メッセージ:「神はあなたを愛している」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)

8月6日

担当:若竹孝行

メッセージ:「神はあなたを愛している」

今朝の聖書通読箇所:イザヤ書43章〜45章

43章を交読。(新改訳2017)

中心聖句:43:4a

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

●神は嘆く。

イザヤ書42章の終わりの方には、「イスラエルよユダよ、どうしてだ!」と神は嘆いておられます。

42:19-20「わたしのしもべほど目の見えない者が、だれかほかにいるだろうか。わたしが送る使者ほど耳の聞こえない者が、ほかにいるだろうか。わたしと和解した者のような目の見えない者、主のしもべのような目の見えない者が、だれかほかにいるだろうか。」

イスラエルもユダも、いけにえをささげるが、悔いた心をささげなかった。

木を育ててくださる神に感謝せず、その木の「半分を火に燃やし、その半分の上で肉を食べ、肉をあぶって満腹する。また、温まって、『ああ、温まった。炎が見える』と言う。その残りで神を造って自分の偶像とし、ひれ伏してそれを拝み、こう祈る。『私を救ってください。あなたは私の神だから』と。」(イザヤ44:16-17)

神は木を育て、人々に暖をとらせ、食べ物を与えたのに、人々は、その神に感謝せず、自らが造った偶像に手を合わす。

●それでも、神は救う。

そんな人間でありますが、神は神の民を救うのであります。

43:1「『恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。』」

神が選ばれた民、それは神のもの。

「主がともにいる」とは、主の最大なる祝福を意味します。

「主がともなわれる」→主がすべてを守られる。

●なぜ、神は救うのか。

神は、神が選んだ民を愛している

43:4「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」

●主は民をはげます。

43:5「恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。」

何から恐れるのでしょうか。

43:1「恐れるな」とあり、2節では「川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」

困難の川を渡るとき、溺れるか、または強く成長するか。自分の力を過信して、川を渡ろうとすると溺れるが、神が手を添えて渡らせてくださるのであれば、あなたを導いて、溺れることのないようにしてください。「神は乗り越えられない試練は与えられない」と言われるが、そうではなく、乗り越えられるように手を引いて導いてくださる、川の深みにはまらないよう、逃れの道を用意してくださるのです。まるで、親が子供を導くように。

●神はその困難の末に、民をどこに導くのだろうか。

43:5b-6「わたしは東からあなたの子孫を来させ、西からあなたを集める。北に向かっては『引き渡せ』と言い、南に向かっては『引き止めるな』と言う。わたしの息子たちを遠くからこさせ、娘たちを地の果てから来させよ。」

神は民を集める→キリストの再臨。すべてのキリスト者は上げられ、キリストの平和に包まれる。

●過去ではなく、未来に目を向けよ。

43:18「先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。」

過去のこととは、モーセの民がエジプトから導かれたこと。

43:19「見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。」

新しいこととは何か?

43:19-20「必ず、わたしは荒野に道を、荒れ地に川を設ける。、、、荒れ地に川を流れさせ、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。」

「荒野に道」とは、モーセの民がエジプトから出て、約束の地、カナンの地へ導かれたのと同じで、約束の地、第二のエデンの園、天の御国への導きの道。

「荒れ地に川を流れさせ、飲ませる」とは、詩篇の1篇3節のイメージと合うのでは。

その人は、流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び、その葉は枯れず、そのなすことはすべて栄える。」

●神は私たちの罪の過去も忘れる。

43:25「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたの背きの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」

●神は、私たちを愛し、私たちの罪を思い出さないために、キリストをお送りくださった。

ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」