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メッセージ主題:『神のことばを剣として』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『エペソ人への手紙』

2020時年4月26日

礼拝前祈祷:8:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:9:00

賛美: 新聖歌291「神の国と神の義」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「静まって知れ Still」(末ページに記載)

交読: 交読文53:ルカの福音書第22章:新聖歌p.921-922

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌221「ああ主の瞳」

聖書拝読:エペソ人への手紙6章10節~18節(新改訳聖書)

中心聖句:

「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(17)

メッセージ主題:『神のことばを剣として』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、『共有と共感:互いに語り、互いに従う』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきました。

エペソ書5章は、「光の子として歩む」そして「夫婦の関係」という項目からなっています。4章でイエス様に従って生きることを学びましたが、5章では、その光の子としてイエス様に従いつつ、信徒同士が互いに語り合い、互いに従い合うということをとはどのようなことなのか、イエス様に導いていただきました。

今朝は、『神のことばを剣として』と題しまして、神様にみ言葉の大切さを教えていただきます。

エペソ書6章は、おもに「悪と戦う」ことが記されています。腰には心理の帯、胸には正義の胸当て、足には平和の福音の備え、信仰の大盾、救いのかぶとみ言葉の剣、御霊による祈り、これらすべてをもって、悪と戦いなさいとパウロは勧めます。それらの武具を吟味しつつ、神のみ言葉が唯一の攻撃用の武器である意味を考えたいと思います。

短くお祈りいたします。(祈り)

今日は、まず神の武具を中心に、一節ずつ見ていきたいと思います。その際に、新共同訳聖書と現代語訳聖書と詳訳聖書とを参照したいと思います。

10節「主にあって、その大能の力によって強められなさい」

新共同訳「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい」

現代語訳「主を信じ、その大能の力によって強くしていただきなさい」

詳訳「主との結合によって力づけられなさい。主からあなたがたの力、主の無限の力が供給するところの力をくみ出しなさい」

私たちが主を信じ、主に依り頼んでいくならば、そして、常に主と私たちの関係が、葡萄の幹と枝の関係にあるならば、私たちには自ずと主の無限の力が備わる。そのことを疑わずに、勇気を出して困難に立ち向かいなさいと主は言われるのです。

11節「神のすべての武具を身に着けなさい」

新共同訳「神の武具を身に着けなさい」

現代語訳「神の用意してくださる武具をすべて身につけなさい」

詳訳「神が補給してくださる重武装の兵士の武具を身につけなさい」

神がすでにご用意してくださっている武具、ひとつひとつが私たちを完全に守ってくれる武具を私たちの意志で身につけなさいと言われます。神は武具を準備してくださっていますが、つけるのは私たちの意志であり、主体はわたしたちにあると言われるのです。つまり、私たちの決意や意志が働かない限り、身につけない限り、その武具は機能しない、宝の持ち腐れであることを意味します。では、その武具とは具体的に何でしょう。

14節「しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着けなさい」

新共同訳「立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着けなさい」

現代語訳「立ち上がり、神の御前に偽りのない心を帯として締め、キリストの正義を胸当てとして胸につけなさい」

詳訳「しっかり立ち、あなたがたの地歩(立場)を守りなさい。真理の帯を腰に締め、神の御前での正しい身分の胸当てをつけなさい」

主は神の武具を身にまとう前に、まず、「しっかりと立ちなさい」とおっしゃいます。うなだれていてはいけない、へこんでいてはいけない、意気消沈していてはいけない、勇気をだしなさい、と言われます。この言葉で思い出すのは、主がヨシュアに告げた言葉です。「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ、雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どきにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア記1:9)もう一つ、「しっかりと立つ」理由がありました。この時代のローマの兵士の重装備の武具は、重量が20キロとも30キロとも言われています。つまり、しっかりと立たなければ、武具の重みでふらついてしまうのです。もちろん、神の武具は、霊的なものですから、実際の重量はありませんが、心にはその重みは伝わるのです。ですから、「しっかりと立ちなさい」と言われるのです。

