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メッセージ主題:『仕える者の姿』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ピリピ人への手紙』

2020時年5月10日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌248「人生の海の嵐に」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「主を仰ぎ見て」(末ページに記載)

交読: 交読文55:ヨハネの福音書第15章:新聖歌p.923-924

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌257「キリストは生きておられる」

聖書拝読:ピリピ人への手紙2章3節~11節(新改訳聖書)

中心聖句:

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、御自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(6-7)

メッセージ主題:『仕える者の姿』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週から、ピリピ人への手紙に入りました。先週は、第1章から、『キリストを生きる』と題しまして、キリスト者としての私たちの生き方を考えさせていただきました。

ピリピ人への手紙の第一章は、「キリストを宣べ伝える」というパウロの意志と願いが記されています。ここに、パウロの宣教の原動力である、キリスト愛が見て取れます。パウロのキリストへの愛を学び、キリストを伝えるということ、決して方法論ではなく、福音の力を先週は見させていただきたました。

今朝は、第2章から、『仕える者の姿』と題しまして、キリストをお手本にし、キリストに倣うことを学ばせていただきます。第2章は、キリストを模範として、ともに仕えあい、ともに喜ぶことへの勧めが記されています。7節のキリストが人間の姿をとられたということは、神としての属性を捨ててしまわれたという意味ではありません。人間に限界があるように、イエス・キリストも人間の肉体をもって世にでてこられたので、その限界に従われたということです。今朝は、キリストの仕える姿勢を学ばせていただきます。

短くお祈りいたします。(祈り)

イエス・キリストは神でありながら、自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたとパウロは主張します。これは、神の側からみれば、ほぼほぼあり得ないことかもしれません。それだけ、神の人間に対する愛は絶大だったのです。この世界を創造し、人間をお造りになった神が、その創造物である人間になるのですから、人間の肉体に制限があるように、人間の肉体をもつキリストにも制限が加わりました。

私はこの聖書の箇所を通るたびに、コリント人への手紙第二の8章9節を思い出します。「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」パウロのこの言葉の「主は富んでおられたのに」とは「主は神であったのに」ということです。また「あなたがたのために貧しくなられた」とは、「人間の肉体を持ち、十字架にかかり、永遠のいのちをもつキリストが死を経験された」ということです。そして、「あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となる」とは、「私たちが、キリストの十字架によって、罪を贖われ、ともに十字架にかかり、ともに死に、そしてともに復活をして、霊的に新しく生まれ変わらせていただき、永遠のいのちを享受する」ということです。

そして、事実、イエス様は、以前は神であったことをほのめかしています。ヨハネの福音書17章4節5節です。イエス様が父である天の神様に顔をあげてお話しされました。「あなたがわたしに行なわせるためにお与えになったわざを、わたしは成し遂げて、地上であなたの栄光を現わしました。今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。」イエス様は、十字架上での死を経て、三日目によみがえり、しばらくこの地上にいて、主の教えを説き、四十日後に天の父の御許に帰られました。信じる私たちの心に、平安というキリストご自身でもある聖霊をお送りくださいました。そして、その内なるキリストが天の御国に導いてくださいます。また、私たちの心の内に生きて働いていてくださって、私たちに、天の御国での平安と喜びを、今、味わえるようにしてくださっています。

イエス・キリストはご自身を低くされ、私たちに仕え、私たちを罪の奴隷の立場から救い出し、ともに、天の御父の子として、キリストとの共同相続人とされるよう、とりなしをしてくださいました。パウロはこのことをローマ人への手紙の中で語っています。8章の14節から17節までです。お読みいたします。

「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父。』と呼びます。私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」

イエス・キリストは私たちを、天の御父の子として、共同相続人にするために、この世にお生まれくださったのです。イエス様はこのことをはっきりと述べています。マタイの福音書20章28節です。「人の子がきたのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」イエス様が私たちに仕えてくださるのは、私たちの救いのためであり、キリストとの共同相続人にするためであります。

そして、イエス様は「あなたがたの間で強くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。」とおっしゃいます。マタイの福音書20章26節27節です。つまり、イエス様は「互いに仕え合いなさい。互いに愛をもって接しなさい。自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」とおっしゃいます。なぜでしょう。キリストとの共同相続人になるためです。ともに永遠のいのちを享受するためです。

