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メッセージ主題:『神の豊かな恵み』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『エペソ人への手紙』

2020時年3月22日

礼拝前祈祷:8:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:9:00

賛美: 新聖歌101「イエスよ十字架に」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「静まって知れ Still」(末ページに記載)

交読: 交読文49:イザヤ第40章:新聖歌p.918-919

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌198「God Bless You」

聖書拝読:エペソ人への手紙1章3節~14節(新改訳聖書)

中心聖句:

「神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。」(5-7)

メッセージ主題:『神の豊かな恵み』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『新しい創造』と題しまして、神様からのメッセージをお聞きいたしました。

ガラテヤ書の6章は、「誇る」ことを中心に、「信仰に基づいた助け合い」とこの手紙の結びの部分である「世と決別して新しく生まれ変わる」ことが記されています。パウロは2節で、「互いの重荷を追い合う」ことを強調し、真の誇れるものとは、自分も相手も誇れるものであるべきだと主張します。それが、14節でいうところの「主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものがあってはならない」というところにつながります。「主を誇る」とは、主の御業に感謝し、主の御名を賛美しあがめることです。すべては主の御業であるとすれば、私たち人間には主以外になにも誇るものはありません。ですから、パウロは1コリント1:30-31で「あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。まさしく、『誇る者は主にあって誇れ。』とかかれているとおりなるためです。」このように、主を誇るものとなりなりなさいと勧められています。そして、ガラテヤ6章15節では、「大事なのは新しい創造」であると説きます。先週は、その新しい創造」のことを考えさせていただきました。

今朝は、『神の豊かな恵み』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けたいと思います。

エペソ書は、パウロがローマの獄中で書いた書簡の一つで、紀元61年ごろと言われています。イエス様が天に戻っていかれて30年弱たっていたころです。その頃は、イエス様の教えや恵みから離れた異端がはびこっていました。それを危惧したパウロは、獄中から書簡を送りつづけました。その一つがエペソ書です。エペソ書の中心は神の救いのご計画と、キリストの体としての教会についてであります。

エペソ書1章は、「キリストによる神の恵み」のことが強調されています。キリストによる、私たちに対する神の恵みは、世界の創造のときから決められていることであって、キリストによって、私たちは神と和解することができ、神の恩恵にあずかり、喜びに満ちた人生を歩むことが約束されているのです。その満ち溢れる恵みは、ただただ、御子イエス・キリストの救いの福音を信じ、聖霊を受けることで、私たちに降り注がれるのです。今朝は、その「神の豊かな恵み」を考えたいと思います。

短くお祈りいたします。(祈り)

まず、3節でパウロは、「神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」と、これから語る祝福について、総括のようなものを述べています。私たちは、天にあるすべての霊的祝福を得られるとしています。では、どのような祝福を私たちは期待できるのでしょうか。

神の選びとしての祝福

4節では、「神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました」とありますように、私たちは私たちが生まれる前から、選ばれていたということです。では、何に対して選ばれたのかと申しますと、「御前で聖く、傷のない者」つまり、キリストによって、「罪のない者」とされるということです。ここでもそうですが、私たちの努力で選ばれたのではありません。私たちの生まれる以前から、神の憐みによって、選ばれたのであります。ですから、誰が偉いとか、偉くないとかという問題ではありません。

この選びは、御子イエス様の行動と言葉に表れています。イエス様は福音を述べ始められたガリラヤ湖畔で、漁師であったペテロとアンデレ兄弟を、そして同じく漁師であったヤコブとヨハネ兄弟を選ばれました。彼らは努力したから弟子となったのではなく、イエス様が彼らの霊的資質を見抜いて、弟子とされたのです。そしてイエス様は次のようにおっしゃいました。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。」(ヨハネ15:16)イエス様の選びには、福音宣教と証人としての人生という目的がありました。そして、その目的とは、神の栄光をたたえること、神の栄光が現わされることでありました。

