· 

メッセージ主題:『天国人』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ピリピ人への手紙』

2020時年5月17日

聖書拝読:ピリピ人への手紙3章3節~11節、17節~21節(新改訳聖書)

中心聖句:

「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」(20)

メッセージ主題:『天国人』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週から、第2章から、『仕える者の姿』と題しまして、キリストをお手本にし、キリストに倣うことを学ばせていただきました。第2章は、キリストを模範として、ともに仕えあい、ともに喜ぶことへの勧めが記されています。7節のキリストが人間の姿をとられたということは、神としての属性を捨ててしまわれたという意味ではありません。人間に限界があるように、イエス・キリストも人間の肉体をもって世にでてこられたので、その限界に従われたということです。先週は、キリストの仕える姿勢を学ばせていただきました。

今朝は、第3章から、『天国人』と題しまして、キリストを信じる私たちは、天に国籍をもつ天国人であることを学びます。この第3章では、キリストを信じるということが天国人であり、永遠のいのちを得るまでのパウロの信仰の道が記されています。今朝はそのことを学びたいと思います。

短くお祈りいたします。(祈り)

天国人とは天に国籍をもつ人のことです。イエス・キリストを信じた時点で、キリストである聖霊様が心の内にやどり、天に国籍をもつ者とされます。天に国籍をもつ、天国人は、神の御霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない、心に割礼を受けたものです。ユダヤ人にとって、肉体的な割礼は、神から選ばれた者の証拠となり、それ自体を誇りに思うのであります。

しかし、パウロはローマ人への手紙で、次のように訴えます。「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」(2:28-29)

また、エレミヤも主のことばを次のように伝えています。口語訳のほうを読みます。「見よ、このような日が来る。その日には、割礼をうけても、心に割礼をうけていないすべての人をわたしは罰する。」(9:25)つまり、心の割礼の方が大事だということです。心の割礼は、救いには必要条件なのです。

では、心の割礼とはどういったものでしょうか。詩篇では、「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ、あなたは、それをさげすまれません。」(51:17)とあります。つまり、心の割礼とは、砕かれた たましいであり悔いた心、主をすなおに信じる心、イエス・キリストを信じ、イエス様を主と仰ぐ心です。

そして、パウロによれば、天国人は、キリスト以外に得たものは、損でありちりあくただということです。ピリピ3章7節8節です。「私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスをしっていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。」 キリストを知るということがどれだけ素晴らしいことなのかを、訴えているのです。

それは皆さんもそうではないでしょうか。この世のことで心惹かれることはあるでしょう。しかし、イエス・キリストとどちらかを選びなさいと言われれば、迷わず、イエス・キリストを選ぶのではないでしょうか。なぜなら、皆さんもイエス・キリストをすでに味わっているからです。

しかし、人間は弱い生き物です。誘惑にも負けてしまいやすいものです。かくいうパウロもその弱さを経験しています。ローマ書でパウロはカミングアウトしています。「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。」(8:19)そして次に、「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と嘆いています。パウロは自分の弱さをみとめるところから始めています。これは大切なことです。弱さをすなおに認めることはとても重要なことです。なぜなら、人は弱い時こそ、神によりたのむことができ、強くなれるのです。パウロは言います。「しかし、主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのはわたしの力は、弱さの内に完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱い時にこそ、私は強いからです。」(2コリント12:9-10)

弱い時にこそ、強い。私たちも、このパウロの信仰に倣いたいと思います。しかし、そのためには、まず自分の弱さを認め、主に、その弱さを告白することです。神は私たちのすべてをご存じですから、私たちが告白する前から私たちの弱さを知っておられます。しかし、神は、私たちの口から告白を直接聞きたいのです。どうか私たちの弱さを神様に告白して、私たちが神様により頼む者であると認めていただきましょう。それも「天国人」のひとつの姿です。

