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メッセージ主題:『感謝し・祈り・喜ぶ』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『テサロニケ人への手紙第一』

2020時年7月26日

聖書拝読:テサロニケ人への手紙第一5章1節~28節(新改訳聖書)

中心聖句:

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。御霊を消してはなりません。」(16-19)

メッセージ主題:『感謝し・祈り・喜ぶ』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、テサロニケ人への手紙第一第4章から、『いつまでも主とともに』と題しまして、神様からのメッセージを心にとどめさせていただきました。この第4章は、2部構成となっています。前半は、神様に喜ばれる生活の勧め。7節8節に代表される、「召しの目的」です。「神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。ですから、このことを拒む者は、人を拒むのではなく、あなたがたに聖潔をお与えになる神を拒むのです。」 そして、後半は、「主の再臨」についてです。キリストの再臨の時に、死んだ信徒も生きている信徒も、ともに地上から引き上げられ、復活することこそ、キリスト者の希望であり、慰めであると、パウロは主張するのであります。先週は、その後半の部分の、主の再臨における、死んだ信徒も今生きている信徒も、いつまでも主とともにいることになるという希望を確信させていただきました。

今朝は、テサロニケ人への手紙第一第5章から、『感謝し・祈り・喜ぶ』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けたいと思います。この第5章は、第4章での、主の再臨のことをうけて、その再臨がいつなのかは誰にもわからないので、いつも「目を覚まして、慎み深くしていましょう」(6&8)とパウロは勧めています。「慎み深くする」という言葉には、「物静かで、思慮深くする」というイメージがあるように思います。事実、このところの英語は、self-control です。つまり、パウロは、どんな状況下にあっても、自制し、平和を保ちなさいと諭しているのです。そして、パウロは、「自制し、平和を保つこと」は、消極的にじっとしていることではなく、積極的に「いつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝する」ことであると説くのであります。今朝は、その積極的に主を感じ、主とともに生きることを考えてみたいと思います。

短くお祈りいたします。

パウロは10節で次のように述べています。「主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。」 この「眠っている」というのは、「死んでいる」という意味です。つまり、キリスト者は、「生きていても死んでいても、主とともに生きることができる」ということです。主は永遠でありますから、イエス・キリストを信じる私たちも永遠に生きるということになります。なんと幸いなことでしょう。

では、天の御国で、私たちは、主とともにどのように生きているのでしょうか。ヨハネの黙示録では、次のように描写されています。少々長いですが、お読みしたいと思います。

「その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。彼らは、大声に叫んで言った。『救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。』御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、言った。『アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。』長老のひとりが私に話しかけて、『白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。』と言った。そこで、私は、『主よ。あなたこそ、ご存知です。』と言った。すると、彼は私にこう言った。『彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。』」

すべての罪を、イエス・キリストの血で拭われた私たちは、白い衣を着、昼も夜も、聖所において、神に仕えているのです。主に賛美をささげ、主に祈り、主の御名をほめたたえているのです。私たちの涙はすっかりぬぐい取られ、喜びに満ちています。地上で味わった悲しみは、すべて喜びへと変えられています。イエス様は山上の説教でおっしゃいました。「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)慰められ、天の御国では、その人は喜びに満たされるのです。

パウロは、その天の御国での喜びは、この地上でも味わえる、いえ、「味わいなさい」と唱えているのです。それが、今朝の中心聖句でもあり、私の生涯の聖句でもあります。お読みいたします。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。御霊を消してはなりません。」

神が私たちに望んでおられるのは、この三つなのであります。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」しかし、これは私たちの意識や力だけでは、成しえないのです。悲しい時には、喜べません。怒っている時やむしゃくしゃしている時には、祈れません。がっかりしている時には感謝できません。では、なぜ、神は私たちに、この無理難題な御言葉をつきつけられるのでしょうか。この16節から18節までの御言葉が成就するためには、19節が必要なのであります。「御霊を消してはなりません。」御霊とは、私たちの心に宿る聖霊様のことです。口でイエス様を主と告白し、心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら(ローマ10:9)、イエス様の平和である聖霊様を私たちにお送りくださるのです。そして、その聖霊様は、私たちから離れることはありませんし、消え失せてしまうこともありません。では、どうしてパウロは「御霊を消してはなりません」と言ったのでしょうか。イエス・キリストを身近に感じられず、聖霊様の働きを停止させてしまう、そのようなことがあってはならないとパウロは主張するのです。なぜなら、聖霊様の働きがあってこそ、先ほどの御言葉、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」が成就するのです。

そして、この御言葉には秘密がありました。「喜ぶ、祈る、感謝する、御霊を消さない」という順番を逆から考えるということであります。まずは、聖霊様に満たされ、つまりイエス様をいつも思い、すべての事について「イエス様ありがとうございます」と感謝をささげるのであります。それも口に出して。先ほどにも申しましたが、口に出すということは、自らの信仰告白でもあります。たとえ、失望する事があったとしても、「イエス様ありがとうございます」と口に出してみましょう。それ自体、イエス様に対する祈りでもあるのです。祈りは、祈りの姿勢で祈るだけではありません。神様との心の交流です。「イエス様ありがとうございます」と口に出した時点で、神様と霊的に交流していることになります。そして、その神様との霊的な交流によって、主の平安が私たちの心を満たすのです。パウロの言うところの「喜ぶ」とは、「嬉しい楽しい喜び」だけではありません。イエス様のおっしゃる「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)のように、主による慰めも、主にあって平安を得ることであり、「喜ぶ」ことでもあるのです。

イエス様はおっしゃいました。「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。」(ヨハネ14:27)イエス様の平安こそが、聖霊様であり、その聖霊様が働かれることによって、私たちは、すべてのことに感謝でき、絶えず主を想い、主に祈ることができ、またいつも平安を得て喜ぶことができるのです。すべては、私たちの内に住みたもう聖霊様が働いてくださって、天の御国で、主とともに生きる、そのことを、今、地上で実現させてくださるのです。聖霊様によって、目ざめていても、眠っていても、主とともにいきることができるのです。

天国長屋の八さん、熊さんは、先週は、結婚式のお手伝い、今朝は四国の教会で福音落語をするために、朝はやく出かけております。ですから、今回も、礼拝には出席しておりません。八さん、熊さんのやり取りを楽しみにしてくださっている皆さまには、まことに申し訳ございません。

ということで、すぐに黙想に入りたいと思います。

まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、詩篇29篇を読んでみたいと思います。詩篇29篇を聞きつつ、今朝の「感謝し・祈り・喜ぶ」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

私たちは、聖霊様の働きによって、いつも喜び、絶えず祈り、すべての事に感謝することができますから、ありがとうございます。どうか、私たちが常に主を想い、主を感じることができますよう、お導きください。

黙想の前に、ヨハネの福音書6章63節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」

(詩篇29篇)

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お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「感謝し・祈り・喜ぶ」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。聖霊様によって、すべてのことに主に感謝をささげることで、祈りと平安と喜びがあたえられますから、ありがとうございます。私たちが、常に、聖霊様を感じ、聖霊様の働きを妨げることのないよう、お導きください。

暴風雨による被害が出ている多くの地域の方々に、平安がございますように。彼らに希望が与えられますように。またコロナの脅威が増しています。どうか、私たちが油断することなく、慎み深く生活することができますよう、お導きください。助け主、主イエス・キリスト様の御名により、お祈りいたします。アーメン。

黙想時の歌

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