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メッセージ主題:『新しい人を着たのだから』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『コロサイ人への手紙』

2020時年6月14日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌332「主はみことのぶどうの木です」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「静まって知れ Still」♬(末ページに記載)

交読: 交読文58:コリント人への手紙第一15章:新聖歌p.926-927

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌204「わが友にます」

聖書拝読:コロサイ人への手紙3章1節~17節(新改訳聖書)

中心聖句:

「互いに偽りを行ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」(9-10)

メッセージ主題:『新しい人を着たのだから』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、第2章から、『釘づけにされた罪の明細書』と題しまして、神様からのメッセージをいただきました。第2章では、キリストが私たちの心の中に生き生きと生き、キリストの復活の力で満ち満ちていること、キリストを信じる者は、すべての罪から解放されていることが強調されています。先週は、キリストにあって、その罪からの解放による、主を見上げ、主をほめたたえる日常を私たちは得ているのだということを学ばせていただきました。

今朝は、第3章から、『新しい人を着たのだから』と題しまして、神様からのメッセージをたまわります。第3章では、10節にあります、「新しい人を着た」とはどういうことで、どうすればいいのかが説かれています。私たちがキリストを信じた時、聖霊様が私たちの心にお住いくださりました。そして、聖霊様によって、日々新しくされています。そのことも考えながら、神様からのメッセージに耳を傾けてみましょう。

短くお祈りいたします。(祈り)

まず、10節の「新しい人を着た」とはどういうことでしょうか。「新しい人」があるわけですから、「古い人」もいます。9節には「あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てた」とあります。また8節には、「怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨ててしまいなさい」と告げられるように、心の奥底にある問題が指摘されています。それに、5節では、「地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」と注意を促されるように、パウロは、肉的な思いにどっぷりとつかっていた私たちの過去、すなわち、キリストを信じる前の私たちの状態を「古い人を着る」と表現し、キリストを信じてからの私たち、キリストによって与えられた新しい性質、つまりは聖霊様によって変えられつつある性質のことでもありますが、それを「新しい人を着る」と表現するのであります。

パウロは、「新しい人を着る」という表現をもっと具体的な表現であらわしています。「主イエス・キリストを着る」という表現です。イエス・キリストと霊的に結合して、古い自我に死に、つまり肉的な思いから遠ざかり、新しい存在となるということです。この「キリストを着る」という表現は、パウロ独特のもので、2か所にあります。一つは、ローマ書13章14節で、「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。」それともう一つは、ガラテヤ書3章27節で、「バプテスマ(洗礼のことですが、特に聖霊によるバプテスマのことを指します)を受けてキリストにつく者(キリストに従う者)とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」。キリストとの深い霊的な交わりによって、キリストに似る者、キリストに倣う者となることを示しています。「新しい人」とは「キリストに従う人」24節の表現を借りれば、「キリストに仕える人」のことであります。

では、「主にあって新しい人」「キリストに倣い、キリストに従い、キリストに仕える人」は、どうすべきなのでしょうか。12節13節には、次のように記しています。「神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」

そして、パウロは「愛」を強調します。14節「これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」これは、旧約聖書から綿々と受け継がれている神の戒めを思い起こします。イエス様は、パリサイ人たちの前で、次のようにおっしゃいました。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ22:37-40)

結局、この二つの戒めに集約されてしまうのですが、これはしかたのないことであります。なぜなら、これらは真理だからです。愛がなければ、深い同情心も慈愛も謙遜も柔和も寛容も身につきません。コリント人への手紙第一の愛の章13章に示されているとおりです。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」(4-7)愛よりすぐれたものはありません。なぜなら、神ご自身が愛だからです。

ヨハネは、手紙文の中でそれを明らかにしています。「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」(1ヨハネ4:8)また、「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じてもいます。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」(4:16)

