大阪エリム・キリスト教会
木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時)
10月8日
担当:若竹孝行
メッセージ:「希望と契約」
今朝の聖書通読箇所:ゼカリヤ書7章〜10章
8章を交読。(新改訳2017)
中心聖句:8:7-8
「万軍の主はこう言われる。『見よ。わたしは、わたしの民を、日の出る地と日の沈む地から救い。彼らを連れ帰り、エルサレムのただ中に住まわせる。このとき、彼らはわたしの民となり、わたしは真実と義をもって彼らの神となる。』」
●8章は、神の恵みへの回復
3節:「わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住む」
キリストは、この地上をおさめることになる。
4節5節:「老いた男、老いた女、男の子と女の子でいっぱいとなる」
老若男女が平安に暮らす、天の御国の姿をみせてくださる。
6節:「この民の残りの者には不思議に見えても」
不思議とは、全員が平安に暮らす姿。しかし、神は全能のお方で、主にとって不思議ではない。バビロン捕囚から帰還した民が、神殿を再建させる。
「神はどんなことでもできる。」(マタイ19:26)ことを忘れてはいけない。
7節:「日の出る地と日の沈む地から救う」
日の出る地=バビロン・アッシリア、日の沈む地=エジプト。
神は、バビロンからもエジプトからもエルサレムを救うと約束。
8節:「エルサレムのただ中に住まわせる」
神が神殿に宿り、恵みに満ちる。
●新天新地の恵み
エレミヤ3:17「そのとき、エルサレムは『主の御座』と呼ばれ、万国の民はこの御座、主の名のあるエルサレムに集められ、二度と彼らは悪いかたくなな心のままに歩むことはない。」
新天新地に住むとき、私たちは平安につつまれ、誘惑からも遠ざかっている。
私たちが主を信じ、「キリストは私の主です」と告白すれば、聖霊様が私たちを心の内から導き、主にすべてを寄り頼むとき、天で味わうことのできる平安を得ることができる。バビロン捕囚という苦難の先に、主の祝福が用意されている。それは、希望である。私たちは、いま経験している苦難や苦痛、煩いの先に、神の憐れみが用意されていることを確信すべきである。だから、「勇気を出しなさい、恐れないでいなさい」と主はおっしゃる。
明らかなのは、この希望が与えられるのは、主と契約をむすんだ者たちだけ。主との契約とは、私たちが神を誠心誠意愛するということ。しかし、その前に、私たちには、神との断絶を解くことが必要であった。神はイエス・キリストを救い主として、和解の仲介者として、私たちに与えられた。私たちは、イエス・キリストを通して、神に近づくことができ、誠心誠意愛することができるのである。そのイエス・キリストを介しての契約こそが、私たちを先の希望へと導いてくれる。イエス・キリストを愛すること、つまり、キリストを常に思い、キリストとともに喜び、共に泣く。キリストを私たちに日常へと招待しつづけないといけない。契約が成立し続けた上に、私たちの希望、永遠のいのちと平安と喜びが現われるのである。
祈ります。
主のいのり