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メッセージ主題:『堅く立つ』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『テサロニケ人への手紙第二』

2020時年8月9日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌389「わが主はまことの牧者」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「求めて」♬(末ページに記載)

交読: 交読文4:詩篇第18篇:新聖歌p.881-882

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌282「見ゆるところによらず」

聖書拝読:テサロニケ人への手紙第二2章13節~17節(新改訳聖書)

中心聖句:

「そこで、兄弟たち。堅く立って、私たちのことば、または、手紙によって、教えられた言い伝えを守りなさい。」(15)

メッセージ主題:『堅く立つ』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週から、テサロニケ人への手紙第二に移りました。その第1章から、『神の国のための苦しみを喜びに』と題しまして、神様からのメッセージを味わいました。この第1章は、キリストの来臨と裁きのことが書かれています。その中心聖句は7節です。「苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて現われるときに起こります。」苦難の中にいるキリスト者にとっての最大の慰めは、主にある永遠の安息が与えられることであります。それを希望として、キリスト者は忍耐するのであります。来るべき主の日、キリストの再臨にキリスト者は希望をおくのであります。希望は喜びでもあり、従って、今受けている苦しみも喜びと変えられる、そのことを確信できる人は、まことに幸いであります。先週は、「神の国のための苦しみ」のことを考えさせていただきました。

今朝は、第2章から、『堅く立つ』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けたいと思います。この第2章は、誤りの教えについての警告と救いに選ばれた者のはげましが書かれています。誤りの教えとは、自らを神として、今までの神を否定します。それのような教えに惑わされることなく、堅く立っていなさいと、パウロは励まします。今朝はその「惑わされずに堅く立つ」という方法を学ばせていただきます。

短くお祈りいたします。

まず、「堅く立つ」と、どんな良いことがあるのでしょうか。ゴールが分らないと、どんなことでも頑張れないでしょう。パウロは16・17節で次のようにいっています。「どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」

「堅く立つ」ということは、主の愛と恵みと永遠の慰めとすばらしい望み、つまり永遠のいのちと平安と喜びに満ちあふれる、そのような天の御国での生活にもれることがないということです。

「信仰によって堅く立つ」ということは、この世での繁栄を約束するのではありませんが、この世で疲れている人々を休ませてくれる、癒してくれるのです。イエス様はおっしゃいました。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているからあなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28-30)

イエス様のふところに入って、御許にずっと居つづける。そのことができれば、私たちにはたましいの安らぎが常にあるのです。イエス様を心で信じ、口でその信仰を告白すれば、イエス様が聖霊様をわたしたちにお送りくださる。その聖霊様こそが、イエス様の平安であります。すべてにおいての助け主であります。イエス様はこうおっしゃいました。「わたしは父にお願いいたします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。」(ヨハネ14:16-17)「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起させてくださいます。わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしはあなたがたにわたしの平安を与えます。」(ヨハネ14:26-27)

「信仰に堅く立つ」というのは、イエス様の懐に入って、御許にずっと居つづけることなのです。イエス様は「わたしのくびきを負いなさいとおっしゃいます」。農耕で、牛のくびきは、二頭でひとつのくびきだったそうです。イエス様が右で、私たちが左。詩篇16篇に次のようにあるからです。「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私は揺らぐことがない。それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。私の身もまた安らかに住まおう。」(8-9)イエス様に歩調を合わして進んでいけば、私たちは、私たちの人生を生きやすくなるのです。イエス様にすべてをゆだねることができれば、私たちが弱くても、イエス様が、そして、心の内に住み給う聖霊様が、私たちを強くしてくださるのです。

「信仰に堅く立つ」というのは、イエス様に身をまかせる、身をゆだねることでもあるのです。そして、パウロはそのことを、15節で「私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい」と表現しています。新改訳の「言い伝え」は、新共同訳では「伝えた教え」とあります。使徒たちが伝えた教えとは、イエス様のいのちのことばです。イエス様の戒めです。ヨハネの福音書13章34節で、イエス様は新しい戒めを私たちにくださいました。「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」この「互いに愛し合いなさい」という戒めは、まったく新しい戒めではありません。旧約聖書の時代から、神様の律法には、二つの大きな柱があります。「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」それと「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(マルコ12:30-31)

しかし、イエス様は、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」とおっしゃいます。神のひとり子であるイエス様が、つまり神様が私たちを愛したように、互いに愛し合いなさい、たがいに尊敬し合いなさい、たがいに祈り合いなさい」とおっしゃるのです。ですから、このイエス様の戒めには、「神である主を誠心誠意愛する」ということも含まれているのです。なぜなら、イエス様は「わたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25:40)とおっしゃいます。「互いに愛する」ことは「イエス様を愛する」ことでもあるのです。そして、イエス様は「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」(ヨハネ14:15)ともおっしゃいます。主であり、神であるイエス様を愛するなら、「互いに愛し合いなさい」というイエス様の戒めも守れるはずなのです。「イエス様を愛す」ということと「互いに愛し合う」ということは、コインの裏表に刻まれた刻印のようなものです。

「イエス様を愛す」と言いながら「互いに愛し合うことができない」なら、その人の信仰は、はっきり言って未熟です。「愛し合う」というのは、難しいことではありますが、「お互いに好きになる」ということではありません。「好きになれなくても、祈ることはできるはずです」いや、「好きじゃなくても、祈らなければいけません」それが、イエス様の戒めなのですから。

しかし、「互いに愛し合うことができる、互いに祈り合うことができる」のも、イエス様に寄り頼まなければ、イエス様に身をゆだねなければ、私たちの力だけではできないのです、無理なのです。イエス様のくびきをおって、イエス様と歩調を合わせて、安らぎを得ながら、生きる時にこそ、私たちは、気負うことなく、しかし、堅く立てるのです。

さて、天国長屋の八さん、熊さん、お二人は信仰に堅くたっていらっしゃると思うのですが、お二人が注意していることはありますか。

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八: いやぁ、俺は、なんだな、イエス様にあって、自由だってことだな。イエス様はおっしゃった。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」「もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。」って。(ヨハネ8:31-32&36)ありがてぇな、いろんなしばりから、自由な心と自由な目をくださった、なぁ、熊。

熊: ♪「小さい頃は、神様がいて、不思議に夢をかなえてくれた~」

八: 熊、鼻歌歌ってんじゃねぇよ。礼拝だぜ。おめぇもとことん、自由だな。えぇ!