パウロは「すべての上に愛を着けなさい」と言います。愛がたいせつなのはわかりますが、では一体、私たちの、神への愛や、隣人の愛を、私たちはどのように具体的に表現すれば、よいのでしょうか。パウロは、「感謝の心を持つ人」になりなさいと励まします。(3:15)神様に、詩と賛美と霊の歌によって、あふれんばかりの感謝を、神様を見上げつつ、ささげなさいと私たちを励ますのであります。感謝は、神様への賛美と同じく、神様への愛を現わす手段であります。そして、感謝は、神様だけでなく、隣人への愛をも現わす手段ともなるのです。

神様に対しても、人に対しても、感謝のことばと行いを通して、私たちの愛を示すことができるのです。もちろん、愛=感謝ではありません。しかし、感謝=愛なのです。そして、「新しい人を着る」とは、「神様にも人にも感謝を表す人」でもあるのです。どうか、感謝の足らない者ではなく、すべてにおいて感謝する者となり、感謝がご自身のライフ・スタイルとさせていただくなら、あなたは「キリストを着た」ことになるのです。

さて、ここで、天国長屋の八さんと熊さんにちょっと聞いてみましょう。八さん、熊さん、お二人は、イエス様を信じて、すでに「新しい人を着ている」と思うのですが、いかがでしょうか。

――――――――――

八: よく牧師さんが、「自分は愛が足らねぇものだ」って、謙遜して言ってるけどよ。今日で分かったけど、「感謝が足らないもの」だったんだな。俺っちなんかよ、何でも感謝することにしてんだ。

熊: ほんとかよぉ、八。俺と将棋して負けた時、悔しい顔したり、「王手」って言うと、「ちょっと待ってくれ」っていって、俺が「ダメだ。待たねぇ」っていうと。ふくれっ面したりしてるよな。あのふくれっ面は感謝の面(つら)か。

八: いや、勝負事は別だ。勝負事のときには、「ちょいと神様、目をつぶっといてくだせぇ」と思っているな。

熊: それじゃ、すべてのことに感謝してる、なんて言えねぇじゃねえか。違うかい。

八: だから、勝負事は別だって、言ってんじゃねぇか。負けた時は、くやしさいっぱいだ。あんちくしょう!こんちくしょう!って思うのが、人間じゃねぇか。特に、熊に負けた時にゃ、悔しくて仕方がねぇ。

熊: なるほどね。俺は、お前にとっちゃぁ、将棋の時には、敵だ。敵に負けたら悔しい。でも、それでいいのかい。感謝がなければ、「八、そこに愛はあるんか。あ、急がんとお客さんが待ってはる」って、おめぇの好きな大地真央さんが、ママチャリで向こうに行っちまうぞ。

八: なんだよ、それ。なんで、マミちゃんがそんなこと、俺に言うんだよ。

熊: ん?マミちゃん? 大地真央さんだから、マオちゃんじゃねぇのか。え、それにマミちゃんなんて、なんか親しすぎないかい。

八: いいじゃ、ねぇか。おら、マミちゃんの宝塚時代は知らねぇけどよ。マミちゃんが64歳だと知って、おれと同級生だ。なんか親しみが湧いて、それでマミちゃんさ。

熊: え、大地真央さん、64歳かい。若く見えるねぇ。もうすぐ、50台に手が届くぐらいだと思ってたよ。ということは、なんだぁ、俺も八も、それに牧師さんも、みんなマミちゃんとおない歳かい。たまげたねぇ。化けるねぇ、マミちゃん。真央さんだけに、美魔女ならぬ、美魔王でね。

八: おい、おい、おめぇまで気安く、大地真央さんのことをマミちゃんと呼ぶんじゃないよ。

熊: わかった、わかった、でも、大地真央さんは、ちょいとこっちに置いといて。悔しい時やふくれっ面のときに感謝できねぇんだったら、愛はねぇんじゃねぇか。「なんじの敵を愛せよ」とイエス様はおっしゃったじゃねぇか。

八: 「敵を愛する」ことは、「敵を好きになる」ことじゃ、ねぇ。横丁の御隠居さんが言うには、「敵を愛する」ってことは、「敵のために祈る」ってことだ。

熊: じゃ、「敵のことについて感謝する」ってのはどうなる。「将棋の敵である俺様に感謝する」ってぇのはどうだい。

八: この前、久しぶりに勝ったからって、えらそうに。何が俺様だ。まちがっちゃぁ、いけねぇぜ。「敵に感謝するんじゃぁねぇ」「おめぇに感謝なんかするかよ」「神様に感謝」するんだ、「敵のことについてもな」

