ぶどうの木キリスト教会
礼拝シリーズ主題:『ヘブル人への手紙』
2020時年12月27日
礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り
礼拝:10:00
賛美: 新聖歌342「神の子なるイエス」
使徒信条: 新聖歌p.826
賛美: 新聖歌300「御恵み豊けき」
交読: 交読文14:詩篇第37篇:新聖歌p. 890
十戒: 末ページに記載
祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り
賛美: 新聖歌79「天には栄え」
聖書拝読:ヘブル人への手紙4章9節~16節(新改訳聖書)
中心聖句:
「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みにあわれたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また、恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(15-16)
メッセージ主題:『大胆に恵みの御座に近づく』
おはようございます、そしてお帰りなさい。
今日が2020年最後の主日礼拝であります。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。
先週は、ヘブル人への手紙の第3章から、『最初の確信を終わりまで』と題しまして、神様の御心に耳を傾けさせていただきました。この第3章では、イエス・キリストにあって、神の安息にはいることが強調されています。不信仰が、信仰のゆるみが、イエス・キリストから離れ、神の安息に入れなくしてしまいます。ヘブル書を通しての、神の導きを学ばせていただきました。
今朝は、ヘブル人への手紙の第4章から、『大胆に恵みの御座に近づく』と題しまして、神様からのメッセージをいただきます。この第4章では、神の民の安息のことが第3章につづけて書かれています。キリスト者の願いは、神の安息に入ること、この一点であります。ヘブル書の著者はそのことを強調し、私たちを、共に恵みの御座に近づこうと励まします。今朝は、その励ましを、素直に、受け入れたいと思います。
短くお祈りいたします。
クリスマス25日は過ぎてしまいましたが、やはり、私は、メリークリスマスと申し上げたく思います。私たちのために、私たちの罪を帳消しにしてくださるために、お生まれ下さったイエス様のことを、片時も忘れず、いつもイエス様の恵みを思うものでありたいと思います。
さて、ヘブル書の第4章9節には、次のようにあります。「したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。」つまり、私たちキリスト者にとっては、キリストの再臨によって導かれる、天の御国での生活、永遠のいのちを得るというチャンスはまだ残っているということです。しかし、キリスト者にとってはそれだけではありません。天の御国での生活にある、平安と喜びが、今、現在、味わえるという恵みを私たちはうけることができるということです。
イエス様はおっしゃいました。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。」(ヨハネ14:16-17)また、同じ14章の26・27
節では、「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起させてくださいます。わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。」
イエス様のおっしゃる「助け主」とは「聖霊」のことであり、「イエス様の平安」のことでもあります。イエス様を救い主であると信じ、告白すれば、その時点で「イエス様の平安」であり「助け主」でもある「聖霊様」が私たちの心に降り、宿してくださいます。その聖霊様は、キリストでもあり神の霊でもありますから、その聖霊様が宿されるとは、私たち自身が神の宮、神殿とされるのです。パウロはこのことをコリント人への第一の手紙で次のように唱えています。
「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。」(3:16-17)
イエス様が、「わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに立て直せる」(マタイ26:61)とおっしゃった真意は、実際の建造物としての神殿を三日で立て直すという意味ではなく、イエス様が十字架にかかって死に、三日目によみがえって、イエス・キリストを信じる者には、その人の心の内に聖霊を与え、信じる者自身が、神の神殿とされるのであるということであります。
そして、私たちが、神の神殿とされるなら、神の平安と喜びも、今、味わうことができるのであります。しかし、それは、いわゆる、天の御国の生活の「体験」をさせていただいているにほかなりません。真の天の御国での生活は、神の安息に入ってからであります。そのために、パウロは次ぎのように励まします。「ですから、私たちは、この安息にはいるよう力を尽くして努め、あの不従順の霊にならって落伍する者が、ひとりもいないようにしよう。」と。(ヘブル4:11)
健全なキリスト者は、神から与えられた仕事を愛し、情熱と喜びをもって、その仕事に全力をつくすべきであります。そして、天の安息についての神との約束を楽しみにし、希望と喜びをもって、待ち望むべきであります。
全知全能の神は、私たちのことをすべてご存じで、私たちの心をも、私たちが意識していない心の動きも把握され、聖霊様を通して、私たちにそれをお教えくださいます。それは、12節にかかれていることと同じです。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル4:12)
ゆえに、3章14節でも説いた、「もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。」と主張するように、信仰を堅く保つことが、天の御国の安息に入るために絶対必要なことなのです。それは4章14節でも同じように説かれています。