兵士がつける「腰の帯」とは、ふつうの着物の帯ではありません。武具をつけるときに体にあたって、体が傷つかないように保護するためのものです。幅の広い革製の帯だったようです。おそらく、日本でいう腹巻のような感じでそれが皮でできていて、兵士のお腹と腰を武具から守るのです。その腰の帯は、真理の帯で、神の御前に偽りのない心、純粋な神への心なのです。神は二心を嫌います。神への純粋な心をもたない限り、武具自体が、着けている人を傷つけることになりかねません。敵の攻撃ではなく、神からの叱咤をうけることになるのです。

兵士の鉄製の胸当ては、喉、心臓、肺を覆い守ったようです。キリストの正義を胸当てにするという表現がありますように、頭の次に大事な部分、体の中心部分を神の義で守る、つまりクリスチャンであることの意志表明であります。世間に対して、「私は、イエス・キリストを信じる者です」と公表し、それを恥ずかしく思わない、それによって迫害やいじめがあろうとも、胸を張って生きる、ということではないでしょうか。

この14節では、クリスチャンとして、いかに純真に、そして力強くキリストを信じ続けているかが問われていると思われます。

15節「足には平和の福音の備えをはきなさい」

新共同訳「平和の福音を告げる準備を履物としなさい」

現代語訳「神との平和を内容とした福音を、いつでも宣べ伝えられるように足にはきなさい」

詳訳「平和の福音によってもたらされる足どりのしっかりとした堅固さと敏速さと、いつもで動ける態勢とを足につけて、敵に立ち向かうための備えとなしなさい」

当時の兵士の履物は、革製で、裏にスパイクがついていてすべらないようになっていたそうです。スパイクがついているということは、後ずさりしにくいものでもあり、前進あるのみ、もちろん、敵に背を向けて逃げるときにも有効ではありますが、とにかく、前に力強く進むための履物でありました。そのことを、パウロは「福音を宣べ伝える」前進と比喩しています。足を使って、福音を宣べ伝えていかなければならないことを示唆し、また後ずさりしてはいけないとも述べているのです。そして、クリスチャンが歩んでいく所には、神の平和、福音によって神との和解が成立していく様を、主はパウロの言葉を通して、願っているのです。

16節「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます」

新共同訳「その上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。」

現代語訳「その上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪魔の放つ火の矢を消すことができる。」

詳訳「それとともに、救いに至る信仰という身をおおい隠す大盾を取りなさい。それでもって、悪しき者の火矢をみな消すことができるのです」

兵士の大盾とは、剣の攻撃を防御するような鉄製のものではなく、皮や頑丈な布で作られた、全身が隠れる大きな盾で、その盾を水に濡らし、敵の火矢を防ぐ、火が盾に含まれた水分によって消されてしまう、そのような盾であります。世間の悪評、悪口雑言などの迫害、攻撃で、心が折れてしまわないように、強められた信仰、永遠の命を見据えた信仰であります。永遠の命を見据えていない信仰、たとえばイエス様のよみがえりを信じていない信仰には、希望はありませんから、非常にもろく、また間違っています。パウロは、諸教会に、口が酸っぱくなるほど、イエス様のよみがえりを信じる信仰を強調しているのも、そのためです。この永遠の命を希望とする、ほんとうは確信なのですが、それをベースにした信仰でない限り、私たちは非常に弱いのです。悪の火矢は、中傷であり、迫害であり、裏切りであり、誘惑です。その火矢は、いつどこから飛んでくるともわかりません。ですから、私たちは常に心の目を覚ましていないといけないのです。

17節「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい」

新共同訳「救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい」

現代語訳「救いというかぶとをかぶり、御霊の与えてくださる刀である、神のことばを受け取りなさい」

詳訳「救いのかぶとをかぶり、また、み霊のふるわれる剣、すなわち、神のみことばを取りなさい」

兵士の兜は、金属で補強された革製のものだったようです。そして、剣による接近戦で効力を発します。救いの兜とは、つまり、罪の赦しであり、神との和解です。それを象徴するのは、イエス・キリストです。この兵士は、教会の姿です。ですから、教会の頭を、イエス・キリストにおくということになります。パウロは同じエペソ人への手紙の5章23節で「キリストは教会のかしらであった、ご自身がそのからだの救い主であられるように」と述べています。この言葉が布石となって、17節の「救いのかぶとをかぶる」という表現をだしました。イエス・キリストを教会のかしらとし、救い主としてあがめることが重要であることを示唆しています。