熊: 負けた時もな。負けた時も感謝だよな、八。

八: うるせぇな。それができりゃ、苦労はしねぇ。

熊: こう考えるのはどうだ、八。感謝するっていうのは、まあいわば、ポジティブシンキングだ。

八: なんだ、そのポジテブなんとかって、なんだ。

熊: ポジティブシンキング。つまり、なんでも前向きに考えるってことさ。

八: はじめっから、そういやぁいいじゃねぇか。最近、テレビでも、カタカナが多すぎるんだ。「アラートがでた」とか、『コロナ以外に新種のウィルスがでた』のかと思ったよ。それになんだ、国会で「コンセンサスがとれない」とか。『家にコンセントがないのか』って可哀そうにと思っちゃった。もう、「カタカナに愛はあるんかぁ」って言いたいわ。なぁ、マミちゃん。

熊: マミちゃんは、いいから。とにかく、感謝する相手は神様さ。それと感謝するっていうのは、前向きに考えることでもあるのさ。将棋に負けた、悔しいから、もっと強くなろうって考える、また負けたことで負けた人の気持ちがちょっとは分かってくると考えるのが、ポジティブシンキングだ。そして、その前向きさが、神様への感謝へと導いてくれるのさ。

八: なるほどねぇ、分かったようで、分からねぇ説明だな。

熊: それに、大事なことは、「すべてのことに感謝する」ってことには、「すぐに感謝しなさい」とは言ってねぇことだ。つまり、「時間がたって、気が落ち着いてからでもいいから、感謝しなさい」ってことなんだよ。

八: つまり、なにかい。俺が将棋に負けて、ふくれっ面した時じゃなくて、後になってから、神様に「負けたことを感謝」していいってことだ。

熊: そうさ、それに、「感謝に導いて」くださるのは、聖霊様だ。俺たちの心の中にいらっしゃるキリスト様さ。

八: そうだったら、合点がいくことがたくさんある。そうやって、感謝すればいいんだ。

熊: 感謝がひとつふえることで、また新しくしてくださって、新しい人となっていく。まあ、薄皮を一枚一枚はいで、新しい薄皮を重ねていくっていう感じなのかもしれねぇな。

八: そういう意味では、人間の皮膚とおんなじかも知れねぇな。古い皮膚は垢となって落ちていく。俺たちの内から新しい皮膚が生まれてくるからさ。神様に感謝することによって、心の皮膚も新しくなるだな。牧師さん、こんなところでいいですか。

――――――――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。大地真央さんが私たちと同じ歳だとは知りませんでした。同い歳、というだけで親近感がわきますね。「そこに愛はあるんか!」心に留めておきたいと思います。

では、ただいまよりしばらくの間、黙想をいたします。まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、詩篇30篇を読んでみたいと思います。詩篇30篇を聞きつつ、今朝の「新しい人を着たのだから」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

新しい人を着る、つまり、主に心からの感謝をささげる、そのような者に、させていただきましょう。主への感謝は、祈りとなり、喜びに満ちあふれることとなるでしょう。

黙想の前に、ヨハネの福音書11章40節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る。」

(詩篇30篇)

내게 있는 향유 옥합 - 크리스찬 BGM

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「新しい人を着たのだから」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちの皮膚が新陳代謝によって、常に新しくされるように、私たちの心の皮膚も、主への感謝と祈りと喜びによって、新しくされますように。

導きの主、イエス・キリストの御名により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌140「天つみ使いよ」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

내게 있는 향유 옥합 - 크리스찬 BGM

https://www.youtube.com/watch?v=vlfHRhXL58o

 

 

●賛美「静まって知れ Still」♬

御翼の 陰に隠し 力ある 御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

キリストの 中に憩い 信頼と 主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。