熊: ん? なんだ? ああ、すまねぇ。昨日NHKのテレビ番組「ライブ・エール」を観ててよ。荒井由実のこの「やさしさに包まれたなら」って曲が、頭からこびりついて離れねぇんだ。

「小さい頃は、神様がいて、不思議に夢をかなえてくれた」。幼子のように、素直に神様を信じれば、夢がかなうんだ。大人になっていくと、いろいろと不必要な知恵がついちまって、神様や不思議や奇跡を信じられなくなっちまう。まったく不自由になったもんだ。

八: そういえば、そうだよな。あの歌のつづきはこうだったな。♪「やさしい気持ちで目覚めた朝は、おとなになっても奇跡はおこるよ~」

熊: お前も、歌ってんじゃねぇか。

八: いやぁ、すまねぇ。歌わねぇと歌詞が思い出せねぇんだよ。「やさしい気持ち」ってのは、神様に感謝している時の気持ちだな。ん。感謝で目覚めた朝は、奇跡は信じられるんだ。ユーミンもクリスチャンみたいな歌詞を作るねぇ。えぇ。

熊: ♪「カーテンを開いて、静かな木漏れ陽の、やさしさに包まれたなら、きっと、目に映るすべてのことはメッセージ。」イエス様のやさしさに包まれたなら、俺たちが目にするもの、耳にするもの、口にするもの、手にするものは、すべては、神様からのメッセージなんだよなぁ。感謝だねぇ。

八: 熊、香りも忘れちゃいけねぇぜ。香りも大事な神様からのメッセージだ。

熊: そうだな。、、、もちろん、神様のことばも、聖書も、大切な神様からのメッセージさ。でも、この世界をお創りになった神様は、この世界のすべてに、俺たちに愛のメッセージを残してくださっているのさ。それに気が付くかどうか、感謝できるかどうか。俺たちの心しだいなんだ。このユーミンの曲の二番の歌詞もいいぜ。

八: 熊、歌わなくていいからな。けど言ってみな。

熊: 「小さい頃は神様がいて、毎日愛を届けてくれた。心の奥にしまい忘れた、大切な箱をひらくときは今。雨上がりの庭で、くちなしの香りの、やさしさに包まれたならきっと、目に映るすべてのことはメッセージ」

八: 「大切な箱をひらくときは今」いいねぇ。心の箱をひらいて、神様、イエス様を信じるのは今だって、って言ってんだ。そして、信じる今、俺たちは自由になれるんだよ。

熊: 「信仰に堅く立つ」っていうのはよ、イエス様にあって自由になれたってことかもしらねぇな。だから、すべての事に感謝できるんだ、すべてのことは神様からのメッセージなんだから。

八: いいねぇ。俺たちは、神様にあって自由人だ。人生、いろんなことがあるけどよ、「なんくるないさ」「ケセラセラ」って、イエス様をずっと見上げて、歩いて行きゃいいのさ。道が狭くても広くても、こっちゃ、気にしちゃいねぇ。イエス様が手を引いてくださるんだ。いいねぇ、手と手が触れあって、道行人生。おつなもんじゃねぇか。

牧師さん、こんなところでよござんすか。

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八さん、熊さん、ありがとうございます。先週は5歳のチコチャンでしたが、今日は、荒井由実さんの「やさしさに包まれたなら」っていう曲ですか。あの曲もいいですね。ユーミン、私も好きです。「信仰に堅く立つ」っていうことは、主にあって自由であるということにもつながりますね。感謝いたします。「すべてのことが神さまからのメッセージ」覚えておきたいと思います。

さて、黙想の時間とさせていただきましょう。

まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、詩篇107篇を読んでみたいと思います。詩篇107篇を聞きつつ、今朝の「堅く立つ」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

私たちの弱いところに、聖霊様が働いてくださって、常に、天のお父さまを拠り所とすることができますよう、罪の誘惑からも私たちを遠ざけてくださいますよう、イエス様にお願いいたしましょう。また、私たちを自由にしてくださるイエス様に信頼し身をゆだねつつ、イエス様の戒めである「互いに愛し合う」ことを心掛けることができますよう、聖霊様に導いていただきましょう。

黙想の前に、ヨハネの福音書14章21節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」

(詩篇107篇)

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

 

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「堅く立つ」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。「主にあって堅く立つ」とは、主の戒めを守ることであり、イエス様がなされたように、お互いに愛し合い祈り合い励まし合うことでもあります。また、そのことができるためには、主にすべてをゆだねることが必要であり、そうすれば、私たちは主にあって自由となり、すべてのことに感謝できる心の目が開かれます。アーメン。どうか、そのような者に変えられ、主の平安と喜びに満たされ、つねに主が伴われますように。

自然災害やコロナからも守られ、また社会がいち早く回復されますよう、主がお導きください。安息の主、イエス・キリスト様のお名前により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌411「御恵みの高嶺に」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●賛美「求めて」♬

あなたの 声をもとめて

あなたの 顔もとめて

あなたの 心もとめて 御前に 出る 

すべてをゆだねて

すべてをささげて 

あなたを もとめて 礼拝します

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。