· 

メッセージ主題:『整えられた者となるために』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『テモテへの手紙』

2020時年10月18日

聖書拝読:テモテへの手紙第二3章10節~17節(新改訳聖書)

中心聖句:

「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」(15b-17)

メッセージ主題:『整えられた者となるために』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、テモテへの第二の手紙第2章から、『キリストをいつも思う』と題しまして、神様からのメッセージをいただきました。パウロは、若いテモテに「わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」とアドバイスします。実は、この2章はアドバイス満載です。2章のアドバイスを吟味しながら、主がパウロを通して私たちにお語り下さっていることを心にとどめさせていただきました。

今朝は、テモテへの第二の手紙第3章から、『整えられた者となるために』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきます。パウロは、ローマに投獄され、自分の死期が近いことを悟り、弟子のテモテに、パウロという先生がいなくなったとしても、信仰のよりどころは、聖書にあることを強調します。私たちの信仰は、もちろん、イエス・キリストを救い主、贖い主として仰ぎ見ることから始まりますが、聖霊によって、聖書を読み理解することを通して、キリスト者としての品格が育つ、キリスト者として整えられるのでしょう。今朝は、そのことを学ばせていただきたいと思います。

短くお祈りいたします。

イエス様は、ユダヤ人たちを次の言葉で糾弾します。

「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。それなのに、あなたがたは、いのちを得るためにわたしのもとに来ようとはしません。」(ヨハネ5:39)

永遠のいのちを得るためには、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストのもとに近づかないといけません。その上で、イエス・キリストを証ししている聖書を調べることによって、信仰は深まり、救いは確実なものとなっていきます。信仰がないのに、聖書を読んでも、それは教訓、道徳の書となってしまいます。特に、箴言は、知恵の書と呼ばれるぐらいですから、人生を上手に生きるための手引きともなるでしょう。しかし、それだけでは永遠のいのちにはたどり着けません。私たちは罪人であるがゆえに、自力で永遠のいのちを得ることは不可能なのです。神のものである「永遠のいのち」は、人間の力では手に届かないものなのです。そこで、神は、神と人間との和解を結ぶための仲介者として、また、罪を帳消しにする贖罪者として、イエス・キリストをこの世にお送りくださいました。そのキリストを証しするのが聖書であります。ですから、イエス・キリストを信じる信仰なしで、何回聖書を読もうと、永遠のいのちにはたどり着けません。また、聖書はイエス・キリストを証しするものでありますから、イエス・キリストを信じることなしに聖書を読んでも、本来の聖書が意味するところが分からないままです。逆に言えば、イエス・キリストへの信仰によって、聖書に隠された知恵が現われるのです。それは、あたかも、「目からうろこ」という表現が似つかわしいぐらいの、「ハタ」と、真理に気づかされることがあります。それは、いわば、宝です。イエス様が、「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。」(マタイ13:44)とおっしゃった、真理の宝です。

「目からうろこ」と言えば、まさにパウロがそうでした。キリスト者を迫害していたパウロ(その時の名前はサウロ)は、イエス様に出会い、目は開いていても何も見えない状態だったのが、アナニヤを通して、目からうろこのような物が落ちて、バプテスマを受けました。(使徒9章)パウロは、聖霊によって、イエス様を主であると信じ受け入れたのです。やはり、私たちにとって「目からうろこが落ちる」時は、神様の真理の一端がうかがい知れたときなのではないでしょうか。その神様の真理の一端をうかがい知ることができるのは、もちろん聖霊様によるものですが、私たちが、熱心に聖書を読み、黙想し、祈るときに起こるのではないでしょうか。

神様の真理の一端をうかがい知ることは、畑に隠された宝を見つけるとこであり、それは、聖書を読むからこそなのであります。聖書を読み、そこに隠された宝を見つけるよう、主に導いていただきましょう。

また、聖書は、神のご性質を知り、共有するのにとても有益です。

パウロはローマ書で、次のように述べています。「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、お互い同じ思いを持つようにしてくださいますように。」(15:4-5)

聖書は私たちに、神の忍耐、神の励まし、神の愛を教えるために書かれていて、イエス・キリストにあって、同じ思いを持つようにしてくれます。聖書によって、私たちは、同じ神意識をはぐくまれ、その神のご性質を共有できるのであります。パウロは神観の共有、教えの共有を次のように示します。「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにあられる、すべてのものの父なる神は一つです。」(エペソ4:2-6)このことは、すべて聖書に立ち返り、聖書を吟味し、聖書の中に隠された真理である天の御国での宝を見つけようとする意識や願いや祈りの中で成就します。

神は人間を霊的ないのちをもって、造られました。

「神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は生きものとなった。」(創世記2:7)

人間は、霊的な生き物でもあるといえるでしょう。ですから、神の霊感をもって書かれた聖書こそが、私たちの読むべき書物であり、私たちの霊的ないのちとなるのです。神は、イエス・キリストを通して、私たちに現われてくださり、聖書に神の御愛を記されました。私たちは、聖書を読み、黙想し、祈ることで、神のご性質をより理解でき、聖霊を通して、イエス・キリストに倣う者へと変えられていきます。キリストに倣う者とは、永遠のいのちを受け継ぐ者としてふさわしい者に変えられつつあることを意味し、その意味でも、聖書は、私たちのいのちでもあるのです。

今日の中心聖句にあります、「神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となる」とは、実に、「イエス・キリストに倣う者となる」ということです。そのためには、神の霊感によって書かれた聖書を霊的に読む必要が出てきます。それは、主の導きを求めながら読むことでもあります。どうか、聖書を読むとき、祈り心をもって、読み進めていきましょう。何回も何回も聖書を読むことも大切ですが、じっくりと祈りながら、精読していくことも大切です。どうか、その習慣をつけてください、キリストの弟子となるために、キリストによって整われた者となるように、そして、イエス・キリストに倣う者とさせていただきましょう。

さて、今朝は八さん、熊さんは、四国、鳴門ホープ・キリスト教会に応援にいっております。ですから、今日はこれからすぐに黙想に入りたいと思います。

まず、創造の神、主の御名をあがめ、「天のお父さま、アバ、父よ」と呼べる幸いに感謝いたしましょう。黙想の時に、箴言15章を読んでみたいと思います。箴言15章を聞きつつ、今朝の「整えられた者となるために」という神様からのメッセージで、学ばれたこと、また導かれたことをもう一度振り返ってみてください。聖書を読みつつ、黙想し、祈ることによって、天の御国の宝を手に入れましょう。

黙想の前に、ヨハネの福音書17章21節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしをつかわされたことも、世が信じるためなのです。」

(箴言15章)

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

 

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝のメッセージを感謝いたします。今朝は「整えられた者となるために」と題しまして、あなた様から導きをいただきました。私たちが、神様の忍耐と励ましと愛を少しでも理解し、またキリストに倣うべく、聖書を読み、黙想し、祈ることの大切さを再認識させてくださり、ありがとうございます。どうか、聖書を読みすすめるごとに、私たちをイエス・キリストに倣う者とさせてください。

私たちの主、助け主であるイエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。

黙想時の歌

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0