メッセージ:「愛によって働く信仰」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時半)

12月3日

担当:若竹孝行

メッセージ:「愛によって働く信仰」

今朝の聖書通読箇所:ガラテヤ人への手紙4章〜6章

5章を交読。(新改訳2017)

中心聖句:5:6

「キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。」

今日の通読箇所、4章は、キリストを信じる者は律法の奴隷ではなく神の子であり、キリストにあって神の相続人であることが唱えられ、5章ではキリスト者の律法からの自由と、霊の導きに歩むときのその結果としての御霊の実が説かれ、最後の6章では、結びの章らしく、キリスト者の信仰に基づいた助け合いが強調されています。

その中で、今朝、示された中心聖句は5章6節です。

「キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。」

ユダヤ民族から見て、異邦人である私たちには律法の足かせはありません。ですから、初めから割礼を受ける受けないは関係ありません。ですから、私たちは幸いにも直接「キリスト・イエスにあって大事なのは、愛によって働く信仰です。」と読めるのです。

では、「愛によって働く信仰」とはどういうものなのでしょうか。

14節で「律法全体は、『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という一つのことばで全うされるのです。」と、パウロは主張します。

私たちは、律法の二本の大黒柱を知っています。

「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」

「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」(マタイ22:37&39)

そして、イエス様は次のように律法を集約させました。

「わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)

律法の二本柱は、一つ一つが分れているものではなく、コインの表と裏のように、融合されているものです。神を愛することによって、隣人も愛せるようになり、また神の創造物である隣人を愛することは、すなわち神を愛することでもあるのです。それを、イエス様は、分かりやすく、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と神の御子キリストが愛されたように互いに愛し合いなさい、つまり神が私たちを愛してくださったように、互いに神の愛された者として尊重し愛し合うことを戒められたのであります。パウロもイエス様の戒めを十分理解した上で、「律法全体は、『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という一つのことばで全うされる」と唱えたのです。

では、イエス様の戒め「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」に従うことができるのでしょうか。パウロは6章の2節で次のように述べています。「互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。」キリストの律法とは、この戒めのことであります。では、「互いの重荷を負い合う」とはどういうことでしょうか。パウロは6章を通して、そのことを述べています。柔和な心と言葉で、互いに戒めあい、励まし合い、また教え合うことを勧めています。また、5章24節~26節には、次のようにも説明しています。「キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、情欲や欲望とともに十字架につけたのです。私たちは、御霊によって生きているのなら、御霊によって進もうではありませんか。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、ねたみ合ったりしないようにしましょう。」

私たちはまことに弱い者です。弱いからこそ、キリストである聖霊様にさらに寄り頼んで、信仰を固くしていただかなくてはいけません。しかし、ひとりでは心細いのです。だから、主にあって教会があるのです。足らないところを補い合い、励まし合って、肉の考えから遠ざかる、主の道からはずれないように、お互いに愛をもって注意し合わないといけないのです。それこそが、エクレシア、主の教会の役目なのです。本当の交わり、コイノニアなのです。

伝道の書を通して、主は、そのコイノニアの核心を表しています。(4:9-12)

「二人は一人よりもまさっている。二人の労苦には、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるときには、一人がその仲間を起こす。倒れても起こしてくれる者のいない、ひとりぼっちの人はかわいそうだ。また、二人が一緒に寝ると温かくなる。一人ではどうして温かくなるだろうか。一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」

しかし、ただ単に群れているだけではダメなのです。このコイノニアをより強くするためには、私たち個人個人が、聖霊様によって、日々、新しく生まれ変わらなければならないのです。パウロはそのことをガラテヤ書6章15節で述べています。

「割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。」

今、クリスマスに向けてのアドベントを迎えています。キリストのご降誕をお祝いする、静まっての準備期間であります。キリストがあなたの救いのために、また聖き交わりコイノニアを深めるために、そして主にあっての教会エクレシアを創造するために、この世に送られてきました。そして、あなたをその中に入れるためにです。どうかこのアドベントの期間に、日々の中にあって、あなた自身の新しい創造を願い祈ってみてください。それこそが、「愛によって働く信仰」なのです。

お祈りいたします。

主のいのり