メッセージ:「神に祈るなら、神に従え」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)

8月27日

担当:若竹孝行

メッセージ:「神に祈るなら、神に従え」

今朝の聖書通読箇所:エレミヤ書40章〜42章

42章を交読。(新改訳2017)

中心聖句:42:5-6

「彼ら(ヨハナンたち)はエレミヤに言った。『主が、私たちの間で真実で確かな証人であられますように。私たちは必ず、あなたの神、主が私たちのためにあなたを遣わして告げられることばのとおりに、すべて行います。それが良くても悪くても、私たちは、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちの神、主の御声に聞き従って幸せを得るためです。』」

●このヨハナンや将校たちのエレミヤに対する応答は、あたかも、神に身をゆだねたものにみえる。「神のことばが、自分たちにとって都合の良いものであっても悪いものであっても、神に従う。なぜなら、神のことばに従うことが、一番の幸せであるから」と言うのである。信仰とは本来このようなものでなければならない。『殊勝な心掛け』だと感心するところである。しかし、ヨハナンたちの本音はそうではない。

●ヨハナンと将校たちは、イシュマエルが、バビロン軍のユダ国に残った人々の統治をまかされていたゲダルヤを暗殺し、逃亡していることを知り、イシュマエルを追いかけたが逃してしまった。そのために、ヨハナンたちは、バビロン軍の報復を恐れ、エジプトに逃れようとしていた。(41:16-18)

●ヨハナンたちがエジプトに逃れようとしていたのを、正当化するために、エレミヤを訪れ、お願いをした。「どうか、私たちの願いを受け入れてください。私たちのため、この残りの者すべてのために、あなたの神、主に祈ってください。ご覧のとおり、多くの者の中からわずかに私たちだけが残ったのです。あなたの神、主が、私たちの歩むべき道と、なすべきことを私たちに告げてくださいますように。」(42:2)

●エレミヤの答えはこうでした。「もし、あなたがたがこの地にとどまるのであれば、わたしはあなたがたを立て直して、壊すことなく、あなたがたを植えて、引き抜くことはない。」(42:10)「もし、あなたがたがエジプトに行こうと決意し、そこに行って寄留するなら、あなたがたの恐れている剣が、あのエジプトの地であなたがたを襲い、あなたがたの心配している飢饉が、あのエジプトであなたがたに追い迫り、あなたがたはそこで死ぬ。」(16)

主は、エレミヤを通して、「ユダの地にとどまりなさい」ということを10節から12節で説いておられるが、「エジプトに行けば死ぬ」ということを13節から22節に及んで、執拗に警告している。

●しかし、ヨハナンたちは、エレミヤを通じて、自分たちのすることの神の承認をえようとやってきたのであって、神の導きは求めていなかった。それは次の43章の1節~4節までに記されている。

●これは、私たちにも繰り返し起こる問題でもある。神の導きを求めるのではなく、自分たちの希望通りのことを神に承認してもらおうとする。自分勝手な願い。ヨハナンたちのように、「私たちは、必ず、主のことばのとおりに、すべて行います。それが良くても悪くても、私たちは、私たちの神、主の御声に聞き従います。」と殊勝な顔をして言うのである。

●自分勝手な願いには、二つの間違いがある。①神の導きを無視して計画を立てる。神の導きを求めずして、自分勝手な都合や思いで計画を立てる。②神の導きを喜んで受け入れる気がないのに、祈り求める。②は言語道断のように見える。しかし、「とりなし」の祈りに、この間違いをしていないであろうか。

●例えば、「回復が不可能と思いながら、その人の回復を祈る」ようなことをしていないだろうか。しかし、私たちの主は奇跡を起こされる方であると信じるなら、「奇跡的な回復を祈る」ことはできるのでは。私たちは、物分かりがあまりにもよくなりすぎて、また人間的な既成概念にとらわれすぎて、神の力、神の奇跡を信じられなくなってはいないか。死人をも復活させることのできる神の力と権威と奇跡を信じて祈ることが大切。

●また、神の導きが分らない場合、分かろうとしないのではなく単純に分からない場合、二つの選択肢がある。①神の導きが分るまで、確信できるまで祈り続ける。②神の導きだと信じて計画を実行する。どんな計画にも期日や締め切りがあるから、②の行動をとる場合が多いのかも知れない。その場合、本当に自分勝手な思いで動いていないかどうかを常にチェックし、主に祈ることを忘れてはいけない。もしも、それが主の導きでないとすれば、どこかでその計画は頓挫するか変更を余儀なくされる。その時が試練である。主のことばを、主の導きをより一層求めなければならない。

●また、私たちは次の信仰の核心を忘れてはならない。

「神のことばや導きが、自分たちにとって都合の良いものであっても悪いものであっても、神を信頼して神に従うこと。なぜなら、神のことばに従うことが、私たちを、一番の幸せに導くからである。」

祈ります。

主のいのり