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メッセージ主題:『共有と共感:互いに語り、互いに従う』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『エペソ人への手紙』

2020時年4月19日

礼拝前祈祷:8:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:9:00

賛美: 新聖歌222「罪の深みに」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「静まって知れ Still」(末ページに記載)

交読: 交読文53:ルカの福音書第22章:新聖歌p.921-922

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌190「静けき祈りの」

聖書拝読:エペソ人への手紙5章15節~21節(新改訳聖書)

中心聖句:

「詩と賛美と霊の歌をもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。」(19-21)

メッセージ主題:『共有と共感:互いに語り、互いに従う』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『キリストにある新しい生き方』と題しまして、神様からのメッセージをお聞きしました。

エペソ書4章は、「キリストの体はひとつ」「古い生き方を捨てる」「新しい生き方」という項目からなっていて、「古い生き方をすて、新しい生き方」をイエス様に導いていただきました。古い生き方とは、罪の奴隷の生き方であり、新しい生き方とは、イエス様にしたがいつつ生きることであります。イエス様に従って生きるとはどのようなことか、見させていただきました。

今朝は、『共有と共感:互いに語り、互いに従う』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきます。

エペソ書5章は、「光の子として歩む」そして「夫婦の関係」という項目からなっています。4章でイエス様に従って生きることを学びましたが、5章では、その光の子としてイエス様に従いつつ、信徒同士が互いに語り合い、互いに従い合うということをとはどのようなことなのか、イエス様に導いていただきたいと思います。

短くお祈りいたします。(祈り)

パウロは、15節で、「賢い人のように歩みなさい」と言います。「賢い人」とはどういう人でしょうか。イエス様の言葉がマタイ書に記されています。「いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。」(10:16)イエス様は、「蛇のようにさとく」とおっしゃいました。蛇はエバをだました悪魔の化身であるので、悪いイメージがありますが、民数記では、主のお告げの通り、モーセが青銅の蛇を造り、すべて蛇にかまれた者が、その竿の上にかけてある青銅の蛇を仰ぎみることで、死なずにすんだとあります。(21:9)青銅の蛇自体に魔除けや解毒効果があるわけではなく、青銅の蛇は、救い主キリストを象徴とし、キリストを見上げ信じることによって、守られるのです。イエス様はそのことも語っています。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまたあげられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」(ヨハネ3:14-15)モーセが上げた青銅の蛇と、イエス様がおっしゃった「蛇のようにさとく」の蛇とは、違いますが、イエス様は、蛇に対して悪いイメージではなく、蛇は機敏で用心深い動物であり、イエス様は、その蛇の性格を例にあげて、「機敏で用心深く、思慮深くありなさい」と告げておられるのです。

また、鳩は平和の象徴でもあり、イエス様のおっしゃるように「素直さ、従順」があげられています。信仰者は、機敏で用心深く、また思慮深く、従順でありなさいと、イエス様はおっしゃるのです。また、当然ですが、青銅の蛇の時と同じように、いつも主を見上げる者でなければなりません。

では、パウロの言うところの「賢い人」とは、イエス様のおっしゃるのと同じなのでしょうか。

16節では「機会を十分に生かして用いる人」のことだと説明しています。つまりは、チャンスを見分ける人、用心深く、思慮深く、しかし迅速な行動が伴う人です。

また、17節での、「主のみこころは何であるかを、よく悟る人」のことでもあるでしょう。「主の御心を悟る」ことは、難しいことですが、主の御心を求めることが重要なのです。主の御心は常に隠されていますが、それを求める者だけが、御心を悟るのです。また、パウロはテサロニケの信徒に次のように手紙にしたためています。「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。、、、神が私たちを召されたのは、汚れを行わせるためではなく、聖潔を得させるためです。」(1テサロニケ4:3&7)聖くなるということは、私たちの罪を贖ってくださったイエス・キリストを、まず信じるということです。そのことによって、聖霊様が私たちの心のうちに宿り、私たちをより聖く、罪を犯さない者へと造り変えてくださるのです。

そして、パウロはエペソ5章の18節「御霊に満たされなさい」と励まします。これはイエス・キリストを信じたときに宿られる聖霊様が、私たちの心の中で働いていてくださっていることを示します。ですから、イエス・キリストを信じて、「はい、終わり」ではないのです。イエス・キリストを信じた時点から、聖くなることへの働きが始まるのです。そのことをパウロは「御霊にみたされなさい」という表現を使いました。