よりよい社会を作るためとか、平和に暮らせるためとか、そんなことではありません。それらは、過程でしかないのです。いわば、副産物です。イエス様の目には、私たちが、キリストとの共同相続人となり、天の父なる神様をあがめ、賛美を口にとどめ、祈りをささげる姿しか映っていないのです。そのために、わたしたちも、愛をもって仕え合う必要があるのです。あなたの隣人にキリストとの共同相続人になっていただき、その喜びと平安を、天の御国で、そして、今、この世でも味わえるようにしていただきましょう。

では、わたしたちは、どのように愛をもって仕え合えるのでしょうか。愛の乏しい私たちに、何ができるのでしょうか。天国長屋の八さん、熊さん、お二人は、どのように仕え合えばいいと思いますか。

――――――――――

八: 仕え合うっていうのは、言葉にすれば、きれいに聞こえるけどよ。実際、やってみようとしたら難しいよな。だってよ、「仕える」っていうのは、主人と奉公人であったり、王様と家来であったりするじゃねぇか。たとえば、俺が熊に仕えるとしたら、、、考えただけでも気持ち悪いや。

熊: 八さん、そう言わずに、心おきなく、仕えてくれよ、俺に。そうすりゃ、俺ももうちょっと楽ができるってもんだ。

八: 死んだって仕えられねぇな、熊には。だって、俺たちゃ、友達だろ。友達は仕え合うんじゃなくて、助け合うんだろ。友達だからって言っても、ソーシャル・ディタンスは保っておきたいやな。

熊: おいおい、コロナウィルスのニュースで習いたてのカタカナ、並べるんじゃないよ、なにがソーシャル・ディスタンスだ。ちゃんと知りもしないで、政治家じゃないんだからな。カタカナでかっこいいから、使ったらいいっていうもんじゃねぇんだぞ。だれが、2メーター離れないんといけねぇんだ。

八: 親しき中にも礼儀あり、って言うじゃねぇか。それを言いたかったんだよ。

熊: たしかにな。あまりズカズカと土足のまんま、俺の心の中に入ってきてもらっちゃこまるよ、いくら友達の八でもな。

八: 心の中に、遠慮なく入ってきてくださってもいいのは、イエス様だけさ。

熊: 友達でも、つかずはなれずの思いやりっていうのが大切だよな。

八: そうそう、その微妙なソーシャル・ディスタンスっていうのが必要だよな。一律に2メーターじゃないんだよ。

熊: 覚えたての言葉を、恥ずかしげのなく惜しげもなく使うねぇ。どこかの首相みたいじゃねぇか。

八: おい、熊さん。声が大きいんだよ。ちょっとは忖度してあげろよ。

熊: 出てくるね、今日は。忖度っていうのはよ、相手の気持ちを推し量ることだ。思いやりと同じで大事なことなんだぜ。ニュースの中で出てくる「忖度」は、あんなのパワハラの一部だよ。忖度じゃなくて、見えねえ圧力がかかってら。

八: まあ、その話はこっちに置いといて、「仕え合う」っていうのは、俺たちには、似合わねぇなぁ。さっきも言ったけど、お互いに「助ける」、とか「思いやる」とかの方がいいんじゃねぇか。友達なんだからよ。

熊: そして、大事なのは、その助け合ったり、思いやったりすることが、救いに導かれないといけないんだよな。今日の牧師さん、言ってただろ、キリストとの共同相続人になることだって。

八: つまりは、イエス様をお伝えしなさいってことだな。証し人になりなさいって。

熊: そうさ、パウロのだんなも言ってるじゃねぇか。「私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。」ってな。

八: まあ、パウロのだんなは、イエス・キリストをローマまで運んだ人だ。あのだんなの覚悟はすげぇや。真似はできねぇかもしらねぇけど、見習いたいものだな。俺たち、しもじもの者は、まず友達になることから始めたらいいんじゃねぇか。

熊: そうだな。俺たちのイエス様も俺たちを友と呼んでくださるからな。イエス様もおっしゃったじゃねぇか。「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」

