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メッセージ主題:『神の本質の完全な現われ』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ヘブル人への手紙』

2020時年11月29日

聖書拝読:ヘブル人への手紙1章1節~14節(新改訳聖書)

中心聖句:

「この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者として、また御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれた高い所の大能者の右の座に着かれました。」(2-3)

メッセージ主題:『神の本質の完全な現われ』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、ピレモンへの手紙から、「キリスト者として役に立つ」というメッセージを通して、神に語りかけていただきました。この「ピレモンへの手紙」は、おそらく、「神・キリストの愛」ゆえに「赦す」ということが、この手紙のテーマです。パウロは、この手紙を自らしたため、オネシモを「奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟として」受け入れてほしいとピレモンに願います。先週は、パウロの気持ち「オネシモを赦してほしい。オネシモは、主の働き人として、十分に役に立つ者となったのだから」、そのパウロの愛から、主の私たちへの愛を感じ取らせていただきました。

今週から13週にわたって、ヘブル人への手紙を通して、神様からのメッセージを賜ります。今朝は、ヘブル人への手紙の第1章から、『神の本質の完全な現われ』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けたいと思います。この第1章では、キリストが神の御子であり、御使いたちよりも優れた方で、この世界の創造にたずさわり、万物を相続し、神の右の座につかれていることが記されています。今朝は、イエス・キリストが、神の本質の完全な現われであるとはどういうことなのかを、主に導いていただきたいと願っています。

短くお祈りいたします。

今朝の中心聖句には、御子イエス・キリストについてのことが語られています。

神は御子を万物の相続者とした。

神は御子によって世界を造られた。

御子は神の栄光の輝きである。

御子は神の本質の完全な現われである。

御子は力あるみことばによって万物を保っている。

御子は罪のきよめを成し遂げている。

御子はすぐれた高い所の大能者の右の座に着かれた。

この7つの項目を見ていきたいと思います。

神は御子を万物の相続者とした。

マタイ書28:18でイエス様は次のようにおっしゃいました。

「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」

万物を相続するということは、その万物の所有権も支配権も相続したということです。

また同じマタイ書11:27では、イエス様は、神と親子関係にあることを記されています。

「すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父をしらせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。」

救いに関するすべての事は、父である神から、子であるイエス様にゆだねられていて、イエス様を知ることによってのみ、真の神を知ることができるのです。

またヨハネも3:16で同じように述べています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

万物をお造りになられた創造主なる神は、ひとり子であるイエス様を真の相続者とされたのです。

神は御子によって世界を造られた。

ヘブル書の著者は、イエス様が、神のすべてのものの相続者であるとされただけでなく、「イエス・キリストによって世界を造られた」と説きます。

使徒ヨハネも福音書の初頭で同じようなことを記しています。(1:1-3)

「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」

また、パウロも同じような主張をしています。コロサイ人への手紙1:16

「万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は御子によって造られ、御子のために造られたのです。」

『御子によって世界が造られた』とは、『御子のために世界が造られた』ことを意味します。つまり、キリストがこの世界を神から相続し支配するためです。

御子は神の栄光の輝きである。

『栄光の輝き』とは、『栄光を反映している』ということではなく、『栄光の輝きを発している』ということ。つまり御子イエスは神の栄光の輝きを発している、神そのものであるとも取れるのではないでしょうか。私たちは、よく『ある人やその人の言動に対して神の栄光が現われますように』と祈ることがありますが、『神の働きがその人の言動に現われ、神をほめたたえる』ということであって、その人が神そのものではありません。しかし、『神の栄光の輝き』を発する方は神なのであります。

御子は神の本質の完全な現われである。

これも、『御子は神の栄光の輝き』とともに、キリストが神であることを示すものです。御子イエスは聖霊によってマリヤの胎内から生まれ、罪なき方、つまり神の本質をもって生まれた方であります。ルカの福音書には、そのことがマリヤに対する御使いの言葉に表されています。(1:35)

「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。」『聖なる者』それ自体が『神の本質を有した者』であり、『完全な現われ』とは、『何ひとつ欠けることのないこと』『キリスト=神であること』を強調しています。

御子は力あるみことばによって万物を保っている。

『力あるみことば』とは、『霊的に生きるための力を生むみことば』のことです。申命記には次のように記されています。(8:2-3)モーセの民を養った『天からの食物マナ』についてです。

「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令をまもるかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない。人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということをあなたにわからせるためであった。」『主の口から出るすべてのもの』つまり『みことば』であります。

この聖句をイエス様も40日40夜断食されて、悪魔の誘惑にあわれた時に引用されておられます。

「すると試みる者が近づいて来て言った。『あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。』イエスは答えて言われた。『「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」と書いてある。』」マタイの福音書4:3-4

『神の口から出る一つ一つのことば』に霊的に生きるための力があるのであります。

『万物を保っている』とは、万物を維持し、支配していることであります。御子のために万物を創られた神が、御子イエス・キリストに、維持し支配する権限を譲渡し、すべてにおいて、常に目が行き届いていることを示唆しています。

