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メッセージ主題:『恵みによる救い』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『エペソ人への手紙』

2020時年3月29日

礼拝前祈祷:8:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:9:00

賛美: 新聖歌2「たたえよ救い主イエスを」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「静まって知れ Still」(末ページに記載)

交読: 交読文50:イザヤ第53章:新聖歌p.919-920

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌231「いさおなき われを」

聖書拝読:エペソ人への手紙2章1節~9節(新改訳聖書)

中心聖句:

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身からでたことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(8-9)

メッセージ主題:『恵みによる救い』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『神の豊かな恵み』と題しまして、神様からのメッセージを心にきざみました。

エペソ書1章は、「キリストによる神の恵み」のことが強調されています。キリストによる、私たちに対する神の恵みは、世界の創造のときから決められていることであって、キリストによって、私たちは神と和解することができ、神の恩恵にあずかり、喜びに満ちた人生を歩むことが約束されているのです。その満ち溢れる恵みは、ただただ、御子イエス・キリストの救いの福音を信じ、聖霊を受けることで、私たちに降り注がれるのです。先週は、その「神の豊かな恵み」そして、コロナウィルスがゆえに見えてきた「恵みである礼拝」「四六時礼拝」のことを考えさせていただきました。

今朝は、『恵みによる救い』と題しまして、神様からのメッセージに心を向けたいと思います。

エペソ書2章には、「滅びから救いへ:死から命へ」と「ユダヤ人も異邦人もキリストにおいて一つ」ということが示されています。今朝はその初めの部分の「救い」について主に導いていただきます。まず、「救い」とはどういう意味合いのものでしょうか。「悲しみからの救い」「貧しさからの救い」「病気からの救い」「悩みからの救い」、私は、「救い」とは、何か肉体的精神的、または霊的に縛られ苦痛からの解放ともいえるのではないかと思っています。その「救い」とも「解放」とも言える、神様からの恵みを、今朝は考えてみましょう。

短くお祈りいたします。(祈り)

パウロは1節で、私たちは、「自分の罪過と罪との中に死んでいた者」であると説きます。これは霊的な死を意味します。罪ゆえに神様から離れてしまっている状態、神の存在を知らず真の平安と喜びを味わっていない状態、律法や規則でがんじがらめになっている状態、または勝手気ままに生きつつも空虚な状態のことであります。

それを3節で、パウロは、次のように表しています。「私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りをうけるべき子らでした。」一見自由な人間として見えますが、実は自我の奴隷とも言えます。してはいけない、したくないと思っていても、してしまう、そんな弱さを誰しも持っています。例えば、嘘はいけない、つきたくないと思っていても、ついつい、さまざまな理由をつけて嘘をつきます。私たちは、それを誰かに教えてもらったわけでもありません。私たち人間の始祖である、アダムとエバが最初に神様に背いたのも、嘘であり、言い訳でもありました。それは、人間のエゴや自己中心から出た、弱さでもあります。

そんな弱さをもつ罪人である私たち、死に体となっている私たちに、私たちをお造りになった神様は憐れみをくださいました。キリストと共に生かされるということです。まず、自我をキリストと共に十字架にかけ、キリストと共によみがえらせられ、日々新たにしてくださる、という自我からの解放であります。「滅びから救い」へとイエス様は私たちを導いてくだっています。別の言い方をすれば、私たちを、「霊的貧しさから解放し、主の豊かさを共有できる」ようにしてくださったのです。パウロはそのことを次のように述べています。「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」(2コリント8:9)私たちは、このみ言葉がもつ真実に真摯に向き合わなくてはいけません。

今朝の中心聖句、「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身からでたことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」救いは、私たちの行ないからでたものではありません。ですから、「救いを勝ち取った」という言い方はできないのです。一生懸命に聖書を読み、感謝し、祈ったから、救われたのではありません。イエス様を信じただけで救われたからこそ、感謝をし、聖書を読み、祈りをささげるのであります。

もう一歩踏み込んで言うなら、「信仰」も私たちから出たものではありません。パウロは、1コリント書の12章3節で、次のように述べています。「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことはできません。」私たちのイエス様に対する信仰をも、私たちが努力して得たものではなく、聖霊に導かれたものなのです。すべては、神の私たちを救おうとする愛と憐みと導きなのです。

私は先日、ヨシュア記7章8章を読んでいました。エリコの町から少し離れたところにあるアイという町を征服するところの記述であります。征服したエリコの町で、聖絶すべきであったものを隠し持っていた一人の兵士アカン、「ほんまにあかん奴でありますが」そのアカンによる罪はヨシュア軍の罪とみなされ、ヨシュア軍は弱体化します。そして、隣町のアイでは敗北してしまいます。しかし、そのアカンとアカンの家族を滅ぼすことによって、ヨシュア軍は再び神からの祝福をうけることになり、アイの町を征服できます。その後、すぐにヨシュアは神によって作られた自然のままの石の祭壇を設け、神に感謝し、灰になるまで皮以外のすべてを焼きつくす全焼のいけにえ、腎臓と内臓脂肪を焼く和解のいけにえをささげました。

エリコやアイでの勝利は、もちろんヨシュア軍が実質戦ったわけですが、神がヨシュア軍を守り、勝利へと導いたのであります。ヨシュア軍の神に対しての従順さが、神に認められた結果でした。そして、勝利の後には、悔い改めと感謝のいけにえを捧げ、神を礼拝しました。

