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メッセージ主題:『すべての人の救い』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『テモテへの手紙』

2020時年8月30日

聖書拝読:テモテへの手紙第一2章1節~6節(新改訳聖書)

中心聖句:

「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(4)

メッセージ主題:『すべての人の救い』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、テモテへの手紙第一の第1章から、『罪人のかしら』と題しまして、神様の声に耳を傾けさせていただきました。この第1章は、「異なる教えについての警告」と「神の憐れみに対する感謝」とが記されています。先週は、「神の憐れみに対する感謝」のところから、「罪人こそが救われる」「自分が本当に罪人であるという意識が神を求め救われるのだ」というパウロの信仰を学ばせていただきました。

今朝は、テモテへの第一の手紙第2章から、『すべての人の救い』と題しまして、神様からの導きをいただきます。この第2章は、「祈りを中心とする信仰生活のすすめ」が中心となっています。キリスト者は、敬虔に、また威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすべきであるとパウロは述べています。このような信仰生活が救い主である神に喜ばれることだというのです。また、神が望んでおられることは、「すべての人が救われて、真理を知るようになること」であります。今朝は、この「すべての人の救い」について考えてみたいと思います。

短くお祈りいたします。

神が望んでおられることは、「すべての人が救われ、真理を知るようになること」であります。

「人が救われる」とは、「人が罪を贖われ、罪なき者とみなされ、罪の奴隷から解放され、永遠のいのちを得ること」です。また「人が真理を知る」とは、「神は唯一で、神と人との間の仲介者も唯一で、その仲介者とはイエス・キリストである」(5)ということです。神と人との間の仲介者は、祭司を意味します。地上の幕屋でささげ物をする祭司はたくさんいます。パウロはその地上での祭司を指しているのではありません。キリストは、天にある「真実の幕屋」、それは人間が設けた幕屋ではなく、主が設けられた幕屋である聖所に仕えておられるのであり、キリストの役目は、さらにすぐれた契約、新しい契約の唯一の仲介者」となることであります。このことは「ヘブル人への手紙」の8章で、詳しく述べられています。一度、ヘブル書8章を読まれることをお勧めいたします。

そして、もう一方で神が望んでおられることは、「いつも喜び、絶えず祈り、全てのことに感謝すること」であります。(1テサロニケ5:16-18)

神様の初めの望みが、私たちの神への信仰そのものと福音の広がりに関することですが、もう一つの望みは、私たちの信仰生活の基本に関することです。そして、「いつも喜び、絶えず祈り、全てのことに感謝すること」は、「敬虔に、かつ威厳をもって、平安で静かな一生を過ごす」(2)ことと関係しています。主にあって平安な人生とは、喜びと祈りと感謝に満ちた人生なのです。そして、それは神が喜ばれることなのです。

では、「すべての人が救われ、真理を知るようになる」には、私たちは何をすべきなのでしょうか。パウロは、まず「敬虔に、かつ威厳をもって、平安で静かな一生を過ごす」証し者であれ、と唱えます。つまり、まず自分の信仰生活が主に喜ばれるものでない限り、福音を宣べ伝えることは難しいということです。信仰生活が乱れていれば、良き証にはならない。当たり前のことです。

ほとんどの人は、相手のひととなりを観察しています。いくらその人の言っていることが立派でも、その人に魅力がなければ、人はなびきません。皆さんも経験があるのではないでしょうか。私に関して言えば、私がキリストに興味を持ったのは、聖書を読んだからではありません。クリスチャンの笑顔です。