では、「聖くなるために、御霊にみたされる」ということは、私たちはどういう応答をすればよいのでしょうか。パウロは続けて、19節で「詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。」と告げます。「誠心誠意、全身全霊をもって、主を誉め、主を賛美しなさい」とパウロは言うのです。しかも、それを一人でするのではなく、キリストのからだである教会または集会としてしなさいと言うのです。互いに主がなさってくださったことを語り、励まし合いなさいとパウロは勇気づけるのです。これが「聖くなるために、御霊にみたされる」手段なのです。私たち、ひとりひとりは弱いものですが、主の御業を語り合うことで、私たちは主をあがめ、霊に燃えることができるのです。賛美にしてもそうです。一人で賛美するよりも、みんなで心ひとつとなって、主を賛美できれば、どれだけ素晴らしく、主を身近に感じることができるでしょう。これは、総じて、主を喜ぶことなのです。

また、パウロは20節で「いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。」と告げます。「すべてのことについて感謝しなさい」これを聞いて、私はやはり、私の大事にしているみ言葉、テサロニケ第一の手紙5章18節の「すべての事について、感謝しなさい。」が思い出されます。パウロは、この気持ち、ぶれていません。コリント人への第一の手紙でも、「私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。」(1:4)パウロは、自分のことではなく、主にある兄弟姉妹のことについて、いつも神様に感謝しています。パウロの言う、「すべての事に感謝する」とは、自分の事だけではないのです、いえ、自分の事より、他の人のことで、神に感謝するのであります。パウロの言う「すべての事に感謝する」とは、「相手のこと、また互いに感謝する」ことなのです。これは、互いに祈り合っていなければ、感謝できることではありません。相手のことに感謝するとは、相手のために祈っているということなのです。

そして、パウロは、もう一歩踏み込んで言います。「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい」(エペソ5:21)。「従う」とは、まず、相手のことを聞くことが大切です。耳を傾け、相手が何を考え、何を思い、何を感じ、何を欲しているのか。私たちが、主の声を聴き、主に仕え、主に従うように、私たちは、まわりの兄弟姉妹の声を聴き、完全に理解できなくても、理解しようとし、祈り合い、仕え、支え合うことが、神様が私たちに求めておられることではないでしょうか。神様は、イエス様が私たちを友としてくださったように、兄弟姉妹を本当の友としなさいとおしゃるのであります。イエス様はおっしゃいます。「人の子が来たのは、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコ10:45)相手の事を思いやる、仕え合うことが、信仰にうらづけされた、私たちのなすべき行動なのです。いろんなことを、私たちは共感し共有しあうことが大切なのです。

もちろん、原始キリスト教会が行った、財産を共有し、生活共同体を形成する、という理想的な形は、当時、破綻しましたし、今、それを行う必要はありません。個人を大事にしながら、信仰共同体を形成することが大切なのです。どうか、語り合い、祈り合い、仕え合い、ともに喜び、ともに涙し、ともに主に感謝する仲間を、大切な友を造りましょう。

さて、天国長屋の八さん、熊さん、おふたりは、主にあっても、友達同士ですよね。どうですか。

――――――――――

八: そうさなぁ。熊とおれは、同じ天国長屋の住民だ。仕事は違うけど、将棋仲間で、信仰の友だな。でもよ、牧師さんの言ってる、語り合い、祈り合いは、いつも教会や家庭集会の交わりの中でやっているからわかるんだけど、「仕え合う」っていうのは、意識ねぇなぁ。

熊: たしかに。友達になっちゃったら、「仕え合う」っていうのは、難しいなぁ。イエス様は弟子たちの足を洗った。そんな風に仕えなさいって、イエス様は模範を見せてくれるんだけど、どうもピンとこねぇ。

八: 「仕える」っていうイメージに、「へぇへぇって、かしづかえる、かしこまって仕える」てな感じになるから、正直、熊に、「へぇへぇ、熊殿、熊様」なんて、言えねぇなぁ。

