· 

メッセージ主題:『キリストにある新しい生き方』

 

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『エペソ人への手紙』

2020時年4月12日

礼拝前祈祷:8:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:9:00

賛美: 新聖歌123「救いの主は」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「静まって知れ Still」(末ページに記載)

交読: 交読文52:ルカの福音書第1章:新聖歌p.921

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌127「墓の中に」

聖書拝読:エペソ人への手紙4章17節~32節(新改訳聖書)

中心聖句:

「ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく心理はイエスにあるのですから。その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、審理に基づく義と聖をもって神にかたどり造りだされた、新しい人を身に着るべきことでした。」(21-24)

メッセージ主題:『キリストにある新しい生き方』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『神に近づくことができる恵み』と題しまして、神様からのメッセージをいただきました。

エペソ書3章には、「パウロの異邦人への働き」と「パウロの異邦人に対する祈り」があり、先週は、もともとユダヤ人と違い、神様から選ばれていなかった私たち異邦人が、大胆に神様に近づくことができる、それは、イエス・キリストがその仲介に入ってくださったから。そして、イエス・キリストを私たちが信じる信仰によって、聖霊様が私たちの心に宿り、神様は私たちを罪なき者とみなして、神様に近づくことを許されたのです。先週は、そのすばらしい恵みについて考えることができました。

今朝は、『キリストにある新しい生き方』と題しまして、神様からのメッセージをお聞きいたします。

エペソ書4章は、「キリストの体はひとつ」「古い生き方を捨てる」「新しい生き方」という項目からなっています。今朝は、「古い生き方をすて、新しい生き方」をイエス様に導いていただきます。古い生き方とは、罪の奴隷の生き方であり、新しい生き方とは、イエス様にしたがいつつ生きることであります。イエス様に従って生きるとはどのようなことか、見ていきたいと思います。

短くお祈りいたします。(祈り)

あらためまして、イースター、おめでとうございます。イースターは、イエス様が私たちの罪ゆえに十字架にかけられ、命をもって、私たちの罪を帳消しにしてくださいました。そして三日目によみがえって、私たちを永遠のいのちの希望へと導いて下さます。今朝は、そのイースター、イエス様の復活祭です。そのイースターの朝に、『キリストにある新しい生き方』というメッセージの恵みにあずからせていただきます。

イエス様は死を克服してよみがえられました。パウロはそのことを次のように説きます。「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」(ローマ書6:4)私たちの古い自分は、キリストとともに葬られ、キリストとともによみがえり、天の御国にある永遠のいのちの希望をもって、キリストとともに新しい歩みをするものとされるのです。パウロは引き続き、6節では次のようにも述べています。「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」これが、キリストを信じる私たちの、共通の理解であり、この世の営みの中で目指すことなのです。

「罪の奴隷」でなくなる、そのための復活なのです。イエス様の十字架上での死は、私たちの罪が、赦されるためのものでした。しかし、死からの復活は、私たちがまったく新しい人として歩みだすためのものなのです。この死からの復活を信じなければ、すべては無に帰します。パウロはそのことをいろいろな手紙にしたためています。例えば、1コリント書15章14節では、「キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。」また、17節でも、「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」

イエス様のよみがえりを信じない人は、イエス様を信じない人であります。イエス様の死からの復活を信じなければ、ただただ、ユダヤ人社会において混乱をまねき、そのためにエルサレムで十字架刑に処せられた人というだけであります。イエス様の復活を信じなければ、イエス様の教えは、いのちを持たない、ただの教訓、良い教えで終わります。イエス様の復活を信じなければ、イエス様が行ったかずかずの不思議や癒しは、一人の預言者として、また神様から癒しの賜物をいただいている選ばれた人として記録に残るでしょう。イエス様の復活を信じなければ、母マリアが、父親知れずに産んだ子でしかありません。皆さんの大好きなクリスマスも、全世界で盛大にお祝いする必要がありません。ちっぽけなユダヤの地で、ひとりの男の子が生まれたぐらいで、どうして世界がお祝いするでしょうか。すべては、イエス様が救い主キリストとして、死から復活されたからにほかなりません。もし、イエス・キリストが死者の中からよみがえられなかったら、今私たちが読んでいます、「新約聖書」、「新しい契約の書」もなかったでしょう。このエペソ人への手紙」を書いたパウロもイエス様と出会っていませんでしたし、手紙を書くこともなかったでしょう。