「私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。」神の御国の安息に入るのに、必要十分条件とは、「イエス・キリストへの信仰」なのであります。
では、「イエス・キリストへの信仰」を堅く保つためにはどうすればいいのでしょうか。私たちの信仰には浮き沈みがどうしてもあります。その肉の弱さのこともイエス様はご存じです。なぜなら、15節「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」16節「ですから、私たちは、あわれみを受け、また、恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」つまり、「聖霊様の助けをうけるために、大胆に恵みの御座に近づく」とは、すでに私たちは神の宮であり神殿でありますから、実際には、近づくというよりは、常にイエス様のことを思う、イエス様と親しく会話することが大切なのです。
イエス様は私たちを友とよび、兄弟姉妹ともよばれ、ゆえに、私たちは、創造の神を、天のお父さまと呼び、アバ父よと呼べるようになったのです。パウロもこのことをテモテの第二の手紙のなかで、テモテにアドバイスしております。「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」(2:8)
皆さんは、いかがでしょうか。いつもイエス・キリストを思っていますでしょうか。いつもイエス様と親しくお話ししているでしょうか。
天国長屋の八さん、熊さんはいかがでしょうか。「大胆に恵みの御座に近づく」ことをされておられるでしょうか。
―――――
八: 「大胆に恵みの御座に近づく」ってぇのは、俺にとっちゃ、神様、イエス様と親しく話すっていうことだろうよ。心の内を思いっきりぶちまけるのさ。なあ、熊、おめぇもそうだろ。
熊: そうさなぁ。俺も、イエス様になんでも話しているよ。旧約聖書を読んでごらんな。神様は畏れ多い方だけど、結構、親しく語り合っている。特に詩篇なんざぁ、愚痴もよく言っている。神様は愚痴も願いもお聞きくださるんだ。感謝じゃねぇか。
八: だよな。詩篇6篇なんて、心がおれて、信仰が衰えている時にものだ。1節から3節まで、ちょっくら読んでみるぜ。「主よ御怒りで私を責めないでください。激しい憤りでわたしを懲らしめないでください。主よ。私をあわれんでください。私は、衰えております。主よ私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています。私のたましいはただ、恐れおののいています。主よ、いつまでですか。あなたは。」
どうだい、ダビデは、神様に寄り添って生きているじゃねぇか。俺もこういう、付き合い方がしてぇなと思ってんだ。いわば、イエス様とはだかの付き合いさ。
熊: いいねぇ、イエス様とはだかの付き合いっていうのがさ。喜びも悲しみも、ときには怒りさえも、いっしょに付き合ってくださる。俺たちゃ、本当に恵まれているぜ、イエス様とおであいしてさ。
八: 感謝だね。なんでも相談できる相手がいるっていうのはよ。心強いやね。祈りっていうのはよ、手を合わせて静かに祈るっていうのもあるけど、神様と会話するっていうのも祈りだよな。だから、俺は、常に神様とお話ししてる。熊もそうだろ。
熊: 俺の場合は、どんなことでも神様に「ありがとうございます」と感謝するようにしてんだ。そうするとよ、気持ちが明るくなるんだ。耐えられる気がするんだな。
八: それってよ、「すべての事について、感謝しなさい。」っているテサロニケ人への手紙第一の5章18節にあることを実践しているんだね。
熊: そうよ、俺の一生ものの聖句の一つだ、「いつも喜びなさい、絶えず祈りなさい、すべての事について、感謝しなさい。」イエス様にあって、これさえ全うできれば、「大胆に恵みの御座に近づく」ことができるんだと思うよ。
八: ちげぇねぇ。牧師さん、こんなところでよごさんすか。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。イエス様と裸の付き合い、いいですね。結局、「大胆に恵みの御座に近づく」と言うことも、イエス様の十字架あってのことですし、イエス様を常に思うことでもあるのです。この日常でのことが、信仰を養い堅く保ってくださるのです。
さて、黙想いたしましょう。今朝のメッセージで学ばれたこと導かれたこと示されたことを振り返ってみてください。黙想の時に、詩篇30篇をお読みいたします。
また、黙想の前に、ヨハネの福音書16章33節のイエス様のお言葉をお読みいたします。
「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
(詩篇30篇)
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝のメッセージを感謝いたします。今朝は「大胆に恵みの御座に近づく」と題しまして、あなた様への信仰を堅く保つには、いつもあなた様とお話しする、はだかの付き合いを、あなた様は望んでおられることをお教えいただき感謝いたします。どうか、常にイエス様のことについて思うことができますよう、私たちの信仰を誘惑から守り導いてください。新しい年を迎えるにあたって、心の大掃除をし、心を新たにさせていただけますように。
私たちの主、救い主イエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。
賛美:新聖歌388「いとも良きものを」(献金の時)
献金の祈り
「主の祈り」(新聖歌p826)
頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」
祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
アーメン四唱:新聖歌59.7
黙想時の曲
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。