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メッセージ主題:『永遠にとりなしをしてくださるイエス・キリスト』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ヘブル人への手紙』

2021時年1月17日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌397「神の御子にますイエス」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: 新聖歌388「いとも良きものを」

交読: 交読文17:詩篇第46篇:新聖歌p. 892-892

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: 新聖歌384「主よ御手もて」

聖書拝読:ヘブル人への手紙7章22節~28節(新改訳聖書)

中心聖句:

「しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」(24-25)

メッセージ主題:『永遠にとりなしをしてくださるイエス・キリスト』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、ヘブル人への手紙の第6章から、『信仰と忍耐によって約束のものを相続する』と題しまして、神様からのメッセージを賜りました。この第6章では、神様の変わらざる約束がメインです。その神様の約束を、先週は黙想し、主に導いていただきました。

今朝は、ヘブル人への手紙の第7章から、『永遠にとりなしをしてくださるイエス・キリスト』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきます。この第7章では、創世記にでてきますメルキゼデクの祭司職のことが主に語られています。なぜなら、6章の最後に「イエスは私たちの先駆けとしてそこにはいり、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられた」とあり、そのことを受けて7章があるからです。へブルの著者は、キリストとメルキゼデクとが酷似していることを記しています。キリストはユダ族の出身なので、レビ系の祭司ではありえません。キリストもメルキゼデクも人であり、王であると同時に祭司であり、神様から直接任命され、「義の王」とも「平和の王」とも呼ばれたからです。しかし、今朝は、イエス・キリストにのみ焦点をあてて、キリストの恵みを分かち合えればと思います。

短くお祈りいたします。

22節では、「イエスは、さらにすぐれた契約の保証となられた」とあります。これは神様からの約束のことですが、これは、旧約聖書の創世記にさかのぼります。創世記の1章から2章では、神様がこの世界そして万物を造られたことが記されています。そして人間も同様です。1章27節には「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」とあります。そして、人間は、神が鼻にいのちの息を吹き込まれ、生きものとなりました。神は、「人間に、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう」と思われました。「支配」とは「管理し保護する」ことでもあるでしょう。その責任を与えられていました。そして、神はエデンの園、エデンとは「喜びにみち、隅々までよく潤された所」という意味だそうですが、そのエデンの園に人間をおき、管理をまかしました。私たちの父祖、アダムとその妻エバです。そのエデンの園には善悪の知識の木があり、神はアダムに、「その木の実は取って食べてはならない、取って食べると、必ず死ぬ」と仰せられました。しかし、アダムとエバは、蛇に化身した悪魔の誘惑にあい、その木の実を食べてしまいます。そうすると、自分が裸であることに気が付き、つまり神の保護がなくなってしまったことに気づくのです。アダムたちはイチジクの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作り、また、主の声を聞いて、主の御顔をさけて、木の間に身を隠しました。神との約束を破ったことへの恐れがそうさせたのです。結局、神との約束を破ったことが、神の知るところとなりました。言い訳として、アダムはエバに、エバは蛇に罪をなすりつけました。善悪を知る木の実のおかげで、嘘をついて自分を守るという自己中心の思いが生まれてしまいました。それが、人間の原罪です。人間の初めの罪は、神から隠れて遠ざかったことです。そして次に、嘘をつき、人に罪をなすりつけることが始まりました。結局、アダムたちはエデンの園を追放されてしまいます。その時に、神は彼らに憐みをかけました。アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せました。そのことは、後に罪を赦していただく儀式のもととなりました。動物の命を犠牲にし、その犠牲によって、犯した一つ一つの罪が贖えるようにされたのです。つまり、動物に人の罪を移し、その動物のいのちを絶ち、灰になるまで焼き尽くし、その罪が問われないようにしたのです。罪の代償は、いのちなのです。アダムとエバには、もともと不老不死であり、永遠のいのちが約束として与えられていたのではないでしょうか。「神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビム(天使のような御使いとも考えられています)そのケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。」(創世記3:24)と記されていますから、いのちの木への道、つまり永遠のいのちを得る方法は閉ざされてしまいました。