そして、イエス・キリストを証ししているのが、聖書であり、そのみ言葉です。「御霊の与える剣である神のことば」とは、イエス・キリストを証しする聖書のことばであります。そして、その剣だけが、攻撃用の武具なのです。攻撃は最大の防御なり、という言葉がありますが、相手の攻撃をかわすための剣であり、聖書のみ言葉なのです。私たちは、常にみ言葉によって、相手の攻撃をかわし、かつ同時に、その剣で悪に対して向かっていく必要があるのです。

イエス様は弟子たちに言われました。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何かたりない物がありましたか。」彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」そこで言われた。「しかし、今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。」(ルカ22:35-36)これは、イエス様がイスカリオテのユダの裏切りによって大祭司たちに捕まる直前の会話です。弟子たちには、剣は二振りあり、それで十分だとイエス様はおっしゃいました。大勢の相手の攻撃をかわすのに、剣二振りで足りるわけはありません。それに、ペテロがその剣で、大祭司の兵士に切りかかって耳をそぎ落としてしまったときには、ペテロを制止し、その兵士を癒されました。

イエス様のおっしゃった「剣」とは、実際の剣ではなく、困難に打ち勝つ堅い信仰であり、よりどころとするみ言葉のことだったのです。主は、そのことをパウロの口を通して、「霊の剣、すなわち神の言葉」として、み言葉によって悪に立ち向かうことをお教えくださっています。

事実、イエス様も40日間の断食の後、悪魔にわざと誘惑されますが、すべてにおいてみ言葉によって、悪魔を退けています。マタイの福音書4章にあります。みなさん、お時間をつくって、イエス様のみ言葉による、悪魔との戦いぶりを見ていただきたいと思います。

18節「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい」

新共同訳「どんな時にも、霊に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」

現代語訳「どんな時にも、御霊の助けによって祈りなさい。そのために、忍耐の限りを尽くして、心の目を覚まし、また、すべてのクリスチャンのために祈りなさい」

詳訳「いつも、あらゆる機会、あらゆるときに、み霊によって、さまざまな祈りと願いとをもって祈りなさい。この目的のために、堅い決意、不屈の忍耐をもって、常に油断なく見守り、すべての聖徒のためにとりなしをしなさい」

「どんなときにも、忍耐強く、聖霊に満たされて祈る」ことが大事であるとパウロは強調します。主に祈ることによって、すべてが守られ、すべてが悪に対する攻撃ともなります。「どんな時にも祈る」ということは、みなさんの生活が祈りにならないといけません。いつも申していますが、祈る姿勢をもって祈ることだけが、祈りではありませんし、長い祈りが正しい祈りでもありません。瞬間の祈りの積み重ねが、生活が祈りとなるのです。祈りのために、日常の手を休めて祈ることも大切ですが、手を休めなくても、勉強や仕事や読書や、またテレビを見ている時でさせ、瞬間的に祈ることはできるのです。自分のために祈るだけではなく、周りの人、ニュースや新聞などの報道で知る人々のために瞬時に祈りをささげる。そして、いつもイエス様のことを思う。それが、みなさんを生活を祈りとすることができるのです。そして、聖書を読む習慣をつけましょう。聖書は、御霊の与える剣です。防御にも攻撃になります。み言葉によって私たちの信仰を再確認し、強められます。今朝は「神のことばを剣として」と題しまして、悪に対する、私たちの霊的戦い方を学ばせていただきました。

さて、天国長屋の八さん、熊さん、いかがでしょうか。主にある戦い方は。

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八: なんか今日は、牧師さん、ほかの聖書訳と見比べて、お勉強している感じだったなぁ。

熊: まあ、だけど、あれだろ。結局は、聖書をよく読みなさい、聖書は霊的剣となるし、祈りが生活の一部ではなくて、生活そのものになるよう、いつもイエス様を思っていなさいって、こういうこったろ。

