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メッセージ主題:『良いことも悪いことも明るみに』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『テモテへの手紙』

2020時年9月20日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌254「心にあるこの安きを」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 新聖歌378「罪の世人らに」

交読: 交読文7:詩篇第23篇:新聖歌p.884-885

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌342「神の子なるイエス」

聖書拝読:テモテへの手紙第一5章24節~25節(新改訳聖書)

中心聖句:

「ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。同じように、良い行いは、だれの目にも明らかですが、そうでないばあいでも、いつまでも隠れたままでいることはありません。」(24-25)

メッセージ主題:『良いことも悪いことも明るみに』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、テモテへの第一の手紙第4章から、『キリスト・イエスの奉仕者』と題しまして、神様からのメッセージをいただきました。この第4章は、「キリスト・イエスの立派な奉仕者」について述べられており、簡単にいえば、キリストの福音を伝え、また兄弟姉妹に、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔、つまりは、救い主である、生ける神に望みを置くことを教えることが、主にある奉仕者であるとパウロは主張します。先週は、この「敬虔を教える奉仕」について、主に導いていただきました。

今朝は、テモテへの第一の手紙第5章から、『良いことも悪いことも明るみに』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきます。この第5章は、教会の人々に対して、お互いの接し方について述べられております。比較的、若輩のテモテがどのように教会員を導いていくのかということが示されています。今朝の24節25節は、22節に特化した話であります。つまり、教会の長老や牧師などの指導者的立場の人を選び任命する(ここでは、「按手をする」という表現になっていますが)のに、短絡的にしてはいけない。その人の隠れた部分の良いところも悪いところもいずれ明るみになるから、じっくりと吟味しなさいと、パウロはテモテにアドバイスしています。今朝は、この『良いことも悪いこともいづれは明るみに出る』のだということを、役員や長老選出にかぎらず、私たち自身にもそのように起こることを考えてみたいと思います。

短くお祈りいたします。

先日、やっといろいろあった安倍首相が辞任し、その時の菅官房長官が首相となり、新しい内閣が発足しました。内閣の顔ぶれをみますと、あまり新鮮味がないといいますか、おじいちゃんが多い。まあ、任期まで続いたとしてもあと約1年ですから、無難な人事ともいえるかもしれません。別の言い方をすれば、適材適所の内閣ともいえるでしょう。発足後すぐにいろいろとアクションを起こしています。私は政治に疎い方なので、偉そうなことは言えないのですが、今回の菅総理の大臣たちの人選は、今日の聖句に沿ったものだと、思ってしまいました。つまり、長い間、国会議員をやって来ている人は、個人や秘書たちのびっくりするようなスキャンダルがほとんどない人たちです。良いことも悪いことも明るみにでてきている人たちともいえるでしょう。前総理の人選で目玉的な人たちは、ことごとくスキャンダルで去っていきました。そういう意味で、菅総理の人選は、失敗しない人選であり、手堅いともいえるでしょう。1年しかない任期の中で、成果を出しつつ、スキャンダルで足を引っ張られない、ひいては、自民党の人気があがり、1年後の衆議院の選挙には優位に働く、私は自民党びいきではありませんが、1年後の選挙をも見据えた、ちょっとニクイほどの人選ではないと、ひそかに思っております。

まあ、政治の話はさておき、今朝の『良いことも悪いこともいづれは明るみになる』ということは、なんか恐ろしいことでもあります。私なんぞは、恥ずかしいこともいっぱいしてきていますし、もともと「なんちゃって牧師」ですから、何か隠れているもの、それが私が故意に隠しているものもあれば、全く意識のないものもあって、それが全て明るみになるというのですから、怖いったらありゃしません。ここでの「明るみになる」ということは、必ずしも白日の下にさらされるということではないような気がします。良いことにしろ、悪いことにしろ、神様の報いを必ず受けるという事ではないでしょうか。