神はその後、大地に広がり続けている人間の中から、アブラムという人を選ばれます。ユダヤの人たちが、「信仰の父」と尊敬する人です。神は、アブラムに3つの契約(つまり祝福するという契約)の内容を渡されました。創世記12章です。1つ目は「神の示す地へ行けば、あなたを大いなる国民とし、あなたを祝福する」、2つ目は「あなたの名を大いなるものとし、あなたの名は祝福となる」、そして3つ目は「あなたを祝福する者を祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族はあなたによって祝福される」。1つ目の約束は土地、2つ目の約束は子孫、3つ目の約束は、アブラムを通してのすべての民族の祝福であります。そして、アブラムはそのとおり、カナンの地へと向かいます。その後いろいろあって、やっとカナンの地に定住しますが、彼には跡継ぎがいませんでした。しかし、神はアブラムをテントの外に連れ出して、「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。あなたの子孫はこのようになる。」(15:5)と仰せられました。アブラムはその神のことばを信じ、神はそれをアブラムの義と認められました。(15:6)ただただ神を信じるだけで義と認められる、アブラムはそのお手本であります。それゆえに、後にアブラハム(つまり、多くの国民の父)となり、「信仰の父」と呼ばれるようになりました。ヘブル人への手紙の著者は、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるもの」(11:1)と記しています。つまり、『すでに現実として見ているかのように確信すること』が信仰だと述べています。アブラハムも神の言葉を信じ、自分の子孫繁栄を確信したのであります。

また、「義と認められる」とは「罪のないものと認められる、罪の見えないものと認められる」ということです。つまり、アダムとエバが罪を犯す前の状態へとされることでもあります。神を信じ、神のことばを疑わない信仰によって、だれでもアダムとエバの最初の状態、永遠のいのちをもち、神との平和がある状態、神と和解した状態へと導かれるのであります。これが神の約束なのであります。

この約束はイエス・キリストによって成就されます。罪の償いは死であります。アダムとエバによって、罪が生まれ、罪によって死がはいり、その罪は人間のDNAのように遺伝し、全人類に移り、人は罪を犯し続け、死が全人類に広がりました。憐み深い神は、処女マリヤを選び、聖霊によってマリヤに子どもを授けました。そして神の子イエス様が誕生します。イエス様は、人間の肉体をもちつつ、内なる霊は神の霊であります。罪のDNAを持たない唯一の人間として、また神の子としてお生まれになりました。イエス・キリストは、罪を犯していないのに、私たち全人類の罪のために十字架にかかり、その命をささげ、三日目に死を克服してよみがえり、神の御子として永遠に、神の右の座につかれました。イエス・キリストは永遠に存在される方となりましたから、私たちの罪を帳消しにする罪の贖いの効力も永遠となります。つまり、私たちの過去・現在・未来の罪をすべて、イエス様の十字架の死によって支払われたことになります。そして、イエス様は、変わることのない祭司の務め、つまり、神と私たちの間を永遠にとりもつ仲介者となり、罪の赦しは完了しました。過去・現在・未来における全人類の罪が赦される準備が完了しているのであります。その罪の赦しのスイッチは個人個人の信仰に預けられたのです。そのことを、今朝の中心聖句のひとつ25節が示しています。

