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メッセージ主題:『救いの創始者であり完成者』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ヘブル人への手紙』

2020時年12月13日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌89「神は独り子を」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 新聖歌76「諸人こぞりて」

交読: 交読文12:詩篇第33篇:新聖歌p. 888-889

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌388「いとも良きものを」

聖書拝読:ヘブル人への手紙2章5節~18節(新改訳聖書)

中心聖句:

「神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。」(10)

メッセージ主題:『救いの創始者であり完成者』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、ヘブル人への手紙の第1章から、『神の本質の完全な現われ』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきました。この第1章では、キリストが神の御子であり、御使いたちよりも優れた方で、この世界の創造にたずさわり、万物を相続し、神の右の座につかれていることが記されています。先週は、イエス・キリストが、神の本質の完全な現われであるとはどういうことなのかを、主に導いていただきました。

今朝は、ヘブル人への手紙の第2章から、『救いの創始者であり完成者』と題しまして、神様からのメッセージをたまわります。この第2章では、イエス・キリストのみが、神様との和解をとりなし、人類の死への恐怖からの解放を成し遂げ、永遠のいのちへと導く方であることが唱えられています。この第2章を通して、救い主なるイエス・キリストの恵みについて思いをはせたいと思います。

短くお祈りいたします。

5節「神は、私たちがいま話している後の世を、御使いたちに従わせることはなさらなかったのです。」ここで言うところの「後の世」とは、キリストが再臨された後の世界のこと。天の御使いたちが支配するのではなく、8節で「万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです」とあるように、神はキリストにすべてをゆだねたのです。しかし、まだその時は来ていません。キリストが再びこの世にお降りくださる後に、そのことが実現します。

創世記を思い出してみてください。1章26節では、「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。」と記されています。人類は、この地球の生き物を支配する、つまり管理し運営する役目を仰せつかったのであります。しかし、人類の父祖であるアダムとその妻エバは、神に対して罪を犯し、エデンの園から追放され、永遠のいのちを失いました。

しかし、この神の「人に地球の支配を任せる」という約束は、今だ生きているのであります。神は決して約束を破られる方ではありません。そして、その約束を果たすために、また、人類を救わんとするために、創造の神は、イエス・キリストをこの世にお送りくださいました。それも、人類と同じ肉体をもって、しかし、霊的には神の霊を受けた、罪のない者として。

14節15節では次のように説明してあります。

「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人人を解放してくださるためでした。」

キリストの命をもって、人類の罪をすべて贖い、つまり帳消しにし、そして、三日目に死を克服してよみがえり、キリストを信じる者たちが、共に死を克服し、永遠のいのちを得、創造の神との和解を成し遂げて下さったのです。つまり、罪を犯す前のアダムとエバの状態へと私たちを戻されるのです。そのことが起こるのは、キリストの再臨の時であります。

まことに、17節18節が示すとおりであります。

「そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」

私は、この主の恵みと神の憐れみに、感謝してもしきれないと、いつも思うのです。

そして、コリント人への第二の手紙8章9節を思い出すのです。「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」

そして、次の歌を口ずさみたくなります。『主は豊かであったのに』。この歌のサビの部分は次の通りです。「主は豊かであったのに、貧しくなられた。わたしたちが主によって、豊かになるために」 説教中ではございますが、この歌を、私のガラ声ですが、歌ってみたいと思います。

飼い葉桶の中に 眠る主イエスよ

あなたは貧しさの中に 生まれてこられた

(くりかえし)

主は豊かであったのに 貧しくなられた

わたしたちが主によって 豊かになるために

ガリラヤの湖畔(うみべ)を 歩む主イエスよ

あなたは嘆く人たちと 共に生きられた

《くりかえし》

ゴルゴタの丘にて 叫ぶ主イエスよ

あなたは人の罪のため 苦しみ負われた

《くりかえし》

主イエス・キリストは、私たちのためにお生まれ下さり、私たちと共に生きられ、私たちの罪のために、苦しみを負われました。そして、私たちはイエス様から「しもべ」ではなく「友」と呼ばれ、そして「兄弟姉妹」と呼ばれるようになりました。

ヨハネ15章14節15節「わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」

マタイ12章50節「天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」

ヤコブ書の作者も次のように言います。

2章11節「聖とする方も、聖とされる者たちも、すべて元は一つです。それで、主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としない」と。キリストに信頼する私たちは、キリストの贖いによって罪をきよめられ、神の子どもとされたので、キリストと兄弟姉妹となるのです。ハレルヤ!なんと素晴らしい知らせでしょうか。キリストが私たちを兄弟姉妹と呼ぶということは、私たちは神の子とされたのです。同時に、創造の神を「アバ、父」と呼べるようになったのです。

ガラテヤ4章5節6節にこのようにあります。

「これは律法の下にある者を贖い出すためで、その結果、私たちが子としての身分を受けるようになるためです。そして、あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父。』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」

