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メッセージ主題:『いつまでも主とともに』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『テサロニケ人への手紙第一』

2020時年7月19日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌203「ああイエス君 こよなき友よ」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「静まって知れ Still」♬(末ページに記載)

交読: 交読文2:詩篇第8篇:新聖歌p.879-880

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌332「主はまことのぶどうの木です」

聖書拝読:テサロニケ人への手紙第一4章13節~18節(新改訳聖書)

中心聖句:

「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下ってこられます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(16-17)

メッセージ主題:『いつまでも主とともに』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

今朝はまず、この「ぶどうの木キリスト教会」が、昨日7月17日に、創立3周年を迎えられましたこと、心から主に感謝したいと思います。3年前の2017年7月17日、生駒聖書学院の学院長であられる榮義之先生に、開所式と牧師按手式を行っていただきました。「ぶどうの木キリスト教会」といっても、英語教室の狭い空間の中で、22/3人ほどの方々がひしめき合っていました。未信者である、私の小さな生徒さんや保護者の方々、母教会の壮年の方々、生駒聖書学院の先生方や同卒の方々、懇意にしてくださった牧師先生と他教会の信徒の方々。三密をさせるという今では、ありえないほどの混雑さでありました。榮先生は、その時、私の英語教室に始めていらっしゃって、「狭いですね」とひとこと、本音がでたほどでした。本来ならば、開所式・牧師按手式と神聖なる恵みの儀式ではありますが、未信者の方が10名ほどいらっしゃったので、厳(おごそ)かに始まった儀式も、途中から榮先生は、未信者の方々へのメッセージが始まり、しばらく私は置いてけぼりでありました。しかし、緊張はしつつも、なんとも笑いの絶えない、7月17日、主がお喜びになった一日でありました。

あれから、3年、いまだに、教会の信徒の方はいらっしゃいませんが、ときどき礼拝にお見えになる方や、平日の勉強会や祈り会にいらっしゃる方、また福音落語の練習に集まる方々と、主にある交わりを持たせていただいていますこと、心から主に感謝し、主の御名をほめたたえたいと思います。牧師にさせていただいてから、こんなつたない者ですが、他教会や集いにメッセージをさせていただく恵みにもあずかっていますこと、主の訓練に感謝し、主を賛美しております。

さて、先週は、テサロニケ人への手紙第一第3章から、『信仰の不足を補う交わり』と題しまして、神様からの声に耳を傾けさせていただきました。この第3章は、パウロのテサロニケ再訪の願いが記されています。パウロは神の協力者であり弟子であるテモテを福音と信仰の確認のためにテサロニケに派遣しました。そして、テモテが戻ってきて、テサロニケの教会の信仰と愛についての嬉しい報告をうけ、居ても立っても居られないというような、パウロの様子がうかがわれます。7節に、あなたがたの信仰によって、慰めをうけ、励まされたと記されています。パウロがテサロニケに行きたがっていたのは、彼らとの再会を喜び、祝福するだけではありません。むしろ、彼らの信仰を、さらに完全な状態に整えるためなのです。先週は、実際に、顔を合わせて、また、いろいろな方法での、交わりの中で、お互いの信仰を強めていく、より完全な状態へと、聖霊様によって導いていただく、そのことの大切さを学ばせていただきました。

今朝は、テサロニケ人への手紙第一第4章から、『いつまでも主とともに』と題しまして、神様からのメッセージを心にとどめたいと思います。この第4章は、2部構成となっています。前半は、神様に喜ばれる生活の勧め。7節8節に代表される、「召しの目的」です。「神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。ですから、このことを拒む者は、人を拒むのではなく、あなたがたに聖潔をお与えになる神を拒むのです。」 そして、後半は、「主の再臨」についてです。キリストの再臨の時に、死んだ信徒も生きている信徒も、ともに地上から引き上げられ、復活することこそ、キリスト者の希望であり、慰めであると、パウロは主張するのであります。今朝は、その後半の部分の、主の再臨における、死んだ信徒も今生きている信徒も、いつまでも主とともにいることになるという希望を確信させていただきたいと思います。

短くお祈りいたします。

キリストの再臨がいつなのか。そのことは誰も分かりません。分かろうとして調べる人は多くいらっしゃるかもしれませんが、それを調べることこそ、空しいことだと私には思えてなりません。いつキリストの再臨があるかということが問題なのではなく、キリストの再臨がいつあっても問題のないように、私たちは、聖霊様によって、私たちの信仰を深めていただかなければなりません。