御子は罪のきよめを成し遂げている。

イエス様が十字架にかかる前の晩に、弟子たちといっしょに食事をしている時、次のような行動とお言葉が告げられました。(マタイ26:26-28)

「また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取って食べなさい。これはわたしのからだです。』また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。『みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。』」

また、パウロは、ローマ書の中で、罪とキリストの関係を次のように表しています。(6:6)

「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」

私たちは、御子イエスの十字架の死によって、罪の奴隷から解放され、罪は清められたのです。

御子はすぐれた高い所の大能者の右の座に着かれた。

『大能者』とは全知全能の神を指します。そして「大能者の右の座に着かれた」とは、キリストの役割である、ただ一度の贖い、罪の帳消しが完成し、神の右、つまり正式に神のすべてを継承する御子として、座に着かれたことを意味します。

これまで見て来た7つの項目が示しているのは、集約すれば、『イエス・キリストは神』ということであります。なんか、うれしくなりませんか、イエス様が神であることを7つのポイントがしめしているって。私だけですかね、神様という霊的でなにか漠然としたイメージだったのが、肉体をともなった具現化された神様が、イエス様で、イエス様を信じること=神様を信じることなんだと再び、認識させていただきました。感謝いたします。

さて、天国長屋の八さん、熊さん、今朝のメッセージ『神の本質の完全な現われ』で、なにか感じられたこと、思わされたことはございませんか。

―――――

八: 今日のは、牧師さんの頭でっかちなところが全開だね。理屈っぽいったらありゃしねぇや。いいじゃねぇか、はじめっからイエス様=神様で。七つのごたくを並べなくったって。そうおもわねぇか、熊。

熊: まあな、牧師さんもいろいろ考えて、やってんだ。さっしてあげねぇな。それによ、七つのごたくじゃねぇ、ありゃ、真理だ。キリストを信じる者に取っちゃあ、あの七つは命みたいなものだ。あれを軽んじちゃいけねぇよ。八、あの7つはぞんざいに扱っちゃいけねぇんだよ。

八: 悪かった。それもそうだな。オレも言葉がすぎた。でもよ、なんかこうハートは入っていないっていうかな。なるほど、分かりましたって頭では思うけど、今日のはグッとくるものがねぇんだ、心に。

熊: 確かに、理屈っぽいっちゃ、理屈っぽいかもな。でもよ、こう考えちゃどうだろう。「イエス様は、神様の本質の完全な現われ」なんだ、そしてイエス様はおっしゃったじゃねぇか。

「天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」(マタイ12:50)俺たちがイエス様を信じている限り、俺たちは、イエス様の兄弟姉妹とされるのさ。つまりだ、俺たちも最後には、イエス様と同じように、俺たちの上に神様の本質が現われるんだ。なにかゾクゾクしねぇか。罪なき者とされた時点で、俺たちも、神様に大胆に近づくことができるって、ことさ。

八: だから、俺たちも永遠の命にあずかることができるってことだよな。イエス様=神様だからこそ、イエス様は、神様と罪深い人間との間の唯一の仲保者なんだ。イエス様のとりなしがなければ、俺たちも清くはなれねぇ。つまり、永遠のいのちにあずかることもできなかったんだ。

熊: そうだよ。だから、イエス様=神様、バンザイ!なんだ。イエス様が「神の本質の完全な現われ」でない限り、俺たちは救われないんだ。感謝だねぇ。

八: 牧師さん、これなんだよ、これ。イエス様=神様だからこそ、俺たちは救われる。神様をアバ父と呼べる。心にぐっとくるじゃねぇか。「神の本質の完全な現われ」という言葉が、心に迫ってくる。今日はこれがほしかったんだ。牧師さん、頭でっかちなんて言ってすまなかったね。でも、俺たちは、かしこくないからよ、礼拝で、心に迫ってくるものがねぇとダメなんだ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。八さんの言うとおり、御言葉は頭で理解してもだめ、心に御言葉がせまってこないと。そのことを思い出させてくださって、ありがとうございます。

「イエス様が神の本質の完全な現われであり、神の栄光の輝きであるからこそ、それを信じる私たちは救われる。そして、それだけじゃなくて、神様を身近に感じ、アバ父と呼べるようになる。本当に感謝なことです。どうか、みなさん、そんなイエス様を主を求めてください。

今日は、八さん、熊さん、結婚式のお手伝いなのに、礼拝をお守りくださって感謝いたします。

さて、黙想いたしましょう。今朝のメッセージで学ばれたこと導かれたこと示されたことを振り返ってみてください。黙想の時に、詩篇96篇をお読みいたします。

また、黙想の前に、マタイの福音書25章31節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。」

(詩篇96篇)

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝のメッセージを感謝いたします。今朝は「神の本質の完全な現われ」と題しまして、あなた様から導きをいただきました。イエス様=神様であるからこそ、御子イエス様を通して、私たちは神様と和解させてくださいました。どうか、私たちが、常にイエス様を主と仰ぎ、また主は創造の神であることを覚え、日々の生活の中で、常に主を感じることができますよう、お導きください。

私たちの主、栄光の君、主イエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。

黙想時の曲

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https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0