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メッセージ主題:『釘づけにされた罪の明細書』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コロサイ人への手紙』

피아노로 듣는 찬양 • 𝐋𝐨𝐯𝐞 / ccm piano cover playlist

2020時年6月7日

聖書拝読:コロサイ人への手紙2章9節~15節(新改訳聖書)

中心聖句:

「キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。」(11)

「神はこの(債務)証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。」(14b)

メッセージ主題:『釘づけにされた罪の明細書』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、第1章から、『私のかしらであるキリスト』と題しまして、神様からのメッセージを拝聴しました。第1章では、キリストは、世界が創造された時から存在し、かつ世界を創造された方であり、私たちを罪から贖い出し、神との和解を成立させてくださった方であることが強調されています。そして、教会とは、この創造と和解が中心理解としてあり、ゆえに、キリストが教会の中心、教会のかしらであると、パウロは主張します。先週はキリストが教会のかしらであると同時に私たちひとりひとりのかしらであるということを学ばせていただきました。

今朝は、第2章から、『釘づけにされた罪の明細書』と題しまして、神様からのメッセージをたまわります。第2章では、キリストが私たちの心の中に生き生きと生き、キリストの復活の力で満ち満ちていること、キリストを信じる者は、すべての罪から解放されていることが強調されています。今朝は、キリストにあって、その罪からの解放による、主を見上げ、主をほめたたえる日常を私たちは得ているのだということを学ばせていただきます。

短くお祈りいたします。(祈り)

今日は、私の服装からもお分かりのように、いつものメッセージ・スタイルとは異なります。昨夜、メッセージ準備の途中で、貧血症状におそわれました。1年半前に心臓のバイパス手術をし、その後順調に来ていたのですが、昨夜、急に手足がしびれ、動悸がし、冷や汗が噴き出てきました。バイパス手術後、初めて、舌下錠であるニトログリセリンを服用しました。徐々にですが、回復し、無理をせず、すぐに床につきました。午前1時でした。朝の7時に目が覚め、すっきりという感じではありませんでしたが、6時間睡眠は私にとっては適度な睡眠時間ですので、その場で感謝の祈りをささげ、ゆっくりと食事をし、体と相談しながら、祈りつつ、今日のメッセージの準備をつづけました。という訳で、今朝は八さん、熊さんには、無理をせずお休みいただいております。ご理解いただけますようお願いいたします。

今日の聖書箇所のパウロの主張の流れは次のようなものです。

キリストは、神の性質、つまり罪のない完全なものとしての性質が、人の形のなかに満ち満ちている。(9) 

ゆえに、キリストは、神にあるすべての支配と権威を有し、そのかしらである。(10b)

キリストを信じる者は、キリストにあって、その神の性質が私たちの中に満ち満ちている。(10a)

キリストを信じる者は、聖霊による、心の割礼をうけた者である。(11a)

肉の割礼が、神に選ばれた民のしるしであったように、キリストによる心の割礼は、霊的なものであり、肉の割礼よりも優れている。

キリストを信じるということは、キリストが死者の中からよみがえったことを信じ、またキリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じるということ。(12b)

バプテスマである、キリストによる洗礼は、キリストとともに死に、ともによみがえることの信仰の象徴。(12a)

キリストを信じる前は、私たちは、自らの罪によって、死んだ者、死にゆく者であった。なぜなら、罪の報酬は死だからである。(13)

しかし、神は、そのような死に体であった私たちを、憐れみによって、前もって、キリストをこの世に送り、私たちをキリストとともに生きる者とするチャンスをくださった。(13)

神は、キリストの命によって、私たちの罪をゆるすという御計画を実行された。(13)

キリストの命による、贖罪は、キリストが十字架にはりつけにされるという形で行われた。(14)

神には、私たち一人ひとりにある、罪の明細書である債務証書がすべて見えている。(14)

しかし、その債務証書は、キリストの命によって、無効となり、すべての罪は帳消しにされた。(14)

その罪の明細書である債務証書は、十字架に釘づけされ、キリストを信じる私たちのもとにはすでにない。(14)

キリストが十字架にかかることによって、神は、この世の人間的な支配から、私たちを解放し、既成概念や罪の奴隷という立場から、解き放ち、自由を得させてくださった。(15)

キリストの十字架の死と復活は、キリスト自身が死を克服した、死を支配しただけではなく、キリストを信じる私たちも、死を克服し支配することになる。(15)

