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メッセージ主題:『締まりある生活』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『テサロニケ人への手紙第二』

2020時年8月16日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌185「来れ誰も」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 今月のワーシップソング 「求めて」♬(末ページに記載)

交読: 交読文4:詩篇第18篇:新聖歌p.881-882

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌253「イエスの御腕に」

聖書拝読:テサロニケ人への手紙第二3章6節~18節(新改訳聖書)

中心聖句:

「ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。」(11-12)

メッセージ主題:『締まりある生活』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、テサロニケ人への手紙第二第2章から、『堅く立つ』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきました。この第2章は、誤りの教えについての警告と、救いに選ばれた者のはげましが書かれています。誤りの教えとは、自らを神として、今までの神を否定します。それのような教えに惑わされることなく、堅く立っていなさいと、パウロは励まします。先週はその「惑わされずに堅く立つ」という方法を学ばせていただきました。

今朝は、テサロニケ人への手紙第二第3章から、『締まりある生活』と題しまして、神様からの導きを受けたいと思います。この第3章は、パウロは教会信徒での怠惰な生活を戒めています。その代表的なことばが、10節の「働きたくない者は食べるな」ということです。日本では昔よく「働かざる者食うべからず」と言われていましたが、パウロの宣べていることとは少し違います。「働かざる者食うべからず」という言葉には、働けない者は切り捨てるという思想が反映しています。つまり、働きたくても働けない事情のある者も、また結果の出ない者も、生きるに値しないという恐ろしい思想であります。まるで、軍国主義の旧日本軍のようです。しかし、パウロは、「働けるのに働こうとしない者は食べてはならない」つまり「働こうとしないで、人にばかり頼って生きていてはダメです」と主張しているのです。今朝は、パウロがどのような状況でこのことを述べたのか、また「締まりある歩み方」とはどういうものなのかを学びたいと思います。

短くお祈りいたします。

パウロの言う「締まりのない歩みをする人」の中には、「何も仕事をせず、おせっかいばかりしている人」(11)「人のパンをただで食べる人」(8)が含まれています。そのような人の行動をもう少し詳しく述べているところがあります。テモテへの手紙第一5章13節「怠けて、家々を遊び歩くことを覚え、ただ怠けるだけでなく、うわさ話やおせっかいをして、話してはいけないことまで話す」人であります。このことから「締まりのない歩みをする人」の特徴として①仕事をしようとしない人、②家々を渡り歩いて食事にありつく人、③うわさ話好きな人、秘密を暴露したり陰口をたたく人があげられます。まず、この三つのことを分けて考えたいと思います。

仕事をしようとしない人

仕事をしようとしない、仕事がしたくない、とはもってのほかではありますが、じっさい、初期エルサレム教会においても、そのような人がいたようであります。

初期エルサレム教会では、「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有していた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして、毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(使徒2:44-47)とあります。なんと美しい生活共同体であり信仰共同体でありましょうか。

しかし、そんなエルサレム教会も、働かずに、生活をおんぶにだっこの人たちも現われ、また、持ち物のない貧しい信徒たちが増えて、エルサレム教会は財政的に困窮していきます。

そのようなエルサレム教会を援助しつづけたパウロは、テサロニケ教会にも同じような、教会成長にマイナスの要因を見たのであります。現代の教会では、このような人はほとんどいらっしゃらないでしょう。しかし、もしもいるとしたら、こんな牧師はそれに近いかもしれません。説教はしても、信徒との交わりはしない、連絡もしなければ、祈り会も学び会もしない。もちろん、病気やいろいろな状況下でできない時は別です。ですが、このような牧師はいないと信じます。それは、もう牧師ではありえません。牧師はそれぞれ、信徒を主に導き、福音宣教に一生懸命だと思います。空回りすることはあるでしょうけれど。ですから、今教会内で「仕事をしようとしない人」を心配する必要はないのでしょう。

家々を渡り歩いて食事にありつく人

これも教会的には想像できませんが、教会の外では、こういう告白を最近聞きました。

皆さんは、漫才師のミルクボーイというコンビを御存じでしょうか。昨年年末M-1グランプリで優勝したコンビです。今、テレビで見ない日はないほど、引手あまたで人気者であります。そのミルクボーイのムキムキマッチョの方の駒場孝さんですが、一時期、ほぼ毎日、先輩におごってもらって、生活していたそうです。先輩にはいい顔をし後輩には冷たい。漫才のネタ合わせもしなくなっていました。相方であり、大阪芸大の落研仲間の内海崇さんは、彼が立ち直ってくれることを、ずっと待っていました。しかし、一方で、内海さんもまたギャンブルへと逃げていました。あることがきっかけで、漫才しかないと悟った駒場さんは、内海さんと共に生活態度を一新し、漫才の練習を中心にした生活に切り替え、もともと実力はありましたから、後輩芸人の前説をしながら、漫才という芸を磨いて、M-1グランプリ優勝という頂点に立ったのであります。

「家々を歩いて食事にありつく人」、現代ではなかなか想像できませんが、昔の駒場さんのように、人に頼り切った生活をしている人のことなのでしょう。同じ頼り切るなら、神様に頼った方がいいでしょうね。ただし、何もしなくて、すべてを神頼みにするのは大間違いです。自分の分、責任をはたし、足らない分を神様に願い、ゆだねる。そのようでありたいと思います。