イエス様はこうおっしゃいます。「パリサイ人のパン種に気をつけなさい。それは彼らの偽善のことです。おおいかぶされているもので、現われないものはなく、隠されているもので、知られずにすむものはありません。」(ルカ12:1-3)ここでの隠されたものとは、彼らの偽善の罪です。罪はすべて知られるとイエス様はおっしゃいます。しかし、こうは考えられないでしょうか。罪は、それが故意であろうがなかろうが、隠れているものは、遅かれ早かれ、すべてをご存知の神によって裁かれるのです。そうであるならば、こちらから、神様にすべてを打ち明けて、楽になった方が得ではないでしょうか。よく刑事もののテレビドラマで、取調室で、「お前がやったんだろ、早く白状して、楽になれ」ということを耳にします。神様は、刑事のようなものの言い方はなさいませんが、そのようなことをおっしゃっておられるのではないでしょうか。「早く罪を告白して、悔い改めて平安を得なさい。」と。

では、だれに罪を告白するのでしょうか。もちろん、一番先に神様に告白します。そして、その罪が他の人に影響するなら、その人たちに罪を告白して赦してもらうよう、頭を下げないといけません。また、それが法律にふれるなら、法律の下で、裁かれないといけないでしょう。

私たちの罪は、告白し悔い改めれば、イエスキリストの血潮である命によって、その罪は神様から見えないようにしていただいています。また、違い言い方をすれば、イエス・キリストの血潮によって、罪の汚れは洗い去られ、白くなっています。もちろん、赦されない罪もあります。イエス・キリストを否定する罪です。イエス・キリストによる罪の赦しを否定するのですから、その罪は赦されません。また、私たちは、この世に住んでいるわけですから、社会的な裁きが必要な罪は、また、別の社会的償いが必要となります。しかし、その罪による魂の死は、イエス・キリストの贖いによって回避されているのです。

とにかく、神様に罪を告白し、赦しを得、平安を得ましょう。さて、これまでは悪いこと、罪が明るみになるということを考え、私たちがどうすべきなのかを見てきました。今度は、「良いことが明るみになる」ことを考えてみたいと思います。

イエス様が秘密にしておきなさい、つまり隠しておきなさいとおっしゃったことがあります。ルカ12:3での、「メシヤの秘密」であります。「あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます。」この秘密は、ルカ9:20-21節のことです。イエス様は弟子たちにおっしゃいました。「では、あなたがたはわたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えて言いました。「神のキリストです。」するとイエス様は、このことをだれにもはなさないようにと、弟子たちを戒めて命じられました。イエス様がキリストであることを秘密にしておきなさい。しかし、後に広まっていき、そのことで、祭司長たちに捕らえられ、十字架刑に処せられるのです。神様の時期によって、イエス様がキリストであることは明るみにでるのです。

「イエス様がキリストである」という隠された秘密は、私たちにとっては良いことであり、それはやがて明るみにで、福音が伝えられるようになりました。

しかし、良いことはなるべく隠れた所でおこないなさい、隠しておきなさいとイエス様はおっしゃいます。「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」(マタイ6:3-4)良いことをしていることを、人に見られると、人はその良いことに対して賛辞を送ります。人に褒められることは、悪い気はしません。しかし、人に褒められてしまうと、祝福を受けてしまったことになり、本当に受けたかったはずの、神様からの祝福はなしになってしまいます。それは、正直、もったいないと思うのです。なぜなら、神様の祝福は、人間の祝福より、はるかに優れたものだからです。そして、その良いことは、いつかは人に知られることになるかもしれません。神様の祝福を得た後のことです。ですから、隠れていた方が、神様からもそして人からも祝福していただけるので、二倍お得なのです。まあ、良いことをすること自体、損得ではありませんので、それで終わって忘れていたらいいのです。そうすれば、思いもかけない時に、神様からの祝福があるということになるでしょう。

神様の祝福を得るために、神様にほめられたいために、神様に喜んでいただきたいために、主の栄光が現われるために、良いことをするのは、偽善でしょうか。偽善は、自分の利益のために、自分のプライドのために、善を行うことです。この線引きはむずかしいところがあります。その人の心がどこにあるのかということにも強く関係します。神の祝福は、神様の判断によるもので、私たちが取引できるようなものではありません。しかし、私たちは神の祝福を得たいと願っていることも事実です。私は、良いことをする時に、私たちの心が神様の方を向いているのであれば、偽善ではないと信じています。良かれと思ってしていることで、時に耳元で「お前は偽善者だ」という声に驚かされることがあります。しかし、その時に私たちの心が神様に向いているなら、私は、安心して、その良いことを続けるでしょう。