「ご自分(イエス・キリストのこと)によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼ら(イエス・キリストを信じる信仰の持ち主)のために、とりなしをしておられるからです。」また、パウロは次のようにも述べています。「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」また、使徒ヨハネの彼の第1の手紙でも次のように語っています。「そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子をもたない者はいのちを持っていません。私が神の御子の名を信じているあなたがたに対して、これらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。」(5:11-13)過去・現在・未来におけるイエス・キリストの救いの御業は完了していますが、私たち一人一人が、イエス・キリストを信じ、神との和解のとりなしをうけないといけません。イエス様はおっしゃいます。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)そして、神との和解が成立した証拠として、イエス・キリストは私たちにキリストの分身ともいえる聖霊をお送りくださり、私たちの心に住まわせます。そして、その聖霊は、神がイエス・キリストの名によってお遣わしになられた「助け主」であり、わたしたちにすべてのことを教え、また、キリストのことばを思い起こさせてくださるのです。(ヨハネ14:26)つまり、その助け主によって、主を賛美することができ、また必要な聖書の言葉を心にとどめることができ、神の栄光を見ることもでき、罪を犯しにくい性質へと導いてくださるのです。その上、内なるキリストである聖霊によって、天の御国で経験する主の平安と喜びを、今、この世にあって味わうことができるのです。そして、それは、私たちがイエス・キリストを通して、神が創造されたアダムとエバの罪を犯す前の状態へと移される内なる変容を導くのであります。

これが、私たちの主イエス・キリストの恵みであり、その恵みを受け取れるようにしてくださった神の愛であり、内なる聖霊の働きなのであります。

さて、天国長屋の八さん、熊さんはいかがでしょうか。「永遠にとりなしをしてくださるイエス・キリスト」という神様からのメッセージをどう思われますか。

―――――

八: 今日は牧師さん、えらい張り切って、創世記のアダムとエバの原罪のことから話はじめたねぇ。

熊: だって仕方がねぇじゃねぇか。イエス様の救いは、全人類の罪の帳消し、っていうか、罪の報酬は死だからさ、俺たちの変わりにイエス様が俺たちの罪を背負って十字架にかかってくださった。そのもともとの罪の発症人は、アダムとエバだからな。

八: まあ、今流行っている困った困ったコロナウィルスも発症は中国だった。ウィルスも発生がどっかにあるわけだから、罪の発生もあるんだ。まあ、聖書にはそれが明記されてるからな。でも、どうして罪の報酬は死なんだ。誰が決めたんだい。

熊: そりゃ、神様に決まってるじゃねぇか。神様おっしゃったじゃねぇか。「善悪の知識の木の実は取って食べてはならない、取って食べると、必ず死ぬ」って。

八: でも、アダムとエバは、死ななかったよな。

熊: すぐには死ななかったけど、結局、死んだじゃねぇか。誰も「すぐ死ぬ」とは言わなかった。それによ、エデンの園から追放されたということは、いのちの木への道も閉ざされたんだから、どうしても死ぬ運命を背負っちまったんだ。遺伝子が書き換えられた感じだよな。

八: そうか、あの知恵の木の実は、遺伝子が操作できる物質が入っていたのかもしらねぇな。

熊: 八、お前分かって言ってんのか。でも、今、遺伝子組み換え技術は進歩しているから、まんざら、空想物語じゃねぇかもしらねぇな。現代の遺伝子組み換え技術のような科学は、創造時代の知恵の木の実だとすると、俺たちゃ、また違う意味で、変な死が訪れるかも知らねぇ。恐ろしい話だ。

八: おお、ひょうたんから駒だね。俺の薄っぺらい知識もまんざら捨てたもんじゃねぇな。

熊: なに、バカ言ってんだよ。でもよ、あの知恵の木の実によって、死が訪れちまった。

八: それを、修復なさろうとされたのは神様だ。神様は俺たちをお造りくださった。

熊: また、自分の手で造ると愛着わくんだよな、なんでも。

八: ひげボウボウの角ばった熊の顔でも、神様、愛着わくのかな。

熊: 神様の目からみたら、俺はハンサムなんだよ。

八: どう見ても、作り直したんだけど、よけいに変になった、てな感じだけど、、、。

熊: 人の顔を無茶苦茶言うな!