イエス・キリストのみが、私たちを救い、私たちを兄弟姉妹と呼ばれ、また神と私たちとの間を取り持って、和解を成し遂げ、私たちも神の子とされ、私たちは神を「アバ、父」と呼べるようにしてくださいました。イエス・キリストは、真に、救いの創始者であり、救いの完成者なのです。

さて、天国長屋の八さん、熊さん、今朝のメッセージ『救いの創始者であり完成者』で、なにか感じられたこと、思わされたことはございませんか。

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八: いやぁ、ありがたいねぇ、イエス様の恵みは。神様にとりなしをしてくださって、自らの命によって、俺たちの罪を帳消しにし、神様に俺たちを罪なき者としてくださったんだから。

熊: それだけじゃ、ねぇぜ。三日目に死を克服して、よみがえって下さって、俺たちに永遠のいのちの希望をくださった。

八: それに、俺たちがイエス様を信じた時に、キリストである聖霊様が俺たちの心に住みついてくださって、俺たちを罪を犯しにくい性格へと造り替えてくださるんだ。

熊: だよなぁ。朝ごとに、新しく生まれ変わるっていうのは、そういうこった。それによ、天の御国にある平安と喜びを、今この世で経験させてくださる。感謝じゃねぇか。

八: その天の御国での平安と喜びを、今、お試しさせてくださるっていうのは、ありがてぇよな。俺たちが、この世をおさらばしたときに、どこに行くのか、その御国とはどんな感じなのか、今、ちょっこっと味わえるんだから。

熊: 賛美するときや、共に祈る時。また一人で聖書を読んでいる時や静まって神様を感じる時、黙想している時。平安と喜びに包まれる。これがたまらねぇ。

八: おう、俺もだよ。それにさ、この世界は神様の恵みであふれているのさ。それに気が付かないのは、もったいねぇ話じゃねぇか。俺たちゃ、この神様の恵みで満ちあふれている世界で生かされてんだ。

熊: けどよ、この世の中でも、苦しいこともいっぱいあるよな。

八: ああ、苦しいことの方が多いかも知れねぇ。しかしな、イエス様を見上げて、踏ん張っていれば、なんとかなるのさぁ、いや、なんとかしてくださるのさ、イエス様が。だってイエス様が俺たちの逃れの道なんだから。俺たちの逃れの道として、お生まれ下さったんだ。

熊: イエス様が最後のとりで、いや、最初っからのとりでだな。俺たちが、イエス様を信じて、イエス様に拠り頼んで、イエス様にすべてを明け渡す。、、、まあ、それができれば、こんなに苦労することもねぇんだろうけどな。

八: ちげぇねぇ。それができれば、俺たち、もうちょいと楽に暮らしてるのかも知れねぇ。けど、やっぱり、この世界は神様の恵みであふれているのさ。だってよ、感謝することが多いと思わねぇかい。あっち向いても感謝、こっち向いても感謝。パウロはすべてのことについて感謝しなさいっていうけどよ。そうじゃぁ、ねぇんだ。感謝することがいっぱいありすぎて、困るくれぇなんだ。

熊: だよな。パウロはそうしなさいって勧めているけどよ、パウロも実際はそうじゃねぇと思うぜ。「いつも喜んでなさい」じゃなくて「いつも喜ぶしかねぇ」。「絶えず祈って神様とお話ししたい」「すべてのことについて感謝しかねぇ」っていう感じなんだよな。

八: イエス様がこの世にお生まれ下さって、本当に感謝だ。それに、イエス様をお送りくださった天のお父さま、神様に大感謝だ。イエス様がこの世にお生まれ下さったことは、俺たちの救いの初めであって、そして、十字架上で「テテレスタイ:完了した」とおっしゃられたように、死からよみがえって、救いを完成された。俺の人生の宝は、イエス様を知ったことさ。

牧師さん、もうすぐクリスマスだ。イエス様のお誕生を、みんなでお祝いしたいもんだね。

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八さん、熊さん、ありがとうございます。八さんの言うとおり、イエス様のお誕生を記念するクリスマス、みんなでお祝いしたいものですね、いくらコロナ禍であっても。心から、賛美をし、主のご降誕をほめたたえたいですね。

さて、黙想いたしましょう。今朝のメッセージで学ばれたこと導かれたこと示されたことを振り返ってみてください。黙想の時に、詩篇34篇をお読みいたします。

また、黙想の前に、ヨハネの福音書10章9節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「わたしは門です。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草をみつけます。」

(詩篇34篇)

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝のメッセージを感謝いたします。今朝は「救いの創始者であり完成者」と題しまして、あなた様の愛を覚えさせていただきました。神様の愛によって、私たちの救いであるイエス様はこの世にお生まれくださいました。私たちが、イエス様を通して、神様にすべてを信頼し、またすべてを感謝できますように、私たちを守りお導きください。

私たちの主、救いの創始者であり完成者、主イエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。

賛美:新聖歌78「荒野の果てに」(献金の時)

献金の祈り

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

 

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。