イエス・キリストの一番弟子のペテロも言います。「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」(1ペテロ1:3)死者の中からよみがえられたイエス様によって、信じる私たちも新しく生まれ変わることができ、この世で、希望をもって、生き生きと生きることができるようにしてくださったのです。

また、当のイエス様も、マルタという女性に次のように言いました。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ11:25-26)そして、マルタは、次のように返事をしました。「はい、主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」これは、イエス様がマルタだけにおっしゃった言葉ではありません。使徒ヨハネがこれを聖霊に導かれて記録したのは、このイエス様の言葉、問いかけが、全世界へのものだったからです。そして、マルタの返答は、私たちの返答なのです。「死を克服し、よみがえった神の子イエス・キリストを信じます」と信仰を告白することで、私たちは、罪の奴隷から解放されていくのです。

そのイエス様の死からの復活を祝う記念日、また同時に私たちを罪の奴隷から解放してくださる記念日が、今日のイースターなのです。私たちにとっては、イエス・キリストとともに、新しく生まれ変わった記念日なのです。

では、イエス・キリストを信じる私たちは、どのように新しくされているのでしょうか。『キリストにある新しい生き方』とは、皆様にとって、どんなものなのでしょうか。パウロは新しく付け加えるのではなくて、方向転換しなさいと告げます。少し長いですが、エペソ書の4章25節から35節までをお読みいたします。

「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだ(キリストのからだである集まりや教会のことです)そのからだの一部分として互いにそれぞれのものだからだです。怒っても、罪をおかしてはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」

これが、「キリストにある新しい生き方」のすすめ、であります。では、皆様は、このなかのどこが新しくされた、方向転換されたと思われますでしょうか。

天国長屋の八さん、熊さん、おふたりは、イエス様を信じて、どこが新しくされたと思えますか。

――――――――――

八: 俺は憤りのところだね。神様は「怒っちゃいけねぇ」とはおっしゃられてない。けど、「怒っても、罪を犯すな」「怒りを日暮れまでもってはいけない」「悪魔にすきをあたえるから」とおしゃってくださった。俺は昔はよく怒ってたし、その怒りを次の日まで持ち越すこともあった。けど、イエス様を知ってからは、「怒っても、その怒りを長く持たないようにしてください」って祈るようになった。そうすると、祈ると怒りが和らぐんだ。怒りは怒りを増幅させるけど、祈りは平安を増幅させる。

熊: イエス様もおっしゃってるな、「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」その「心配」を「怒り」に変えてみるといいって、横丁のご隠居がいってたよ。

八: 熊、おめぇもご隠居からかい。ご隠居は、マタイの福音書の6章34節を読んで、次にこう入れ替えて、いってくれたんだ。「あすのための怒りは無用です。あすのことはあすが怒ります。いやな事はその日その日に、十分あります。怒りをその日に収めるために祈りなさい」って。

熊: 祈るとおのずと心が落ち着く、聖霊様がそう働いてくださるんだって、言ってたっけ。八は、すぐに頭に血が上って、喧嘩しちまう。喧嘩はどんどんエスカレートしちまうから罪になっちまう、そんところに、悪魔が入り込むんだ。祈ることによって、聖霊様が、心にガードしてくださって、悪魔のはいる隙間がなくなる。

八: 怒ることを禁止されるんじゃなくて、怒りをはやく鎮めていただくために祈る。新しい生き方の方向転換の中では、これが一番の恵みかな、俺にとっちゃ。熊はどうなんだい。

熊: 俺は八とちがって、もともと、そんなに瞬間湯沸かし器じゃねぇからな。

八: 瞬間湯沸かし器で悪かったね。

熊: おいおい、今からむんじゃ、ねぇよ。俺は、「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。」ってところかな。以前は、なんでも思ったことを、口に出してしまってた。それをちょっと気を付けるようになったかな。