キリストの再臨はまだです。この約2000年もの間で、イエス様への信仰を持ちつつ、すでに死んでしまった人々は、新しい霊の体と命を与えられます。パウロはコリント人への第一の手紙で、次のように述べています。15章42-44節「死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。」ですから、死者の体が朽ちて、また、火葬され、その骨も散骨されたとしても、まったく問題ないのです。よみがえりは、もとの肉体をもとにして再構築されるわけではありません。霊の体が与えられるのです。また、生きている私たちが、イエス様の再臨によって、天に上げられる時は、死を克服してよみがえられたイエス様が弟子たちの前から天に上げられた様子とおなじであると考えられています。イエス様が天に上げられた時の様子は、使徒の働き1章9節にあります。「イエスは彼ら(弟子たち)が見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。」イエス様は雲に包まれておいでくださり、また上げられた私たちも雲の中でイエス様と再会するのです。その時のからだも瞬時に霊の体となっているはずです。

その霊の体がどんなものなのかを詮索することは、再臨の時を詮索するのと同じぐらい、未知のことであり、空しいことであるかもしれません。もちろん、イエス様の再臨は、私たちの永遠のいのちの希望です。イエス様の再臨によって、神様の救いのご計画は成就するのです。そして、私たちの肉体の死によって、私たちは、もう罪とは縁が切れるのです。肉体をもって生きている以上、私たちは罪から逃れることはできません。

しかし、イエスキリストを心で信じ、口で「イエス様はわたしの主です」と告白した時点で、私たちの心の中に、聖霊様がおくだり下さり、私たちの心の中心に、お住まいになってくださる。そして、聖霊様は、私たちを、罪を犯しにくい者へと日々造り替えてくださるのです、新しくしてくださるのです。

私たちの心にお住まいくださる聖霊様のお働きは、私たちにとって大いなる恵みであります。聖霊様によって、私たちは、神様の目には、罪なき者とみなされ、イエス様とともに天の御国へ入ることができるのであります。主とともに天の御国で、ともに祈り、ともに賛美することができるのであります。では、今の私たちは、どうなのでしょうか。主はともなってくださらないのでしょうか。

主イエス・キリスト様は、私たちが、「イエス・キリストを主として信じ受け入れた」時点で、聖霊様として、私たちの心にずっといらっしゃるのです。つまり、私たちが天の御国において味わえる、主がともなわれる平安と喜びが、今、この地上で、聖霊様を通して、得られ、平安と喜びに満たされるのです。いわば、聖霊様が、天の御国での平安と喜びについて、予行演習してくださるのです。これを逃す手はありません。天の御国での平安と喜びに、今、満たされるためには、いつも主のことを思い、主と語り、主に祈りと感謝をささげることが大切です。主は、今、私たちに伴っていてくださっていますし、かりに今、天に召されたとしても、主は永遠にともにいてくださるのです。

天の御国での永遠のいのちは、私たちのかけがえのない希望です。聖霊様によって、その希望を確信へとかえさせていただきましょう。主がいつも伴っていてくださる、これこそ、最大の恵みです。私たちは、主の臨在がいつも感じられるように求め、また同時に、神の国と神の義を求め続けさせていただきましょう。

今朝は、天国長屋の八さん、熊さんは、結婚式のお手伝いで今日は、礼拝にはでられません。

すぐに黙想に入りたいと思います。

まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、詩篇66篇を読んでみたいと思います。詩篇66篇を聞きつつ、今朝の「いつまでも主とともに」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

私たちは、聖霊様によって、いつも、主を感じることができます。主が伴われる恵みとして、天の御国での平安と喜びに満たされるよう、祈り求め続けてまいりましょう。

黙想の前に、ヨハネの福音書14章27節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世があたえるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」

(詩篇66篇)

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

 

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「いつまでも主とともに」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちが、常に主の臨在を感じ、主にすべてのことをゆだねることができますよう、お導きください。

コロナの上に、暴風雨による被害が出ている多くの地域の方々に、平安がございますように。彼らに希望が与えられますように。贖い主、主イエス・キリスト様の御名により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌198「God Bless You」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●賛美「静まって知れ Still」♬

御翼の 陰に隠し 力ある 御腕の中に

逆巻く大海を越え 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

キリストの 中に憩い 信頼と 主の力知る

いかずち鳴り渡る中 主と共に羽ばたく

我が父よ王なる神 静まりあなたを知る

 

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。