· 

メッセージ主題:『満ち足りる心を伴う敬虔』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『テモテへの手紙』

2020時年9月27日

聖書拝読:テモテへの手紙第一6章3節~19節(新改訳聖書)

中心聖句:

「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」(6)

メッセージ主題:『満ち足りる心を伴う敬虔』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、テモテへの第一の手紙第5章から、『良いことも悪いことも明るみに』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきました。この第5章は、教会の人々に対して、お互いの接し方について述べられております。比較的、若輩のテモテがどのように教会員を導いていくのかということが示されています。5章の24節25節は、22節に特化した話であります。つまり、教会の長老や牧師などの指導者的立場の人を選び任命する(ここでは、「按手をする」という表現になっていますが)のに、短絡的にしてはいけない、その人の隠れた部分の良いところも悪いところもいずれ明るみになるから、じっくりと吟味しなさいと、パウロはテモテにアドバイスしています。先週は、この『良いことも悪いこともいづれは明るみに出る』のだということを、役員や長老選出にかぎらず、私たち自身にもそのように起こることを考えてみました。

今朝は、テモテへの第一の手紙第6章から、『満ち足りる心を伴う敬虔』と題しまして、神様からのメッセージをいただきます。敬虔とは、何度も申し上げていますが、簡単に言えば、創造主である神を畏れることです。「満ち足りる心を伴う敬虔」とは、自分のおかれた状況に満足し感謝する。その状況下に自分を置いたのは神であることを知り、その状況に満足することであります。今朝はこのことを主に教えていただきたいと思います。

短くお祈りいたします。

パウロは、7節と8節で次のように述べています。「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。」パウロは、金銭を愛している人、また、高慢になっている人にこのことを告げていますが。それらの人たちは、私たちの姿でもあります。私たちは、金銭にも弱い、プライドにも弱い人間であります。貧しすぎても富みすぎても、セルフイメージ、自己イメージが低くすぎても高すぎても、敬虔から遠ざかることになるでしょう。

箴言の著者は、次のように言います。30章8節9節です。

「不真実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で、私を養ってください。私が食べ飽きて、あなたを否み、『主とはだれだ。』と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし私の神の御名を汚すことのないために。」富も貧しさも敬虔を失い、神から離れることになる。ゆえに、箴言の著者は、神が定められた分の食物、つまり生活の糧で満足させてください、と主にお願いしています。

イエス様もマタイ書6章25節26節でおっしゃいます。

「自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配しありしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。」

私たちは、神が私たちを養ってくださる分で満足し、神に感謝すべきなのです。そして、それが神を畏れることでもあるのです。

今朝は、それと敬虔に関係して、セルフイメージのことを簡単にお話ししたいとおもいます。

セルフイメージの低いひとは、コンプレックスの塊であり、プライドの塊であるそうです。また自分に自信がないために、身の回りの物で自分を良く見せようとする傾向があり、プライドが高いために、威張ったり、キレやすかったりするそうです。聖書では、祭司長たちのような人たちがそうではないでしょうか。

また、セルフイメージの高い人は、自分自身に自信があり、チャレンジ精神が高く、失敗しても「失敗は成功のもと」と考え、再チャレンジできる人のようです。しかし、自信過剰や自己中心、地球は自分中心に回っているというような考えに陥る可能性もあります。聖書では、世の成功者である金持ちがそれにあたるかもしれません。

さて、私たちはどちらでしょうか。謙遜や敬虔を聖書から学ぶ私たちは、セルフイメージは低いのでしょうか。勘違いをしてはいけません。セルフイメージの低い人は、自分の弱さを隠そうとします。しかし、クリスチャンである私たちは、弱さを認めて、それを主にゆだねようとします。パウロは第二コリントの中で次のように主張します。「主は、『わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。』と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(12:9-10)

主に依り頼むことによって、私たちのセルフイメージは高くなるのです。しかし、それが自信過剰になれば、神を崇拝するのではなく自分自身を神としてしまうことになり、頭を打たれます。