八: でも、イエス様の兄弟のヤコブは、手紙の中で、「舌を制御することは、だれにもできない」(ヤコブ3:8)って言ってるぜ。

熊: たしかに、口ややっかいだ。「賛美とのろいが同じ口から出て来る」(ヤコブ3:10)んだから。でも、ご隠居がいいアドバイスをくれたんだ。「詩篇34篇1節に次のようなことばがある、『私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。』賛美とのろいが同じ口から出るんだったら、賛美で口を忙しくすればよい」ってな。

八: 目からうろこだね、それって。賛美を口にとどめて、のろいの言葉を出なくする。それは、賛美だけじゃなくって、み言葉でもだいじょうぶそうだな。もっと言えば、イエス様といつもお話しておけばいいってことかい。

熊: そうとも言えるかもしれねぇな。だから、俺は、はたからみると、いつも独り言を言っているように見えるんだって、となりのおよしばあさんが言うのにはな。

八: こんど俺もやってみるよ。そうりゃ、怒ることにも遅くなるかもな。

熊: 賛美は歌じゃなくてもいいんだけど、歌の方が、俺にとっちゃなじみがある。

八: 賛美やみ言葉を口にとどめておく、イエス様といつも話しているっていうのはいいね。俺も今日からはじめるよ。なんせ、コロナ騒ぎで、仕事にもいけねぇ、家にこもりっぱなしだからよ。

熊: 八、そろそろ、このスマホのビデオ会議、切るよ。目が疲れてきた。慣れねぇことをするだだめだな。牧師さん、そっちにお返ししますね。

八: お、熊のやろう、かってに退出しやがったな。牧師さん、おれも出るわ。

――――――――――

あれれ、一人になっちゃいましたね。でも、八さん、熊さん、ありがとうございます。このビデオ会議も慣れれば、大丈夫だとは思いますが、スマホでの会議はいけませんな。次回からは大きなコンピューターの画面ですることにしましょう。イエス・キリストにあっての新しい生き方、その一つには、いつも、祈り、賛美やみ言葉を口にとどめ、イエス様と語らうことなのかもしれませんね。それは、聖霊様が働いてくださる、一つの処方箋のようなものかもしれません。私は、八さん、熊さんのお話をおききしていて、詩篇1篇2節3節を思い浮かべました。「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」

どうか、主にあって新しくされることを、特にイエス様の復活をお祝いするイースターである今日、祈り願い、昼も夜も、賛美とおしえを口ずさむ者とさせていただきましょう。

今朝は、黙想の時に、熊さんが言っていた詩篇34篇を読んでみたいと思います。

では、ただいまよりしばらくの間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。詩篇34篇を聞きつつ、今朝の「キリストにある新しい生き方」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。コロナウィルスのために全世界で、イースターの礼拝ができなくなっていますが、その分、ひとりひとりが、その場その場にあって静まり、主の復活の恵みを覚えることができますように。

黙想の前に、マタイの福音書17章22節23節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「人の子は、いまに人々の手に渡されます。そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」

(4分間黙想)Beautiful Instrumental Hymns for Good Friday | Relaxing, Soothing, Peaceful

 

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「キリストにある新しい生き方」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。今朝はイースターでしたが、教会では集まらず、それぞれにあって、主を思い、主を喜ぶことができますように。コロナウィルスがいち早く、収束し、それぞれが集まって、主を賛美する日がきますように。また、いまだ主を知らない、主の愛を味わうのを躊躇しておられる方々の心に、主が臨んでくださいますように。そのために、先に救われた私たちも整えてお用くださいますように。

主イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌127「墓の中に」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

Beautiful Instrumental Hymns for Good Friday | Relaxing, Soothing, Peaceful

https://www.youtube.com/watch?v=-Vy6Cbp5Tvw

 

 

●静まって知れ Still

 

御翼の 陰に隠し 力ある 御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

キリストの 中に憩い 信頼と 主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。