メッセージ:「知恵を得よ」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)

7月9日

担当:若竹孝行

メッセージ:「知恵を得よ」

今朝の聖書通読箇所:箴言7章〜9章

8章を朗読。読む前に、8章は知恵が擬人化され、「わたし」と表現されていることに注意。

中心聖句:9:10

「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。」

●知恵とは?

9:10「主を恐れることは知恵の初め」→8:13「主を恐れることは悪を憎むこと」→

悪とは→8:13「高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれごとを言う口」

悪とは、自己中心の心

「主を恐れる」とは「自己中心の心を憎む」

知恵とは、自己中心の心とは真反対の神の知恵であり、秩序。つまりロゴス。

ヨハネ1:1-5「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」

ヨハネの言うところの「ことば」はロゴスです。神の秩序であり、知恵なのです。

●知恵を得るには?

8:33「訓戒を聞け、知恵を得よ。これをなおざりにしてはならない。」

「訓戒=主の教え」に耳を傾ける。

8:32「子たちよ、今、わたし(知恵)に聞き従え、幸いなことよ、わたしの道を守る者は。」

「知恵に聞き従う」とは、「知恵を自分のものとして、いつも思い反芻する」こと。

詩編1:2-3「主のおしえを喜びとし、昼も夜も、そのおしえを口ずさむ人。その人は、流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び、その葉は枯れず、そのなすことはすべて栄える。」

●知恵である主の教えはどこで得るのか?

8:2-3「知恵は、道の傍らにある丘の上、通りの四つ角に立ち、街の入り口にある門のそば、正門の入り口で高らかに言う。」

知恵は、長老の口からもたらされる。長老たちは、丘の上で説教をし、四つ角や町の入り口や正門の入り口で集まっている長老たちから得ることができる。

イエス様の山上の説教もそうですし、イエス様が12歳の時のエルサレムでの長老たちに囲まれての学びもそうである。

知恵は、丘の上で正しい方向をしめし、四つ角にあって、道しるべとなり、門の入り口で、善悪を見極めるのである。

●知恵を得たらどうなるのか?

8:11「知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これとは比べられないからだ。」

どんな喜びにも勝る喜びが与えられる。→天の御国での喜び

9:12「あなたが知恵を得るなら、自分のために知恵を得ることになり、嘲るなら、自分だけが責めを負うことになる。」

9:9「知恵のある者に与えよ。彼はますます知恵ある者となる。正しい人を教えよ。彼は洞察を深める。」

知恵は個人的なものであり、ますます洞察力が増す。

8:12「知恵であるわたしは賢さを住まいとする。そこには知識と思慮がある。」

知恵は賢さを導き、知識と思慮を産む。

8:17「わたし(知恵)を愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に探す者は、わたしを見出す。」

8:35「わたし(知恵)を見出す者はいのちを見出し、主から恵みをいただく」

知恵を愛する、つまり知恵に聞き従う者は、知恵を見出し、いのちを見出す。

主の教えは、いのちであり、主の恵みとは、主にある永遠の平安と喜びである。

自己中心から離れ、主を中心とすることで、知恵がはぐくまれ、いのちを得、平安と喜びに包まれる。

●私たちにとっての主とは?

もちろん、イエス様です。

ヨハネ6:35「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」

6:47-51「まことに、まことに、あなたがたに言います。信じる者は永遠のいのちを持っています。わたしはいのちのパンです。あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べたが、死にました。しかし、これは天から下って来たパンで、それを食べると死ぬことがありません。わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」

●イエス様に聞き従うことによって、知恵を得、いのちを得る。なぜなら、イエス様と父なる神は一つだから。

ヨハネ10:27-30「わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。わたしと父とは一つです。」

祈り