熊: 俺もそうだよ。八にそんなこと言えねぇし、言いたかねぇ。それじゃ、友達じゃ、なくなるじゃねぇか。

八: 「友達に仕える」って、なんかおかしいんだ。横の関係と縦の関係がぐちゃぐちゃになってるようでよ。

熊: イエス様は、どうして、「仕える」とおっしゃるんだろう。パウロのだんなは、どうして、「従う」ということを言うんだろうねぇ。

八: 実は、横丁のご隠居に聞いてみたことがあるんだ。そうすると、ご隠居は、こんなように言ってたよ。

「友達の間でも、仕えたり従ったりすることは大事だ。素直に人の言うことに耳を傾けるということにも通じるでな。でも、それでも分かりにくかったら、『思いやる』という言葉に直したらどうじゃ。相手を思いやって、相手の気持ちになって、相手と付き合っていく。これならどうじゃ。イエス様が弟子たちの足を洗ったのも、弟子たちの足が汚れていたからじゃ。サンダル履きや裸足で外からくれば、たちまち土埃で足は汚れる。足を洗うのは、ふつうだったら奴隷や下働きの人の仕事だ。けど、あの家に招いたのは、イエス様だ。家に招いた人が、客の足を洗う。おもてなしだ。おもてなしの心は思いやりの心だ。何も足を洗うことだけが、客に対するおもてなしではない。玄関の前に水をまいて、土埃を立ちにくくしてみたり、涼しくしてみたり、玄関にちょいと花を飾ってみて、客人に歓迎の意を表す。目から、そして香りでな。それが、おもてなしであり、思いやりの心なんだ。これこそが、「仕える、従う」ってことになるんじゃねぇかな。イエス様は、弟子たちの汚れた足は洗われたけど、体は洗わなかった。体はきれいだからだ。ほら、お調子者のペテロが、『それなら、体も洗ってください』って言ったけど、イエス様は『全身はきれいだから洗う必要がない』って断られた。相手の必要をちゃんと分かっておられたのさ。無駄なおせっかいはしない、相手にかしづく必要もないのさ。「仕える、従う」心は、相手を思いやる心なのさ。」

熊: なるほどねぇ、「体はきれいだからだ」。ご隠居もしゃれをひょいとつっこんでくるっていうのは、にくいね。

八: おいおい、そこかい。そこじゃねぇだろうよ。

熊: わかってるさ。ちょいといじってみただけじゃねぇか。「押し付けでない、相手を思いやる心。」敏感になりてぇもんだな。

八: そのためには、相手のことをもっと知らないといけねぇ。おい、熊。礼拝が終わったら、将棋さすぞ。おめぇのことをもっと分かりてぇからな。今日は、おめぇを知り尽くすから、負ける気がしねぇ。

熊: しかたねぇな。おめぇのへぼ将棋にまた付き合わされるのかい。いいよ。返り討ちにしてやるわ。ネット将棋でも、待ったなしだからな。

八: おう、望むところだ。鳴くのも吠えるのも、熊だ。ウォーンてな。じゃあ、牧師さん、この辺で失礼しますよ。礼拝は最後まで聞いていますから、ひとりになっても気を抜かないようにね。

――――――――――

あらら、また、かってにビデオ礼拝切っちゃいましたね。でも、ちゃんと音声だけは、切らずに、礼拝最後まで聞いてくださいよ。でも、八さん熊さん、ありがとうございます。信仰の友に仕える、従うということは、相手を思いやる心から生まれる。そして、思いやる心を育むためには、相手をもっと知らないといけないし、気づきという敏感さが必要なんですね。今朝もこのように導いてくださった主イエス様に感謝いたします。

では、ただいまよりしばらくの間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、詩篇30篇を読んでみたいと思います。詩篇30篇を聞きつつ、今朝の「共有と共感:互いに語り、互いに従う」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。コロナウィルスのために全世界で、教会での礼拝が自粛されています。どうか、主がこの状態を憐れんでくださいますように。そしてコロナウィルスの猛威をはやく鎮め、主の栄光を現わしてください。コロナウィルスを通して、主が何をおっしゃっておられるのか、私たちが気づくことができますように、お導きください。

黙想の前に、マタイの福音書5章42節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。」

(3分間黙想)[묵상기도음악] 찬송가 피아노 연주 메들리 '그레이스' 3 | Grace 3

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「共有と共感:互いに語り、互いに従う」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。互いに、語り合い、祈り合い、仕え合い、ともに喜び、ともに涙し、ともに主に感謝する仲間、決して出しゃばらない思いやりの心をもって、接していくことができますように、互いに隠れたところでおもてなしをすることができますように、私たちをお導きください。

主イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌109「友よ読みしや」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

[묵상기도음악] 찬송가 피아노 연주 메들리 '그레이스' 3 | Grace 3

https://www.youtube.com/watch?v=gx9ffQH6ojA

 

 

●静まって知れ Still

 

御翼の 陰に隠し 力ある 御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

キリストの 中に憩い 信頼と 主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。