うわさ話好きな人、秘密を暴露したり陰口をたたく人

日本文化では、「人の口に戸は立てられない」と言われるぐらい、私たちほぼ全員が「ここだけの話だけど」と切り出します。話す方に責任があまり感じられない噂ほど、良く広がりますし、そこに悪意が加わりますと陰口となります。私は、次のような方、何人かにあったことがあります。「私は陰口がきらいだから、その人に面と向かって言います」そのようにおっしゃるのです。『なるほど、それは陰口よりもはるかにいいな』と感心しておりました。ところが、そのような人は、「相手に面と向かっても言いますが、残念ながら陰口もいうのです」。結局は言いたいだけなのです。それが分ってから、私は、そういう人も信用しなくなりました。聖書にもあります。「舌は火であり、不義の世界です」(ヤコブ4:6)「舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。」(8-10)

パウロは、このようなことがあってはいけないと忠告します。ですから、パウロは、「静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。」(2テサロニケ3:12)と言うのです。

結局、「締まりのない歩み」とは、現代の日本の教会においては、神を信じつつも、神に頼らず、人に頼る生活であり、うわさ話や陰口や告げ口に惑わされる生活ということにならないでしょうか。では、どのようにこれを解決すればいいのでしょうか。

天国長屋の八さん、熊さん、なにかいい考えはございませんか。

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八: ん?なに?今日は難問題を投げてきましたね。それって、牧師の責任をはたしたことにならねぇんじゃ、ねぇですかい。責任回避だよ。

熊: 八、おめぇが眠そうにしてたから、ちょいと、喝を入れたんじゃねぇか、牧師さんは。この問題には、二つの解決の道があるような気がするんだ。

八: まあ、神に頼らず、人に頼る生活と、うわさ話に花が咲く生活だわな。二種類あるからな。

熊: そうさ。「神に頼らず、人に頼る」っていうのは、神様と俺たちの間の問題だ。そして、うわさ話の方は、俺たちの間での問題だ。

八: なるほどね。で、どういうこったい。

熊: 「神に頼る」っていうのは、俺たちがどのようにして神様と真摯に向き合うかってことだ。うわさ話の方は、そのうわさ仲間に入らねぇってことだ。

八: じゃ、どのように神様と真摯に向き合うのさ。

熊: パウロのだんなが言ってるじゃねぇか、「静かに仕事をしなさい」って。あの「静かに」っていうところには、「黙って」という意味もあるけど、「静まって神を知る」ということも含んでるんだよ。

八: つまりなにかい、詩篇の46篇にでてくる「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(10)っていうことかい。

熊: そうさ、『いろいろと思い悩むんじゃなくて、心を落ち着かして、神と対話しなさい』っていうことさ。神を知るっていうことは、神に寄り頼むってことになるのさ。神の道が完全だとわかれば、自然と神様を信頼することになろうよ。

八: なるほどねぇ。それで、うわさ話の方はどうなるんだい。

熊: うわさ話をするような人とは交際しなさんなって、パウロのだんなは言っている。「そのような人には、特に注意をはらい、交際しないようにしなさい。」(2テサロニケ3:14)

八: 教会内で、『交際しないようにする』っていうのは、ちょいと難しいんじゃねぇか。

熊: 同じ主の兄弟姉妹だからな。パウロのだんなも「敵とはみなさず」と言っている。だから、うわさ話や陰口が始まると、すっとその場を離れてもいいんじゃねぇか。なにせ、あまりかかわりをもたねぇこった。

八: 「兄弟として戒めなさい」(13)とパウロのだんなは言っているけど、それはどうなるんだ。

熊: 難しいなぁ。祈らねぇとできねぇけど、かえってこじれる場合もあるから、そんときは、祈って、役員や長老や牧師先生に相談すりゃいいんじゃねぇか。

八: 牧師さんも、人の子だから、難しい場合もあるかもしらねぇけど、牧師は信徒をたばね、信徒を導くのも仕事だ。なあ、牧師さん、そうだろ。牧師さんがまず、こっちに振ったんだから、俺たちも、そっちに振り返すよ。

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八さん、熊さん、無理にふってすみませんね。うわさや陰口をする人には、耳を貸さず、距離を置くのもいいですね。まあ、そういう人がいたら、私にふってください。デリケートな問題だけど、逃げるわけにはいきませんからね。イエス様からあずかっている皆さんですから。

教会全体として背筋をシャンとし、襟を正して、締まりある生活を、主に導いていただきましょう。

さて、黙想の時間とさせていただきます。

まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、箴言12章を読んでみたいと思います。箴言12章を聞きつつ、今朝の「締まりある生活」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

私たちが人に頼るのではなく、神に頼る者となるよう、常に聖霊様に導いていただきましょう。また、舌を制することは難しいことですが、賛美を口にとどめ、マイナスの言葉から遠ざかりましょう。

黙想の前に、マタイの福音書15章11節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「口にはいる物は人を汚(けが)しません。しかし、口からでるもの、これが人を汚します。」

(箴言12章)

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お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「締まりある生活」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。自分の責任、自分の分をはたし、人に頼るのではなく、神に頼る、目に見えるものではなく、目に見えない神に信頼し、悪口、陰口、うわさ話から遠ざかるように、私たちをお導きください。

猛暑やコロナからも守られ、また社会や経済が順調に回復しますよう、主が主導してくださいますように。癒しの主、イエス・キリスト様のお名前により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌89「神は独り子を」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

●賛美「求めて」♬

あなたの 声をもとめて

あなたの 顔もとめて

あなたの 心もとめて 御前に 出る 

すべてをゆだねて

すべてをささげて 

あなたを もとめて 礼拝します

 

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。