八: お、ヨハネの15の15だな。俺は14節も好きだよ。「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。」イエス様の命じることは、さっき牧師さんが言ってた「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと。」だ。

熊: ヨハネの15の12か。結局は、そこに落ち着くんだよな。でも、今日は、新しい気づきがあってぜ。互いに愛し合ったり、助け合ったり、思いやったりすることは、とどのつまり、キリストとの共同相続人になってもらうってことだ。

八: ともに救いにあずかる者になる、喜びを分かち合える人がいるっていうのは心強い。

熊: ところで、八よ。おまえ、どうして、あたまにプロペラの長い、ドラえもんに出てくるタケコプターのようなものかぶってんだよ。

八: あ、これかい。これは中国の小学生がやってたのを真似たんだ。テレビででてたよ。ひとつのプロペラ1メーターある。だから、前後左右合わせて2メーターだ。ソーシャル・ディスタンスさ。コロナ予防さ。

熊: なるほどね。でも俺はしていないから、おめぇとの距離は1メーターちょっとしかねぇぞ。みんながしていたら2メーター離れていることになるけどな。

八: アッ、そうか。お互いがしないと予防にならねぇんだな。今日の説教と同じだな。

熊: どういうことだい。

八: 一方だけが仕えても、助けても、思いやってもダメなんだ。お互いでやりやってこそ、イエス様のおっしゃるように、互いに愛し合うことになるんだ。

熊: なるほどね。まあ、八と俺とは、互いにもちつもたれつだ。これからもよろしくたのむぜ。

   痛! おい、八、もうその大きなタケコプターはずしなよ。じゃまで仕方がねぇよ。

八: ごめん、ごめん。やっぱり、マスクだけのほうが楽だな。けど、マスクで思い出したけど、いつになったらあのマスク届くんだろうね。

熊: もう忘れてるなぁ、あのちっちゃなガーゼマスク。そうさなぁ、土用の丑のころにとどくんじゃねぇか。

八: 土用の丑の日、どうしてだい。うなぎな何か関係あるのかい。

熊: だれかの、だれかの肝いりではじまったから。おあとがよろしいようで、牧師さん、あとはよろしく。

――――――――――

あらら、勝手におちを出して終わっちゃいましたね。でも、八さん、熊さん、ありがとうございます。今日は、やたらとコロナウィルスのネタが入っていました。でも、こんなコロナ禍の時だからこそ、助け合ったり、思いやったりすることが大事ですね。コロナ禍が収まったら、みなさんの思いの方を教会に誘ってみましょう。ともに、キリストとの共同相続人になれるよう、祈り合いましょう。

では、ただいまよりしばらくの間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、詩篇16篇を読んでみたいと思います。詩篇16篇を聞きつつ、今朝の「仕える者の姿」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。私たちは、今、主によって守られています。どうか、この時期だからこそ、聖書を読み、黙想し、神の力を蓄えておきましょう。外出制限されることなく、証しのできる日を期待しつつ、祈りを積み重ねていきましょう。

黙想の前に、ヨハネの福音書13章8節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「もし、わたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」

(詩篇16篇)

Because He Lives 살아 계신주 - Jennifer Jeon 제니퍼 전(영은)

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「仕える者の姿」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。今、コロナウィルスのためになかなか教会での礼拝や集会をもてなくなっていますが、どうか私たちの霊性を高め、つぎに教会に行けるようになったときのことを期待し、祈りを積み重ねることができますように。また教会にそれぞれに思う人をお誘いできますよう、そしてキリストとの共同相続人となれますよう、お互いを友とし、愛と思いやりの心をもって接することができますよう、お導きください。

主イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌263「罪、咎を赦され、神の子とせられ」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

Because He Lives 살아 계신주 - Jennifer Jeon 제니퍼 전(영은)

https://www.youtube.com/watch?v=wvWyc1CnZYA

 

 

●主を仰ぎ見て

 

主を仰ぎ見て 力を得よ

主は我が力 我が盾

主を仰ぎ見て 光を得よ

主が全てを 成し遂げられる

私にせまるどんな山も

越える力 与えてください

私が恐れず ただ主を信じ

進むことができるように

https://www.youtube.com/watch?v=TrYpqqFIYu0

 

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。