メッセージ:「天の御国とその宝」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時)

10月15日

担当:若竹孝行

メッセージ:「天の御国とその宝」

今朝の聖書通読箇所:マタイの福音書13章〜15章

13章を交読。(新改訳2017)

中心聖句:13:23

「良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

●メッセージの中心は、「みことばを聞いて悟る人」の「悟る」とは、「イエス・キリストが私たちの救い主だということ、天の御国の宝が、イエス・キリストご自身または、イエス・キリストを知ることであること」を悟ること。

●13章は、イエス様が、天の御国のすばらしさを喩えで描いている。

23節:天の御国は、種が30倍、60倍、100倍と実をつける良い土地。

24節:天の御国は、良い麦を選り分けて神の倉に納める、その倉。(世の終わり)

31節:天の御国は、からし種。

33節:天の御国は、パン種。

44節:天の御国は、畑に隠された宝。

45節:天の御国は、良い真珠を探している商人。

47節:天の御国は、あらゆる種類の魚を集める網。

●「天の御国は、すばらしい」ことの強調

23節の良い土地、31節のからし種、33節のパン種。

このイエス様のたとえ話を聞いていると、天の御国に対して、希望もてる。

実が100倍に増えたり、小さいからし種が成長して大きくなったり、また、パンがパン種によって膨らんだり。

天の御国の具体的な描写はなにもおっしゃっておられないが、聞く者に、天の御国のすばらしさのイメージを膨らませる。聞く者に、期待感をもたせる。

●天の御国の現われは、世の終わりの時。

24節の良い麦と毒麦の譬えは、世の終わりの最後の審判を表していて、それは、良い麦が神の倉、つまり天の御国に入る、クリスチャンの方からみれば、天の御国に現われである。

●天の御国はすべての人のもの。

47節のあらゆる種類の魚を集める網は、民族や人種を表していて、御救いにあずかるのはすべての人が対象となることを示唆。しかし、その人々の中には、毒麦と同じく、天の御国に入ることのできる人とそうでない人がより分けられる。網が引かれるとは最後の審判のことを意味している。選ばれた者、網に入った者。選ばれなかった者、網に入らなかった者、招待されなかった者。その上で、網の中の者が、さらにえり分けられる。ここは、イエス様の結婚式披露宴の招待客のたとえ話とつながる。

●では、誰が良い麦であり、良い魚なのか

44節での畑に隠された宝を見つけた人、この世の宝に心をおくのではなく、全財産をおしまず、その天の宝である、永遠のいのちを受け取るひとです。また、高価な真珠を一つ、つまり、主イエスを見つけた人は、同じように、全財産をささげ、キリストを自分のものとする、キリストを心に招き入れた人である。

「あなたの宝のあるところに、そこにあなたの心もある」(マタイ6:21)

キリストに心を向けることで、私たちは、天の宝である、永遠のいのち、そして主にある平安を自分のものとすることができる。

それだけではない。この世で、その宝を愛でることができる。永遠のいのちの希望を持ち続けることで、この世で、主の平安を受け、天の宝を所有しているという喜びに満たされるのである。

御言葉を聞いて、イエス・キリストが主であることを、私たちが私たちの人生の主人ではないことを悟ろう。そして、この世の宝ではなく、天の御国の宝である、救い主、御子、イエス・キリストに、この世でのいのちの限り、心にとめよ。あなたが、百倍の祝福を父なる神から受け継ぐために。

祈ります。

主のいのり