現代に生きる私たちにも同じことが言えます。すべては神様の勝利への導きであります。私たちの勝利は、永遠のいのちの獲得であります。それは、私たちが聖霊によって「イエスは主です」と告白に導かれることから始まります。信仰告白をした時点で、私たちの現在過去未来における神に対する罪は、イエス様の十字架によって帳消しにされます。そして、私たちの心には聖霊様が宿り、罪を犯しにくい性質へと、日々、造り変えてくださるのです。日々において、私たちには勝利が与えられます。もちろん、私たち自身は弱いですから、敗北の日もあるでしょう。ヨシュアが行ったように、悔い改めと感謝のいけにえを捧げなければいけません。

しかし、私たちにはもう動物のいけにえは必要ありません。その代わり以上のことをイエス様は十字架上で、ご自身を私たちのために、いけにえとしてささげてくださったからです。動物のいけにえは必要なくなりましたが、私たち自身のいけにえをささげないといけません。それは、私たちの悔いた心です。詩篇51篇16節17節には、そのことが記されています。「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれたたましい、砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」

それは、神様に礼拝をささげるということでもあります。先週も申しましたが、礼拝は教会での礼拝だけが礼拝ではありません。もっと言えば、1週間に一度の礼拝は、礼拝の一部でしかないのです。日々の中で、主にまみえ、主と語り、主と交わり、主のみ言葉を拝し、主の御名を賛美しほめたたえ、主に祈ることこそが、私たちのおもな礼拝、四六時礼拝なのです。そして、この父なる神様への四六時礼拝をも導いてくださるのが、イエス様であり聖霊様なのです。

さて、天国長屋の八さん、熊さん、おふたりは「恵みによる救い」を日々、実感されておられますか。

――――――――――

八: 「救いを実感しているか」ときかれりゃ、ちょいと難しいけどな。「四六時礼拝しているか」って、きかれりゃ、「あたぼうよ」って答えられるだろうね。なにせ、俺っちは、「イエス様いのち」だから、イエス様と語らない日はない。

熊: 俺も毎日、濃厚接触しているぜ。

八: おい、熊、お前、何いいだすんだよ。マスクしてくれよ。やだよ、コロナウィルスがうつるのは。今日の日曜礼拝だって、俺たち二人と牧師さんだけなんだから。礼拝は一応、お休みにしてんだからな。マスク、マスク。

熊: マスクなんか、売り切れてありゃしねぇ。この前、マスクを洗濯したら、ボロボロになりやがった。

八: 紙のマスクを洗濯してどうするんだよ。

熊: いや、ちょいとな、服のポケットに差し込んでたマスクを取り出すのを忘れて、洗濯機の中にポイって、しちまったんだよ。

いやいや、ちげぇよ。それじゃ、ねぇんだ。俺は、イエス様と濃厚接触してる、って言ってんだよ。テレビで濃厚接触という言葉を覚えてから、ちょいと使ってみようかと思って。

八: ややこしい、言い方するんじゃねぇよ。でも、なるほどな。イエス様と濃厚接触か。それだったら、俺も毎日やってらぁな。

熊: 今は、誰とも、濃厚接触しちゃあ、あぶねぇ時期だけど、イエス様なら大丈夫だな。コロナウィルスをもらう心配はなくて、かえって平安と喜びをいただけるんだから、感謝だよ。

八: そうだよな。毎日、ことあるごとに、「イエス様、ありがとうございます」って言うのが口癖になってるよ。

熊: そうだよな。横丁のご隠居が教えてくれた。詩篇34編の1~3節をお読みなさいって。

「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。」

八: その「貧しい者」っていうのは、イエス様の言う、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:3)っていうのと同じで、「救いを求めている者、み言葉に飢え渇いている者」のことかい?

熊: ご隠居が言うには、この詩篇の34篇の「貧しい者」とは3節を導くための「信仰を同じにする人」のことなんじゃないかって言ってたな。でも、どっちにしても、的外れじゃねぇだろうよ。

八: とにかく、この詩篇34篇が、礼拝の基本かもしれねぇな。牧師さんのいう四六時礼拝も、この詩篇の教えに近いんじゃないかな。と、こんなところで、よござんすか、牧師さん。

――――――――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。先週からの四六時礼拝。詩篇の34篇、そのものですね。詩篇には、この四六時礼拝のことがいっぱいでてきます。つい最近読んだ詩篇145篇にも、私の四六時礼拝を通しての主イエス様への思いが、ぎゅっと凝縮されているような気がしました。時間があれば、声に出して読んでみてください。いや、今朝は、この後の黙とうの時に読むようにしましょう。

ただいまより4分間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。詩篇145篇を聞きつつ、今朝の「恵みによる救い」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。私たちが救われたのは、私たちの努力ではなく、神様からの憐みであり、恵みであることに、心をとめましょう。そして、御子イエス様を通して、その無償の愛をお示しくださった神の御名を賛美し、その愛をほかの方々に、口を通し、態度や行動を通して、お伝えできる者とさせていただきましょう。

黙想の前に、マタイの福音書10章27節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「わたしが暗やみであなたがたに話すことを明るみで言いなさい。また、あなたがたが耳もとで聞くことを屋上で言い広めなさい。」

(4分間黙想)Two Hours of Worship Piano | Hillsong | Elevation | Bethel | Jesus Culture | Passion | Kari Jobe

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「恵みによる救い」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。救われるために、主を礼拝するのではなく、救われたからこそ、喜んで主を礼拝する。それも毎日、主とまみえ、主の御名をほめたたえる、そのような信仰生活をさせてください。いつでもどこでも礼拝、四六時礼拝を心がけさせてください。

主イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌20「主の真実はくしきかな」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

Two Hours of Worship Piano | Hillsong | Elevation | Bethel | Jesus Culture | Passion | Kari Jobe

https://www.youtube.com/watch?v=zROSAakJ7tc&t=25s

 

●静まって知れ Still

 

御翼の 陰に隠し 力ある 御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

キリストの 中に憩い 信頼と 主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。