八: それに、「この世と決別する」っていうのも、俺たちぁ、この世で生きてるから、そりゃ無理だ。けど、見ている方向が前とは違うと思うんだ。以前は、どっちの方向も向いていなかったような気がする。けど、イエス様を信じてからは、常に神様イエス様の方を向くようになったと、俺はおもうんだよな。

熊: 俺はいつも、「イエス様だったらどうなさいますか」って、どんなことでも尋ねるようになった。イエス様は神の御子で正しいお方だ。その正しいお方に、常にお伺いをたてる、そうすると、俺の行動もつねに正しくなるんだな。もちろん、失敗もある。お尋ねしなくて、行なった時には、つまり自分の思いだけで突っ走ったときは、失敗することもある。でも、そんなときでも、イエス様はちゃんと導いてくださる。なんか、カーナビのように、道に迷ったら、一番いい方法で、目的地につくように誘導してくださる。感謝だねぇ。

八: もう、そう思って感謝している時点で、もう新しい創造は始まっているんだねぇ。俺たちゃ、今は完璧じゃねぇ。けど、毎日毎日、造り変えられてんだな。毎日、新しくされてんだ。

熊: だから、明日のことを心配しなくても、また昨日のまでのことをくよくよ考えなくてもいいんだ。今日のこと、今のことだけを、イエス様とともに歩ませていただければ、いいんだよ。

八: もちろん、今日のことは、明日につながるかもしらねぇ。だけど、今を喜んでくらさなくっちゃいけねぇ。明日につなげるためにもな。

熊: 毎日が、新しい創造さ。だから、今日という日を神様とともに楽しまなくっちゃいけねぇ。

八: 毎日を神様とともに喜び、楽しむ。これが、俺たちの「新しい創造」なのかもしらねぇな。

牧師さん、俺たちの「新しい創造」はこんな感じだ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。毎日が「新しい創造」、毎日を神様とともに喜び、楽しみながら歩む、それが「新しい創造」。本当にそうですね。毎日を神様と一緒に歩まなければ、損です。せっかく、神様は、私たちに毎日、神様に感謝できることをくださっているのに、それに気が付かずに通り過ぎてしまうなんで、大損です。「すべてのことに感謝する」とは、感謝することはすでに神様によって備えられているのです。それにどれだけ多く気が付くことができるか、それが私たちに課せられているのです。八さん、熊さんは、以前より「感謝することが増えた」とおっしゃいましたが、本当は、八さん熊さんの心の目が変えられて、「感謝することが見えてきている」のです。「感謝する出来事」が増えたのではなく、「感謝する心に、その気づく心に」変えられてきているのです。すでに、神様の新しい創造が、イエス様を信じる者に始まっているのです。

日本語で「目からうろこ」という表現がありますが、まさに「新しい創造」では、そのうろこがはげ落ち続けるのです。心が新しくされ、神様の業がどんどん見えてくるようになり、感謝をささげることが多くなるのです。ですから、それを見逃さないように、皆様も、一日一日を大切にし、私たちの主イエス・キリストを喜ぶ一瞬一瞬であってほしいと思います。

ただいまより4分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「新しい創造」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。どうか、私たちの心の目が新しくされ、主を喜ぶ、主に感謝することがらに多く気づくことができますように。恵みはすでに、私たちの周りに十分に備えられています、それを気づき、感謝する一日一日でありますように。黙想の中で、私たちを、お導きください。

黙想の前に、マタイの福音書10章38節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。」

(4分間黙想)Abide With Me - Audrey Assad

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「新しい創造」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちは、この世に心をよせるのではなく、イエス様の方にいつも目を向け、そのことによって、心の目のうろこが一枚一枚はがれおちるように、「気づき」が与えられ、私たちの周りにすでに備わっている父なる神様からの恵みに気づき、感謝をささげる者となりますから、ありがとうございます。どうか、私たちがより一層、主を喜ぶことができますよう、一日一日を大切に過ごすことができますよう、お導きください。

主イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌398「新しき地に」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

Abide With Me - Audrey Assad

https://www.youtube.com/watch?v=84YASWe3_2Q&list=RD84YASWe3_2Q&start_radio=1

 

 

●静まって知れ Still

 

御翼の 陰に隠し 力ある 御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

キリストの 中に憩い 信頼と 主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。