メッセージ:「明日は主の憐れみ」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時)

9月10日

担当:若竹孝行

メッセージ:「明日は主の憐れみ」

今朝の聖書通読箇所:エゼキエル書25章〜27章

27章を交読。(新改訳2017)

中心聖句:27:34-36

「おまえ(ツロ)が海で打ち破られ、おまえの商品とおまえの全集団が、おまえとともに海の深みに沈むとき、島々の住民はみな、おまえのことで唖然とし、その王たちはおぞ気立ち、慌てふためく。国々の民の商人たちはおまえを嘲り、おまえは恐怖のもととなり、とこしえに消え去る。」

●諸外国の神の審判の預言

エルサレムの貴族に属する祭司であったエゼキエルは、25歳のときに、エホヤキン王とともにバビロンへ捕囚される。その地で結婚もするが、24章にあるように、エルサレム陥落の年に妻を亡くし、捕囚5年後、30歳の時から預言を始める。折しも、ユダと運命を共にしたエレミヤは最後をむかえようとしていた。紀元前586年のエルサレム陥落、その前に、エルサレムに敵対していた国々、ヨルダン川西側にいたアモン、モアブ、エドム、そして地中海側にいたペリシテに対する神の審判(バビロン軍の攻撃)を預言する。それが25章。そして、26章と27章では、ガリラヤ湖より北側にあった地中海沿岸部の港町ツロに対する神の審判が預言される。そして28章では、ツロの北に位置するシドンへの預言へと続く。

●ツロ陥落による哀悼

港町ツロを船にたとえ、多くの貿易商品と貿易相手をあげ、そしてどのように船が沈むかを、どのように港町ツロが陥落するかを預言している。

●ツロの美しさはおごりの現われ

3節「私は美の極みだ」。自らの繁栄を誇り、プライドが私たちの目を白く濁らせ、神を見ようとも、神の声を聞こうともしなくなる。

ヤコブ書4:15では、「『主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう』と言うべきです。」私たちには明日のことは分からない。もし、明日が与えられるのならば、それは自分の力ではなく、神様の憐れみなのである。神の憐れみの中に私たちは生かされている。そのことに気づくべきである。

ゆえに、繁栄や成功は神の御業。そして、神に栄光をお返しすべきものである。

●イエス様は、そのようなプライドを持つ私たちに、「悔い改めなさい」「神に立ち返りなさい」とおっしゃる。マタイ11:21-22で、「ああ、コラジン。ああ、ベツサイダ。おまえたちの間で行われた力あるわざが、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。おまえたちに言う。さばきの日には、ツロとシドンのほうが、おまえたちよりもさばきに耐えやすいのだ。」

主は、ヤコブ書4:6を通しておっしゃる。

「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」

祈ります。

主のいのり