罪なき者とされる祝福

「御前で聖く、傷のない者」キリストによって、「罪のない者」とされる祝福です。私たちは、アダムとエバ以来、罪が私たちのうちに、DNAのように継承され、私たちは、生まれながらにして罪人でありました。ここでの罪人とは、神から離れてしまったという根本的な罪でありました。そして、神様とは断絶したままでありましたが、イエス様という仲介者をへて、イエス様の十字架によって罪を、御自らの血潮によって、神様との和解が成立させてくださったのです。そのことをパウロは次のように説いています。「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。」(ローマ5:8~10)「罪のない者」にされるということは、「救いにあずかる」ということでもあります。

神の子どもとされる祝福

私たちキリスト者は、イエス様の十字架の犠牲の血によって、私たちの罪は贖われ、神の子どもとしての資格をえました。もちろん、これも私たちの努力では全くなく、神様からの愛ゆえであります。そのことを実現してくださるのが、私たちの内なる心に住みたもう聖霊様です。聖霊様は、私たちがキリストを信じると告白した時点で私たちの心に住まれます。それはイエス様からの尊いプレゼントでもあります。イエス様は次のようにおっしゃいます。「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしはあなたたがにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」(ヨハネ14:26~27)聖霊様によって、私たちには、天の知恵と平安が与えられ、そして、イエス・キリストを通して、神の子とされるのです。ヨハネは次のように証しています。「この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)パウロもエペソ1章4節で、次のように言っています。「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」イエス様は私たちを友と呼ばれ、兄弟姉妹と呼ばれ、聖霊様を通して、私たちを神の子とされたのです。

主を喜び、今を生きる祝福

イエス様は、聖霊様を通して、私たちを神の子とされました。しかし、それは来(きた)る天の御国でのことだけではありません。もうすでに神の子としての祝福を、今、受けているのです。聖霊様を通して、イエス・キリストとつながっているということは、イエス・キリストの愛を今いただいているということです。イエス様はおっしゃいます。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。、、、わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。」(ヨハネ15:9&11)主を喜ぶとは、主の愛の中にとどまり、主が愛したように、私たちも互いに愛し合うことです。それが、イエス様の戒めであり、主を喜ぶことでもあるのです。

また、この世は、神様の恵みと慈しみであふれています。もちろん、いろいろなマイナス面もございます。しかし、それもすべて神様のご計画のうちにあります。乗り越えられない試練はございません。また、そのための脱出の道も備えてくださっています(1コリント10:13)。これこそ、主の祝福なのです。今日という一日を、主に感謝しつつ、主を喜びましょう。

天国長屋の八さん、熊さん、おふたりは「主の恵み」を今、楽しんでおられますか。

――――――――――

八: 俺は、神様の憐みで、イエス様によって救われた。そして、聖霊様は、今も俺の心の中で働いていてくださる。ありがてぇなぁ。俺の心の目を開いてくださって、あれもこれも神様の恵みだって思えるようにしてくださったよ。

熊: そうだよな。イエス様を信じて、本当の神様に感謝することを覚えた。毎日が感謝であふれてらぁ。

八: 実はよ、俺は、コロナウィルスは嫌えだよ。だけど、この状態をお許しになったのも神様だ。集会がいけねぇってんで、教会も人が集まっての礼拝を自粛しだした。その代わりに、インターネットを使って礼拝をしたり、家庭集会のように少人数での礼拝をもったり、いろいろとてさぐりで動き出してる。

熊: そうだよな。教会に行きたくても行けなくなった。だからかも知れねぇけど、教会での礼拝ってなんだろうって思うきっかけにもなってる。当たり前のように、日曜日の礼拝に出かけてたけど、その当たり前が、実は当たり前じゃなかったんだ、教会で一緒に神様を礼拝できるのも、また神様の恵みだったんだよな。