私たちは、キリストが私たちの罪をすべて、神の子としての権威により、赦してくださっている、ご自分の命を私たちの罪の代価として、父なる神に願いでてくださったことを知っています。

しかし、私たちは、そのことにおいてどんなイメージをもっているでしょうか。

パウロは、ここに、罪の債務証書、罪の明細書を十字架に釘づけにするというイメージを私たちに提示しました。私たちの罪は、すべて、こと細かく書き記されています。わたしの場合は、その罪の明細書は、何冊にもなるでしょう。しかし、それをすべて、太い五寸釘のようなもので、十字架に釘づけにされ、この地上で葬り去るようにされたのです。それらの罪の明細書は、天にまで持っていかれることはないのです。もし、持っていこうとする人があったとしても、その債務証書は破かないと、十字架から離せません。債務証書は破かれた時点で無効になります。なかったことになるのです。主イエス様は、パウロを通して、私たちに具体的な罪の赦しを示してくださいました。感謝いたします。

私は、このところを読んで、イエス様の譬えを思い出しました。二人の債務者のたとえです。この譬えは、罪深い女が入ってきて、イエス様の足を自らの髪の毛で汚れをぬぐい、口づけして、香油を塗ったということが発端となります。このところを読んでみたいと思います。ルカの福音書7章36節から50節までであります。

(ルカの福音書7章36節~50節)朗読

二人の債務者は、5百デナリと50デナリを借りていました。1デナリは、当時では1日分の労働対価でありました。簡単にするために、1日を1万円だとしますと、500万円と50万円の借金です。金貸しはそれを両方ともチャラにしたのです。借用証書を破いたのです。なんと気前のよい金貸しでしょうか。そこで、金貸しが、500万円の借用証書を破くときと、50万円の借用証書を破くときとで、金貸しの気持ちに変化はあったでしょうか。イエス様はなにもそのことには触れておられません。借りたほうの気持ちは比べています。そして、罪深い女がイエス様にした行為について、次のように述べています。「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」(47) そして、その罪深い女にたいして、イエス様はこのようにおっしゃいました。「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」 つまり、『もう、罪には問われることはない、すべての罪はわたしが赦しましたから、安心しなさい』と言われたのです。

金貸しは、500万円の借用証書を破くときも、50万円の借用証書を破くときも、その人たちを自由にするという意味では、まったく同じ気持ちなのです。そして、借用証書の何枚かを残して、破いたのではありません。負債のすべてを帳消しにするために、すべての借用証書を気持ちよく破いたのです。その二人とも自由にするために。

皆さんの罪の明細書や債務証書は、どれだけあるのかは、私にはわかりません。しかし、私の債務証書は私が知る限りでも、何冊にもなります。そのすべてを、一枚も残さず、十字架に釘づけてくださったのです。私は大いに喜んでいます、イエス様に感謝しています。イエス様の福音のためだったら、どんなことでもすると思っています。でも、一方で思うのです。わたしは、あの罪深い女のように、涙でイエス様の足をぬらし、髪の毛で拭い、足に口づけし、高価な香油をイエス様の足に塗っているだろうか。皆さんはいかがでしょう。

私はいま、心の中で十字架を見上げる時、何冊にもなる私の債務証書は、十字架に太い釘で打ち付けられているのを見るのです。イエス様の姿はそこにはありません。すでに、私の罪の贖いは、完了しているからであります。

では、ただいまよりしばらくの間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、詩篇19篇を読んでみたいと思います。詩篇19篇を聞きつつ、今朝の「釘づけにされた罪の明細書」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

イエス・キリストを信じる私たちには、私たちの手元に私たちの罪の明細書はなく、それらはすでに十字架に釘づけにされています。私たちは、すでに神の満ち満ちた性質を、イエス様を通して受け継ぐものとされています。霊的な割礼を受け、神の子どもたちとされています。どうかその救われた喜びとともに、主の栄光を現わすものとさせていただきましょう。

黙想の前に、ルカの福音書7章50節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。」

(詩篇19篇)

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「釘づけにされた罪の明細書」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。どうか私たちが、罪ゆるされた者として、主にあって感謝し喜びキリストの香りを放ち、福音を伝えるものとさせてください。

贖い主、イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。アーメン。

礼拝時の曲

피아노로 듣는 찬양 • 𝐋𝐨𝐯𝐞 / ccm piano cover playlist

https://www.youtube.com/watch?v=w3h1Y7thDyY