「天国人」のもう一つの姿は、「神の栄冠を得る」ために一心不乱であるということです。14節でパウロは、このように告げます。「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」 神の栄冠とは、永遠のいのちのことです。しかし、それだけではありません。パウロは21節で次のように説きます。「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだと、御自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」 つまり、キリストを信じる私たちは、もうすでに変わっている、すくなくとも変わりつつあるのです。どのように? キリストの栄光のからだと同じようにです。永遠のいのちだけではなく、聖なるからだ、罪のない体、罪を犯しにくい体へと変えてくださるのです。使徒ヨハネの言葉を借りれば、「衣を小羊の血で洗って、白く」されるのであります(ヨハネの黙示録7:14)。私たちの罪はすでに、キリストの血によって拭われました。しかし、私たちの肉体は、罪深いものです。それを私たちの心の内に宿ってくださるキリストである聖霊様が働いてくださって、私たちの霊的は衣を白くしてくださるのです。

私たちは、どれほどの恵みを受け、またこれからも受け続けるのでしょうか。私は楽しみでなりません。私たちはまだまだ罪深いものですが、主が私たちを聖くしてくださいます。また、聖いと認めてくださるのです。だから、「天国人」は、天の父なる神に、常に喜び、感謝しています。

私は、「天国人」の証しとして、一つの聖句に忠実でありたいと思っています。もう皆さま、耳タコかもしれませんが、すみません、私には、これしかないのです。

テサロニケ人への手紙第一5章16節~19節「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。御霊を消してはなりません。」

私は、「天国人」の姿はこれで十分なのではないかと思っています。もちろん、これは、すべて、イエス・キリストにあって、いつも喜び、イエス・キリストの御名によって、絶えず祈り、すべての事について、イエス・キリストに、感謝するのであります。