さて、そろそろ、天国長屋の八さん、熊さんにも登場していただきましょう。八さん、熊さん、今朝の礼拝のタイトル「良いことも悪いことも明るみに」で、何か思わされたことはありますか。

―――――

八: お、来なすったね。さっき牧師さんが言ってた、「メシヤの秘密」のところで、「なるほど」、と思ったところがあったんだ。それは、マタイ13章44節だ。「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。」

熊: 「畑に隠された宝」が「メシヤの秘密」ってことか。

八: あの畑に隠された宝っていうのはよ、天の御国のことなんだけど、つまりは福音のことじゃねぇかと思えたんだ。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(1コリント1:18)とあるじゃねぇか。十字架のことばは、イエス・キリストの福音だ。だから、あの畑に隠された宝っていうのも同じ、イエス・キリストの福音のことだと、ふと思ったんだ。イエス・キリストの福音は、今や公になってはいるけど、信じようとする者のために、実はその奥義は隠されてるのさ。

熊: なるほどね、そうかも知らねぇな。俺は、八の話をきいていて、天に宝を蓄えることを思い出したよ。「持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。あなたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。」(ルカ12:33-34)この世の宝をぜんぶ売っちまって、そのお金を必要な人に使ってもらうんだ。俺の宝は、神様を愛する心、イエス様を思う心さ。そして、その心は毎日新しくされる。明日をむかえられることは、神様の憐れみだ、神様からの恵みさ。日ごと夜ごとに感謝が積まれるのさ。

八: この世の宝を売っちまうってことは、この世に魅力を感じるのをやめたってことだ。そうして、初めて、自分を愛するように人も愛せるのかもしらねぇな。自分のために財布をつくるのなら、それは人のためにもなるのだろうな。そうすると神様が祝福してくださる。そこでやっと明るみにでるんだ。まあ、世間の人に知られなくても、神様がご存知なんだからそれで十分なんだけどな。

熊: それと、もう一つの、悪いこと、罪なことは、さっさと神様に告白して、赦していただこう。すべての罪は赦されないことはない、だって、そのためにイエス様はこの世にいらっしゃったのだから。罪を告白して、早く楽になって平安を得たほうがいい。それよか、良いことに心を向けたいものさ。

八: そうさな。イエス様が俺たちの助け主であったように、俺たちも、人を助ける、また人を救うお手伝いができれば、神様喜んでくださるだろうな。

熊: ああ、やっぱり、神様に喜んでもらいてぇ。それで十分さ。神様だけでも、俺のことを分かって下されば、それで十分さ。牧師さんもそう思うだろう?

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。確かに、神様に喜んでいただく、それが一番です。すべては、明らかになり、神様の知るところとなり、私たちは、その行いによって裁かれ、また祝福を受けます。また、神様から裁かれ、祝福を受けることで「明らかになっている」ともいえるでしょう。しかし、神様からの裁きを待つのではなくて、悪いこと、罪はどんどん、神様に先に謝ってしまいましょう。イエス様によってすべての罪は赦されるのですから。そして、天に宝を積むことを考えましょう。神様に喜ばれるかどうか、またイエス様だったらどうされるかということを、私たちは基本にして、行動を起こさないといけないような気がします。

では、ここで黙想に入ります。

まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、詩篇17篇を読んでみたいと思います。詩篇17篇を聞きつつ、今朝の「良いことも悪いことも明るみに」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。良いことも悪いことも遅かれ早かれ明らかになるのであれば、悪いことはさっさと悔い改め、聖霊様によって、罪から遠ざかるようにさせていただきましょう。また良いことは、神が必ず認めてくださると確信し、自分を愛するように人も愛することのできるものへと私たちを造りかえていただき、天に宝を積み続けましょう。

黙想の前に、マルコの福音書10章21節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」

(詩篇17篇)

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

 

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「良いことも悪いことも明るみに」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちが神様の御前に出る時、すべてが明らかとなります。どうかその時に慌てることのないように、罪を告白し悔い改めて赦しをえさせてください。また人に褒められたいからするのではなく、神様にほめられるように、すべてを行えるよう、聖霊様、導いてください。私たち主、救い主イエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌262「わが生涯は」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の歌

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。