八: まあ、バカ話をそのぐらいにして、神様は俺たちを生かしたかったんだ。

熊: だから、最終手段として、イエス様をこの世にお送りくださった。

八: 人間の肉体をもって、中身の霊的には神様っていうお方を。

熊: だって、罪の報酬は死、なんだから、イエス様に死んでもらわねぇといけねぇ。

八: それだから、人間の肉体がいるわけだ。じゃあ、熊でもよかったんじゃねぇか。

熊: 俺を殺すな。俺のDNAには罪がいっぱいだ。罪人が罪人を救うことはできねぇ。

八: そうだったな。罪の犠牲になる動物も、聖い動物でなければならなかった。

熊: それに、きずものはだめだったんだから。だから、罪のDNAがない人間を造る必要があったんだよ、神様には。

八: だから、聖霊によってイエス様がお生まれになった。

熊: そして、十字架にかかって、全人類の過去・現在・未来の罪をぜーんぶ、一人で帳消しにしてくださった。

八: じゃあ、どうしてよみがえらなくっちゃいけなかったんだ?

熊: よみがえって、永遠のいのちを取り戻さなければ、罪の肩代わりの効果が持続しねぇじゃねぇか。

八: あ、そうか。永遠のいのちをもって、永遠に神様にとりなしをしてもらわなくっちゃいけなかったんだ。

熊: そうだよ。それでないと俺たちの未来の罪や、未来の人の罪を肩代わりできなくなるんだから。

八: そして、アブラハムさんが、「信じて義とされ救わる」お手本を見せてくださった。

熊: そうよ、俺たちもイエス様を信じただけで、聖霊様が俺たちの心にお住まいくださって、神様の目からみたら、俺たちは罪なき者と見えるようにしてくださった。

八: それを、「キリストを着る」っていうんだろ。

熊: おお、分かってるじゃねぇか、八。

八: 先週、牧師さんがメッセージの中に言ってたよ。覚えてんだ、おれは。

熊: だけどな、「キリストを着る」ときに、自分の罪を告白して、自分の服を脱がねぇとな。

八: そうか、それが、イエス様のたとえ話の新しい酒には新しい革袋っていうやつなんだ。

熊: さえてるねぇ。新しい心になって、キリストを着ないとな。

八: ところで、俺たちゃ、何の話をしてたんだっけ。

熊: 救い主であるイエス様が、聖霊様となって、永遠に、神様と俺たちの間をとりもってくれて、神様と和解できるって話だよ。

八: そうだった。ありがてぇな。神様、感謝いたします。

   牧師さん、こんなところでよござんすか。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。さすがですね。イエス様いのち、のお二人ですから興味深い話になりました。とくに遺伝子組み換え技術が、現代の知恵の木の実だとすると、ちょっと怖くなります。創造の時代の善悪の木の実や現代の遺伝子組み換え技術が、パンドラの箱のように思えてきました。まあ、クローン技術もそれに似たものかも知れません。私たち人類は神になろうとしているのかもしれません。バベルの塔のようにならなければいいのですが。

さて、黙想いたしましょう。今朝のメッセージで学ばれたこと導かれたこと示されたことを振り返ってみてください。黙想の時に、詩篇51篇をお読みいたします。

また、黙想の前に、マタイの福音書10章39節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」

(詩篇51篇)

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

お祈りいたします。愛する天のお父さま、今朝のメッセージを感謝いたします。今朝は「永遠にとりなしをしてくださるイエス・キリスト」と題しまして、主イエス・キリストの恵みを覚えさせていただきました。イエス・キリストを信じれば救われる。救いの御業はすでに完了しており、私たちがそれを認め、イエス・キリストを信じるという決心をするだけであります。どうか、私たちの周りの方で、まだイエス・キリストを信じていらっしゃらない方、救いの確信がない方、それらの方をお示しくださって、私たちが証し人として、イエス様の愛を伝えるものとさせてください。

私たちの主、救い主イエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。