天に国籍をもつ、天国人。いい響きではないですか。ねぇ、天国長屋の八さん、熊さん。お二人は、天国人ですよね。

――――――――――

八: 牧師さんは失礼だな。あたりめぇじゃねぇか、なあ熊。

俺たちゃ、天国長屋に住んでんだ、天国人に決まってる。

熊: そうだ。俺たちゃ、イエス様いのちだ。いつもイエス様と話してんだ。

いつも、イエス様にお願いしてんだ。

八: 天国人っていうのはよ、とどのつまり救いの確信を得ていないといけねぇんだよな。

熊: そう、牧師さんは、いろんなこと言ってたけど、

ようは、この胸ん中に、ちゃんとイエス様が生きていてくださっているかって

いうことさ。

八: 頭でっかちじゃ、いけねぇんだ。あーだ、こーだとごたくを並べても、

信じていなくっちゃなんにもなんねぇんだ。

熊: イエス様の福音っていうのは、シンプルさ。

ただただ、イエス様にすべてをあずけて、おたよりすればいいのさ。

なんで、それをみんな、やらねぇんだろうな。

八: 俺たちみたいに、学がなかっても救われるのさ。神様がいつも伴っていてくださる。

熊: それだけで、十分じゃねぇか。

八: 俺たちの国籍はすでに天国にある。だから、もう心配するこたぁねぇんだよ。

熊: ある人は、いつイエス様が再びこられるかっていうのを予測している。

まあ、予測もいいけどよ。天国人である、今を楽しまなくっちゃ損じゃねぇか。

せっかく、イエス様がそのように導いてくださってんだから。主を喜び楽しまないと。

八: そりゃ、つれぇこともあるさ。俺たちゃ、ずっと貧乏だしな。

でも、俺たちのいのちは、もうイエス様にあずけてる。

この世のいのちが終わったら、こんどは天の御国で、永遠に神様といっしょにいられるんだ。永遠の平安と、永遠の喜びと、永遠の祝福がまってんだよ。

熊: パウロのだんなも言ってたじゃねぇか。

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」

八: お、熊。先々週のメッセージのみ言葉じゃぁねぇか。ピリピの1章の21節。

熊: 俺ゃ、あのみ言葉、気に入ってんだ。生きている時はキリストを証しし、死んだら天国で、神様への賛美三昧だ。

八: 生きていても、死んでいても、俺たちゃ、天国人さ。天国人のきんたろうあめだ。

熊: いいねぇ、天国人のきんたろうあめか。

そうさな。それにな、天国人は陽気でなくっちゃいけねぇと思う。

だって、いつも天を見上げて、イエス様とお話ししているんだからな。

八: 俺はときどき、思うよ。どうして、天国人が暗くなるんだろう。どこ見てんだろうって。

熊: なあ、どこ見てるんだろうなぁ。

八、ちょいと話はちがうけどよ、あの御巣鷹山で亡くなった歌手の坂本九の

「上をむいて歩こう」っていう歌があるじゃねぇか。

八: 「上を向いて歩こう、涙がこぼれないように。

泣きながら歩く、一人ぼっちの夜」ってやつだろ。

熊: おめぇ、ちょっとはしょり過ぎなんだよ。終わっちゃったじゃねぇか。

出だしと、さびの部分がくっついてんだよ、おめぇのは。

でも、おれが、言いたいのは、おもにさびの部分だ。

「幸せは、雲の上に、幸せは、空の上に、

上を向いて歩こう、涙がこぼれないように。

泣きながら歩く、一人ぼっちの夜。」

八: 俺がうたったのとおんなじじゃねぇか。おめぇ歌いたかっただけだろ。

熊: 確かに、俺たちの本当の幸せは、雲の上、空の上の天の御国にある。

だから、上を向いて歩こう、っていうのもいいさ。

涙がこぼれないように、っていうのもわかる。人間ふんばらないとな。

でも、俺たち天国人は、一人ぼっちの夜、じゃねぇだろうよ。

神様、イエス様がいつもついていてくださっているじゃねぇか。

夜のお月さまといっしょさ。

八: どういうこったい、その夜のお月さまって。

熊: 月夜の晩に、歩いていると、お月さまがずっと後を追いかけてくるような気がするだろ。

八: なるほどな。神様やイエス様が、俺たちにずっとつきまとっていてくださるってことかい。

熊: つきまとうっていうのは、、、ちょっとちがうような気がするけど。

なにせ、俺たちの心の中にいらっしゃるんだから。

だから、おれは、あの坂本九の歌の「泣きながら歩く、一人ぼっちの夜」じゃなくて、

「神様と歩く、祈り賛美の夜」っていう風に変えてぇんだよ。

八: なるほどな、熊の言い分もわかる。ちょっとさびの部分だけでも歌ってみよう。

「幸せは、雲の上に、幸せは、空の上に、

上を向いて歩こう、涙がこぼれないように。

神様と歩く、祈り賛美の夜。」

八: いいねぇ。と、いうことで、牧師さん、気持ちよく終わらしていただきます。プチ!

――――――――――

歌って終わっちゃいましたね。リモート礼拝はこれだから困る。勝手に切られちゃうから。

でも、八さん、熊さん、あなた方が、正真正銘の天国人だということが再確認できて、うれしいです。ありがとうございます。この世を生きていく中では、さまざまなことがございます。でも、いつも神様を、そしてイエス様を見上げて生きる、これ以上のものはないんじゃないでしょうか。私たち天国人は、いつも主を見上げ、主を喜び、主を賛美する生き方をしたいと思います。

では、ただいまよりしばらくの間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、詩篇30篇を読んでみたいと思います。詩篇30篇を聞きつつ、今朝の「天国人」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

天国人は、とにかく主を喜び、生きることに前向きであります。いろいろつらいことがあっても希望を失わず、天を仰いて、涙がこぼれないように、主とともに歩ませていただきましょう。

黙想の前に、マタイの福音書6章34節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

(詩篇30篇)

Hymns, Praise & Worship Music 7 Hours Instrumental for Prayer & Meditation by Lifebreakthrough.

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「天国人」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。だんだんとコロナの脅威が減る中、私たちの気がゆるみませんように。明るくその日その日を大切に過ごすことができますよう、お守りください。

主イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。アーメン。

黙想時の歌

Hymns, Praise & Worship Music 7 Hours Instrumental for Prayer & Meditation by Lifebreakthrough.

https://www.youtube.com/watch?v=E0Cl_8UrhRM