1980年、私はアメリカのインディアナ州、つい先日、インディ500というアメリカでもっとも有名な耐久レースで日本人のレーサー佐藤琢磨が2017年につづいて2度目の優勝という快挙を成し遂げましたが、そのインディ500が行なわれたのが、インディアナポリスで、インディアナ州の州都であります。地理的には、シカゴのあるイリノイ州と横並びで、五大湖の南に位置しています。そのインディアナ州の州立大学、インディアナ大学のブルーミントン本校の大学院に留学している時でした。私は、留学生と大学院生が一緒に暮らしているマンモス寮に入っていました。1階に大きな食堂があり、ビュッフェスタイルで食事ができます。メインディッシュ以外はお替り自由で、いろいろな人たちがそこで食事を楽しんでいました。民族で固まったテーブルもあれば、学部生どうして囲むテーブルもありました。そこに、いろんな国からきた留学生が集っているテーブルがあり、彼らはいつもにこやかでした。留学生は一様に学業に四苦八苦しておりましたが、彼らの笑顔は他のテーブルのグループのものとは違って見えました。ある時、私は、そのグループの一人と知り合い、そのテーブルに誘われました。そのテーブルはクリスチャン留学生のテーブルだったのです。私の家は仏教でしたから、キリスト教には興味はありませんでしたが、彼らの笑顔の秘密には興味がありました。それから、どんどんとイエス・キリストを知るようになっていきました。きっかけは彼らの笑顔なのです。今でこそ分かるのですが、彼らの笑顔は、キリストの香りだったのです。

もちろん、あの時のクリスチャン留学生が、全員、今も変わらず、主にあっての喜びと平安に満ちた信仰生活を送っているかどうかはわかりません。もちろん、そうであってほしいと願っています。しかし、私のこの30年間の信仰生活を振り返っても、決して自慢できるようなものではなく、いえ、自慢するということ自体がおかしな話ですが、こんな者が、福音を伝える者とさせていただいていることは、まことに神様の憐れみであり、恵みであると感謝しています。そのように私たちの信仰生活は不完全で不安定です。しかし、30年前の彼らの笑顔は、聖霊様の働きによって、私をイエス・キリストに導いたのであります。

パウロはこのことを主張しているのであります。「敬虔に、かつ威厳をもって、平安で静かな一生を過ごす」ような信仰生活、それはまた、「いつも喜び、絶えず祈り、全てのことに感謝する」人生でもあります。そのような生活は、キリストの香りであり、人を惹きつけるのであります。信仰には、理論武装という学びも必要でしょう。しかし、福音は、頭だけでは、すんなりとは入って行きません。キリストの香りという聖霊様の働きがなくては、福音は、人の心に入って行きません。人は人を通して、その人の信仰生活、信仰態度を見て、その人の神を判断することがあります。パウロは、宣教と信仰生活が一体であることを、弟子のテモテに諭しているのです。

今朝は、天国長屋の八さん、熊さんは、結婚式の準備に行っており、こちらの礼拝はお休みをさせていただいております。あちらで、ひょっとしたら、水がぶどう酒に変わるような、信仰に導かれる奇跡が、イエス様によって行われているかもしれませんね。そうであると嬉しいのですが。八さん熊さんは、これで、2週続けて、お休みです。さびしい限りであります。八さん熊さんフアンには、真に申し訳なく思います。今朝も私のみで我慢してください。

さて、すぐに黙想に入りたいと思います。

まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、詩篇9篇を読んでみたいと思います。詩篇9篇を聞きつつ、今朝の「すべての人の救い」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。

すべての人の救いのために、近しい隣人の救いのために、私たちはまず何をすべきか、今日もパウロを通して教えてくださいました主の御名を賛美いたします。

黙想の前に、マタイの福音書13章44節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」

(詩篇9篇)

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お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「すべての人の救い」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。まず、私たちの信仰生活を正し、キリストの香りを放つ者として、聖霊様が働いてくださいますように。主の平安の内にあり、つねに主を喜び、主に賛美をささげる者としてください。そして、聖霊様によって、大胆にイエス様の愛を語る者へと変えてください。「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です」(2テモテ1:7)の御言葉は真実です。

猛暑やコロナを通しての、あなた様の御計画を私たちにもお知らせください。そして、それらからも守られ、また社会や経済が順調に回復しますように。そのことにより、主の栄光が現われますように。主こそ神であることをすべての人々が知ることができますように。贖いの主、イエス・キリスト様のお名前により、お祈りいたします。アーメン。

黙想時の歌

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0