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メッセージ主題:『御怒りから救い出されるイエスの血』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『テサロニケ人への手紙第一』

2020時年6月28日

聖書拝読:テサロニケ人への手紙第一1章9節~10節(新改訳聖書)

中心聖句:

「また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことはほかの人々が言い広めているのです。」(10)

メッセージ主題:『御怒りから救い出されるイエスの血』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、コロサイ人への手紙、第4章から、『親切で塩味のきいたことば』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきました。第4章では、キリスト者がどうあるべきであるかが説かれています。2節では、「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」そして、6節では、「あなたがたの」ことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。」とパウロは私たちに勧めます。先週は、これら二つの勧めの関係について、神様に導いていただきました。

今朝は、テサロニケ人への手紙第一第1章から、『御怒りから救い出されるイエスの血』と題しまして、神様にメッセージを導いていただきます。パウロはテサロニケの教会の様子を、弟子のテモテから報告をうけます。テサロニケの信徒は、パウロの教えを誤解して、キリストは間もなく再臨するので、働く必要はないと思う人や、死んだ者はキリストの再臨にあずかれないとする人や、異教的な生活に戻ってしまう人もでてきました。パウロは、そんなテサロニケの信者を励ますためにこの手紙を書いています。この手紙を通して、キリストの再臨が強調されています。そして、今朝の10節はその最たるものです。死者の中からよみがえられたイエス様が天から来られるのを待ち望む再臨の信仰が強調されています。しかし、今朝は少し違って、「主イエス・キリストの贖い、滅びからの救い」に焦点を当てたいとおもいます。

短くお祈りいたします。

私は、この10節で、「やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエス様」がとても気になりました。この御言葉は、私にモーセの民の「過ぎ越し」の恵みを思い起こさせてくれました。出エジプト記12章12節13節には、このようにあります。「その夜、わたしはエジプトの地を巡り、人をはじめ、家畜に至るまで、エジプトの地のすべての初子を打ち、また、エジプトのすべての神々にさばきを下そう。わたしは主である。あなたがたのいる家々の血は、あなたがたのためにしるしとなる。わたしはその血を見て、あなたがたの所を通り過そう。わたしがエジプトの地を打つとき、あなたがたには滅びのわざわいは起こらない。」この時の、家々の二本の門柱とかもいに、つけられた、傷のない一歳の雄の羊またはヤギの血は、まさしく私たちにとってはイエス様が、十字架の上で流された血なのです。

救い主イエス・キリストを信じる私たちは、すでにイエス様の血によって、私たちの罪が拭われ、私たちの罪はもう問われないのです。神様の裁きは、私たちを通り過されているのです。ですから、イエス様は十字架上で、「テテレスタイ、完了した」とおっしゃったのです。救われるための準備が完成したのです。では、何から救われるのでしょうか。モーセの民はエジプトの圧政からでした。民族の独立を主は導かれたのです。イエス様の時代では、神の意志から離れてしまった、曲解され、細分化された律法の重圧からの救いでありました。当時のユダヤ人たちは、ローマの圧政から救われるのを、キリストに期待していました。しかし、イエス様の十字架は彼らの期待を裏切るものでした。彼らは、いわばヒーローを求めていたのです。ローマ軍を蹴散らす、強いリーダーシップをキリストに求めていたのです。その民衆の期待とは違い、神は、イエス・キリストに、全人類の罪を赦すという任務をあらかじめお与えになり、そして、イエス様は、十字架上の死によって、自らの命をいけにえとしてささげることによって、その任務を全うしたのです。

いえ、それだけでは、イエス様の任務は全うしませんでした。パウロがつねに強調するように、神が、イエス・キリストを死者の中からよみがえらせ、イエス・キリストを信じる者が、ともに死を克服し、永遠のいのちにあずかるようにされたのです。イエス・キリストの血によって、罪からの勝利をもたらし、そして、イエス・キリストのよみがえりが、死からの勝利を導いたのであります。

私たちは、今や、イエス・キリストが準備してくださった、罪からの勝利と死からの勝利を、イエス・キリストを信じる信仰によって、得ることができるのです。

初めに申しましたが、パウロは、テサロニケ人への手紙を通して、キリストの再臨を強調しております。たしかに、キリストの再臨によって、私たちの救いは完成し、私たちは、天の御国での、賛美と祈りの生活へと導かれます。再臨信仰は、その天の御国での神との営みを待ち望むものであります。では、今は大事ではないのでしょうか。いつか分からない再臨のその後に期待し、今をおろそかにしてもいいのでしょうか。

私は、たしかにイエス様の再臨を信じていますし、再臨によって救いが完成されることも確信しています。しかし、私は、それだけでは、「めちゃくちゃもったいないやん」と思っているのです。再臨がいつ来るのかということを、一生懸命考え、算出したとしても、それは私から言わせれば、むなしいだけです。イエス・キリストの再臨は、神様の御計画であり、私たちが知る余地のないもの、いえ、知らなくてもよいものだと、私は思うのです。それよりも、救われているという確信をしている今を喜びたい、主の御名を賛美し、主をほめたたえたいと思うのです。主によって神と和解でき、神が聖霊という形となって、私たちの心の中に息づいてくださっている。今、神は、聖霊様を私たちの心に送ってくださって、私たちに、天の御国での喜びと平安を体験できるようにしてくださっているのです。それを味あわずして、再臨はまだかと待っているだけでは、実にもったいないのです。

実はパウロも、信仰による今を大切にしてほしいと思っているのです。ローマ書5章2節「またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。」また9節「ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。」11節「そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。」20節21節「律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」

最終目標は、永遠のいのちでありますが、今、この地上では、神の恵みに大いに喜んでいるべきなのです。つまり、それは、主イエス・キリストの十字架を誇るということでもあります。主の御名を賛美するということです。パウロも同じ意見で、ガラテヤ書には次のように述べています。「しかし私たちには、私たちの主イエス・キリストの十字架以外には誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」(6:14-15)キリストを信じる人は、キリストにあって古い人が死に、新しい人として創造されたのです。つまり、新しい人として創造された今が大事なのです。

私はやはり、今、主を喜び、主からの平安を求める、そのような毎日を主に感謝して過ごさせていただくことこそが、主が私たちに望んでおられることだと思うのです。そしてそれは、天の御国での生活の、いわば予行演習なのです。先取りの経験なのです。いつも参照させていただいて、恐縮なのですが、私のもっとも大切にしています御言葉が、恵みに満ちた今を大切にしなさいと導いてくれます。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。御霊を消してはなりません。」(1テサロニケ5:16-19)

いつもであれば、ここで、天国長屋の八さんと熊さんに、登場していただくのでしたが、今日は用事で欠席であります。すぐに黙想にはいりたいと思います。黙想中に、箴言8章を拝読いたします。

黙想の前に、ヨハネの福音書11章25-26節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでもいきるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。」

(箴言8章)

내게 있는 향유 옥합 - 크리스찬 BGM

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「御怒りから救い出されるイエスの血」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちが、私たちの主イエス・キリストを常に喜び、感謝と祈りをささげる毎日でありますように。また主を誇り、主の御業のすばらしきことを、ほかの人たちに伝えることができますように、私たちを日々新しくしてください、励ましてください。主イエス・キリストの御名によって、お祈りいたします。アーメン。

黙想時の曲

내게 있는 향유 옥합 - 크리스찬 BGM

https://www.youtube.com/watch?v=vlfHRhXL58o