八: シーっ。牧師さん、一生懸命、お話しくださったんだ。この箇所、神様の武具について、説明してくださったんだから。結論だけを、言っちゃったら、元も子もないじゃないか。

熊: まあ、そうだな。けど、俺たち、クリスチャンとして、何をしないといけねぇか、といえば、聖書をよみ、祈りを積み重ねていくことなんだよな。もちろん、パウロのだんなの時代では、いろいろと迫害もあって、ローマ兵のようなイメージで、教会一丸となって、神様のために、神様とともに戦うという意識が必要だったんだろうね。いまは、コロナ・ウィルスのせいで、教会にも行けやしない。みんなといっしょに祈ることもままならねぇ。

八: だからこそ、ひとりひとりが、主に立ち返って、み言葉を聞き、み言葉に従い、父なる神さまに祈るっていうことが大事になってくるんじゃねぇか。それを牧師さんは言いたいんだよ、だぶん。

熊: コロナによって、集まれねぇ。人と人の接触もままならねぇから、神様をお伝えすることも、難しくなる。でも、これは、恐らく神さまが下さった、クリスチャンの充填期間じゃないのかな。

八: 充填期間? どういうことだい。

熊: 己の信仰を見直す時間が与えられ、ひとりひとりが神様と向き合う時間が増えたんだよ。この緊急事態宣言が解除されて、教会での礼拝や集会がもたれたとき、以前にもまして、喜びをもって礼拝や集会に来るようになるんじゃないのかな。もう一方通行の映像だけだと物足りなくなってきているんじゃねぇかな。

八: そうだよな。集まりてぇよな。集まって、交わって、祈り合って。

熊: 今、神様は、俺たちに、信仰の飢え渇きを与えてくださってんだよ。俺たちが、礼拝や祈りをいっしょにささげることが、恵みであり喜びであることをかみしめられるように。

八: なるほどねぇ。そのために、ひとりひとりが、主と交わる時間、み言葉の時間や祈りの生活の時間が以前より与えられているのかもな。

熊: 俺たちゃ、後になって、コロナを許された神さまに、コロナのことでも感謝をしなければいけなるかもな。

八: ということで、牧師さん、マイクそっちにお返しいたしますよ。

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八さん、熊さん、ありがとうございます。今日は、ちょっと勉強会風でしたね。でもこんな時があってもいいでしょ。私たちは、今、本当に、礼拝の持ち方を、主に問われています。今までの礼拝の持ち方が悪いということではなく、礼拝の幅を広げることを主が教えてくださっておられるのかもしれません。しかし、主との接し方の基本として、今朝の神様の武具があるような気がいたします。皆様も今日のところ、もう一度読み返してみて、神様との接し方を見つめ直してみてください。み言葉を聞くことと祈り、それを大切にしてみましょう。

では、ただいまよりしばらくの間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、イザヤ書59章を読んでみたいと思います。イザヤ書59章を聞きつつ、今朝の「神のことばを剣として」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。コロナウィルスはまだまだ猛威をふるい、死者の数が増えています。全世界で、教会での礼拝が自粛されています。どうか、主の憐れみによって、いちはやく収束へと向かいますように。この自粛ムードの中で、今できることを、お示しくださいますように。

黙想の前に、マタイの福音書6章8節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」

(3分間黙想)[Vol.15] 예수님을 묵상하며 듣는 CCM 피아노 연주 - 크리스찬 BGM

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「神のことばを剣として」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。今、教会での礼拝や集会がなかなか持てない状況にありますが、どうか、ひとりひとりが、静まって、み言葉に耳を傾け、日常の生活を祈りの変えることができますように。賛美とみ言葉が私たちの口に常にとどまっているようにしてください。

主イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌135「御霊は天より」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

[Vol.15] 예수님을 묵상하며 듣는 CCM 피아노 연주 - 크리스찬 BGM

https://www.youtube.com/watch?v=IPA8FAl0XCg

 

 

●静まって知れ Still

 

御翼の 陰に隠し 力ある 御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

キリストの 中に憩い 信頼と 主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。