八: それと、教会に行って礼拝するだけが、礼拝じゃねぇってことがわかってきた。もちろん、みんなで集まって、神様に賛美と祈りをささげ、神様からのメッセージを聞くっていうことも大事だけどな。けど、以前牧師さんが言っていた、いつでもどこでも礼拝、四六時礼拝、って言うのを考えてみてくださいって、あの言葉を思い出したよ。

熊: 「また来週」って言って、教会を後にしていたけど、また来週来れるっていうことはないかもしれねぇ、っていうことが、目の前に、突き出された。「また来週」っていう確証は、実は、もろいんだ。だから、四六時礼拝をすることによって、「主に今を感謝し、今日、主を喜ぶ」ってことが大事なんだってな。

八: 救われたのも、イエス様を個人的に信じて救われた。だから、礼拝も実は個人的なものなんだって、最近教えられたよ。なんとなく、日曜日は教会に行って礼拝するっていうのが習慣になってたけど、今回、神様はコロナウィルスを通して、礼拝の意味を、個人個人考え直しなさいっておっしゃっておられるような気がする。

熊: 「人間、一人で生まれ、一人で死んでいく」生死もものすごく個人的だって、誰かが言ってたけど、今日のメッセージじゃ、俺たちゃ、ずっと昔っから選ばれてんだ、神様に目をかけられてんだよ。つまり、「一人で生まれ、一人で死んでいく」んじゃなくて、「神様の恵みでこの世に生まれ、神様の恵みでこの世を去っていく」そして、俺たちには、天の御国での永遠のいのち、神様との永遠の交わりが保証されてんだ。だからこそ、四六時礼拝をしつつ、今、主を喜ぶことが大事なんだって思えたんだ。「主の恵み」として、感謝することはいっぱいあるし、これからもっと心の目がひらかれて、もっと感謝することがでてくるだろう、けど、一番の恵みは、「主を礼拝すること」だって、今日は思わされた。四六時礼拝こそが、俺にとっちゃ、一番の恵みさ。牧師さん、こんなところでいいかい。

――――――――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。先週も言ってましたね。毎日が「新しい創造」、毎日を神様とともに喜び、楽しみながら歩む、それが「新しい創造」だって。今日は、「主に礼拝をささげる」そのことが「主の恵み」であり、毎日の一番の恵みであるとおっしゃってくださって、感謝いたします。四六時礼拝。私も、本当に、これが一番の主の恵みだと思っています。常に、主と交わり、主の平安のなかに自らを置き、主の御手のなかで憩う、主の御名を賛美し、あらゆることにおいて主に感謝をささげる。神様によって生かされているという実感が得られます。それこそが、四六時礼拝であります。この世界は、神様の豊かな恵みで満ち溢れています。個人的にはつらいことも悲しいこともありますが、神様のあふれんばかりの恵みの中に私たちがいることも事実です。どうか、主を見上げ、主の恵みに感謝し、主を礼拝する一日一日でありますように。

ただいまより4分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。今朝の「神の豊かな恵み」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。私たちの心の目がもっと開かれ、主の御業を感じることができ、主を礼拝することこそが、主の一番の恵みであることに気づかされますように。今からの黙想の中で、私たちを、お導きください。

黙想の前に、マルコの福音書10章15節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」

(4分間黙想)How Can I Keep From Singing - Audrey Assad

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「神の歌かな恵み」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。いつも主を礼拝する、いつでもどこでも主と交わりをもつ、四六時礼拝を私たちが心がけ大事にしていくことができますように。私たちの最大の恵みは礼拝にあるということに気づかされましたから感謝いたします。

主イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌20「主の真実はくしきかな」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

How Can I Keep From Singing - Audrey Assad

https://www.youtube.com/watch?v=Li2hddmy63U&list=RDLi2hddmy63U&start_radio=1

 

 

●静まって知れ Still

 

御翼の 陰に隠し 力ある 御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

キリストの 中に憩い 信頼と 主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。