ですから、主に依り頼み、主を恐れることによって、私たちのセルフイメージは、ちょうどよいバランスとなるのです。卑屈にもならず、高慢にもならない。セルフイメージの低すぎるひとは、謙遜を勘違いしている人です。皆さんは、主が選ばれた人なのです。確かに、聖書には、「恐れるな、虫けらのヤコブ。、、、わたしはあなたを助ける。あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。」(イザヤ書41:14)と、神は人を虫けら呼ばわりされます。それは、敵を恐れ、敵の足音だけで逃げ回る虫のようだと言われるのです。しかし、これは私たちを罵倒する言葉ではなく、励ましの言葉なのです。「私の翼の陰に身をおきなさい」と主はおっしゃるのです。

ここである物語をお話しさせてください。

あるところにとても貧しい暮らしをしている人がいました。今まで勤めていた所もコロナの影響で首になってしまいました。そこで、彼は神様に祈りました。「どうか、生活ができるようにしてください。」と。ある日、そのことを知った友人が訪ねてきて、アルバイトの仕事を持ってきました。しかし、それは工事現場での仕事で、きつい仕事でもあり、また不安定でしたので、断りました。またある日、職業安定所に行きました。職安では、やっと見つけて下さった安定した仕事は、飲食業で、土日が常には休みではありませんでした。彼は、土日は友達と過ごしたかったので、断りました。しばらくして、貯金も底をつき、また、お金が返せないので、友人たちからもお金を貸してもらえなくなり、ある人から、生活保護を一時的にでも受けたらどうかと提案がありました。しかし、「生活保護」というイメージから、彼のプライドが許しませんでした。ある夜、彼は、夢の中で、神様に訴えました。「どうして、助けて下さらないんですか。こんなにお祈りしているのに」と。そこに、天から声がしました。「私は三度も手を差し伸べた。初めは、お前の友人を使って、工事現場の仕事を差し出した。しかし、お前は、その仕事をやるまえから、きついからいやだと断ったではないか。二度目は、職安をつかって飲食業の仕事のチャンスを与えた。しかし、お前は友達との交流を優先させた。しかし、見よ。その友達たちは、ことごとくお前の前からいなくなったではないか。そして、三度目に、生活保護という手段を使いなさいと言ったのに、お前の人の目を気にするプライドがその援助を受けさせなかった。お前は私の導きをすべて、自分勝手に断った。しかし、お前はあわれだ。私はお前を愛している。最後にもう一度手を差し伸べることにする。その仕事は、きつく、休みも少ない、そしてお前のプライドをズタズタにするかも知れない。しかし、忍耐をもって私に従いなさい。そうすれば、お前は生きる。」その人は、夢から覚め、悔い改め、まだ見ぬ仕事を受ける覚悟をきめたそうです。

私たちは、主の導きを祈り、求めいるにも関わらず、私たちの勝手な思い込みや利己的な都合で、主の導きを受け逃してはいないでしょうか。今私たちの置かれている状況は、神様の御計画の中にあります。そうだとすれば、どんな状況下に置かれていても、主に感謝し、主の御名を賛美することを怠ってはいけません。それは、神の導きに対して従順であることを求められ、満ち足りる心を伴う敬虔をはぐくませてくれます。どうか、神の導きに敏感になってください。黙想を含め、常に主とお話をし、主の御名を賛美することをこころがけてください。

さて、そろそろ、天国長屋の八さん、熊さんの登場時間ではありますが、今朝は、八さん、熊さんとも、他の教会の礼拝へ伺って、落語を披露することになっており、残念ながら、今日はこちらにはいません。

ということで、今朝は八さん熊さんなしで、黙想に入りたいと思います。

まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、詩篇22篇を読んでみたいと思います。詩篇22篇を聞きつつ、今朝の「満ち足りる心を伴う敬虔」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。どうか、聖霊様が、私たちに神を畏れる心をはぐくんでくださいますように。私たちの置かれている状況は、神の御計画の内にあることを、わたしたちが常に忘れないようにしていただきましょう。

黙想の前に、マタイの福音書6章33-34節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。明日のことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

(詩篇22篇)

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝の導きを感謝いたします。今朝は「満ち足りる心を伴う敬虔」と題しまして、あなた様からメッセージをいただきました。私たちが、主を恐れ、主の御計画のうちにある現状がなんであれ、感謝し、主のさらなる導きを求め祈ることができますように。私たちの主、助け主イエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。

黙想時の歌

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0