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メッセージ主題:『キリストをいつも思う』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『テモテへの手紙』

2020時年10月11日

聖書拝読:テモテへの手紙第二2章1節~13節(新改訳聖書)

中心聖句:

「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」(1)

「私の福音の言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」(8)

メッセージ主題:『キリストをいつも思う』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、テモテへの第二の手紙、第1章から、『力と愛と慎みの霊』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきました。このテモテへの第二の手紙は、パウロの最後の手紙です。ローマの大火による大規模なクリスチャンに対する迫害が起き、そのさなかでの、パウロの投獄は、パウロに死を覚悟させました。パウロは宣教に対して臆病で弱腰になっているかもしれないテモテに、聖霊による3つの特性を示しています。それが、力であり、愛であり、慎みであります。先週は、この3つの特性について考えさせていただきました。

今朝は、テモテへの第二の手紙第2章から、『キリストをいつも思う』と題しまして、神様からのメッセージをいただきます。パウロは、若いテモテに「わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」とアドバイスします。実は、この2章はアドバイス満載です。2章のアドバイスを吟味しながら、主がパウロを通して私たちにお語り下さっていることを心にとどめたいと思います。

短くお祈りいたします。

2章でのアドバイスは次の通りです。

1節:「キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」

2節:「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも伝える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」

3節:「キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。」

8節:「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」

14節:「何の益にもならず、聞いている人々を滅ぼすことになるような、ことばについての論争などしないように、神の御前できびしく命じなさい。」

15節:「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」

22節:「あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい。」

23節:「愚かで、無知な思弁をさけなさい。」

24節:「主のしもべが争ってはいけません。」

24-25節:「すべての人にやさしくし、よく教え、よく忍び、反対する人たちを柔和な心で訓戒しなさい。」

これらのアドバイスの中で、今朝は、1節と8節を取り上げてみたいと思います。なぜなら、私は、この1節と8節は関連があり、私たちの信仰生活において、もっとも大事だと思うからです。

1節:「キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」

テモテは若さゆえに、また性格的にも、困難を恐れがちであったのでしょう。しかし、私たちもそうです。人の顔色を気にするところもあります。しかし、パウロは、「キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい」と励まします。キリストの恵みとは、8節でも述べていますように、救い主の出現を約束されたダビデの子孫として生まれ、十字架にかかり、自らの命をいけにえとしてささげ、私たちの罪をその血によって贖い、死人の中からよみがえり、死を克服して、私たちに永遠のいのちの保証を約束してくださった、そのことであります。永遠のいのちを保証された私たちが何を恐れましょうか。

神はアブラム、後のアブラハムにおっしゃいました。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」(創世記15:1)アブラムは家畜と銀と金とに富んでいましたが、ロトを分かれ、荒れ地の多いカナンの地に住みました。また、いろいろと略奪にあい、戦ってそれを取り戻しましたが、一番の心配事は、彼には跡継ぎとなる嫡子がいなかったことでありました。そのように苦労と悩みのあったアブラムに主は、彼の受ける報いは、彼の子孫が天の星のように数えきれないぐらいに増えるということを伝えたのでした。アブラムはその主の言葉を信じ、主はそれを彼の義と認められました。(創世記15:6)

私たちの報いも大きいことを、私たちは忘れてはいけません。私たちが神を信じ、御子イエス・キリストの恵みを信じ続けることによって、私たちは、天の御国での平安と喜びを、そして御国での永遠のいのちにあずかれるのです。それこそが、私たちの大いなる報いであります。

イザヤは神のことばを次のように伝えます。「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」(イザヤ41:10)

『神が私たちと共におられる』というのが、最大の祝福であります。つまり、神は、私たちの足りないところを補ってくださるばかりか、弱い所を何倍も強くしてくださり、私たちの代わりに、攻守ともにリードしてくださいます。私たちは、自分の責任として精いっぱいのことをし、その上で主にあとをお任せすることです。結果は主が導いてくださいます。ですから、主は、「結果を恐れるな、心配するな」とおっしゃるのです。

そして、8節「ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」「イエス・キリストをいつも思っていなさい」とは、「イエス・キリストの恵みを忘れてはいけない」という事でもあります。イエス・キリストの恵みは先ほど申しました。日々の生活の中で、その恵みを覚えつつ、主に感謝をささげ、主と親しく会話し、御言葉に心を留め、主と霊的に交わり、主を喜ぶ。そうすれば、自然と、私たちは、主に守られ、主の道を踏み外すことなく、細い道であっても、両側が崖であったとしても、私たちが主から目を離さない限り、恐れず、主が手をとって導かれるのです。

皆さんは、まだ何を恐れますか。自分の不信仰さですか。信仰的な弱さですか。その意味では、だれも強くありません。たとえ牧師や司祭や崇高なる聖職者でも、弱さはもっています。私たちは生身の人間ですから、みんな、50歩100歩なのです。だからこそ、イエス様がお送りくださっている聖霊様の助けが必要なのです。「イエス・キリストをいつも思える」のは聖霊様の導きでもあります。

イエス様はおっしゃいます。「父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。、、、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:16&26)

聖霊様は、いつもイエス様の教えを思い起こさせてくださいます、つまり、聖霊様によって、「イエス・キリストをいつも思う」ことができるのです。

詩篇には次の言葉があります。「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」(8:4)

これは、神様が私たち人間を特別に扱っておられることへの驚きと感謝と神様への賛美であります。それをイザヤ書では次のように主は記しておられます。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしは、あなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。、、、わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(43:1-4)

私たちは、神様に愛されています。神様が創造されたものの中で、特別扱いされています。ゆえに、信仰的に弱さをおぼえる私たちに、聖霊様が送られ、私たちの弱さを補ってくださるのです。

神様に愛されていることを実感できませんか。あなたがこの世に生まれてきたこと、それ自体が神様の愛なのです。神様が創造した世界は神様の愛で満ちあふれています。その神の愛の世界に私たちが置かれていること、また、罪まみれの私たちを救おうと、イエス・キリストをお送りくださったこと。すべて神様の愛の業です。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」という御言葉(ヨハネ3:16)は真実で、信じるに足ることばであり、真理なのです。

どうか、私たちの主イエス・キリストをいつも思ってください。主の愛の恵みをいつも感謝し、聖書にあるイエス様の教えに親しんでください。信仰を自分の人生の中心に置き、救い主であるイエス様を常に覚えましょう。

さて、今朝は八さん、熊さんは、英語検定試験の監督官にひっぱりだされています。ですから、今日はこれからすぐに黙想に入りたいと思います。

まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父よ」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、少し長いですが、イザヤ書43章を読んでみたいと思います。イザヤ書43章を聞きつつ、今朝の「キリストをいつも思う」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。イエス・キリストをいつも思うのであれば、恐れはなく、感謝の気持ちと平安とで心はみたされるはずです。

黙想の前に、マタイの福音書17章20節のイエス様のお言葉をお読みいたします。からし種ほどの信仰は聖霊様によって得られると覚えましょう。

「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。」

(イザヤ書43章)

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お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝のメッセージを感謝いたします。今朝は「キリストをいつも思う」と題しまして、あなた様から導きをいただきました。私が強くあり続けられる秘訣は、イエス・キリストの恵みと御業とみ教えをいつも思うからであります。それは、私たちが、神様によって愛されているという確信からきます。そして、その確信を与えてくださるのは、聖霊様です。すべてにおいて、内なるキリスト、助け主なる聖霊様のお働きによるのです。どうか私たちが、そのことを忘れないようにし、困難にも立ち向かうことができますよう、お導きください。

私たちの主、導きの主イエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。

黙想時の歌

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