ぶどうの木キリスト教会
礼拝シリーズ主題:『ヘブル人への手紙』
2021時年2月7日
礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り
礼拝:10:00
賛美: 新聖歌233「驚くばかりの」
使徒信条: 新聖歌p.826
賛美: 新聖歌176「イエスは汝を呼び給う」
交読: 交読文19:詩篇第51篇:新聖歌p. 893-894
十戒: 末ページに記載
祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り
賛美: 新聖歌203「ああイエス君、こよなき友よ」
聖書拝読:ヘブル人への手紙9章22節~28節(新改訳聖書)
中心聖句:
「キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」(28)
メッセージ主題:『救いの完成を待ち望もう』
おはようございます、そしてお帰りなさい。
できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。
先週は、ヘブル人への手紙の第8章から、『さらにすぐれた新しい契約の仲介者』と題しまして、神様からのメッセージに心をとどめさせていただきました。この第8章の8節から12節までは、エレミヤ書31章31節から34節までの引用であります。神は、エレミヤを通して、イスラエルの民とユダの民に新しい契約を結ぶと宣言されました。なぜなら、神とモーセとの初めの契約は、モーセの民が契約を破って、神をあがめなかったことによって、反故となったからであります。先週は、この新しい契約がいかにすぐれているのかを見させていただきたきました。
今朝は、ヘブル人への手紙の第9章から、『救いの完成を待ち望もう』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けさせていただきます。第9章では、第8章につづき、「キリストが新しい契約の仲介者である」ことが記されています。そして、キリストの再臨のことが最後に語られています。今朝は、キリストが再びいらっしゃることとその目的を、神様にみちびいていただこうと思います。
短くお祈りいたします。
キリストが生身の身体をもつ人間として、しかし罪のない方としてお生まれになり、十字架にかかり、自らの聖い血をもって私たちの罪をぬぐい、キリストを信じる者を罪なき者とし、死を克服して、よみがえり、天の父なる創造の神様の右に座して、永遠の方として戻られました。キリストは十字架上で、「テテレスタイ、完了した」と宣言し、人類の罪の贖いの道を完成させられました。そして、永遠の方に戻られた時点で、人間を罪なきものとみなす効力は永遠となりました。ここに、神様との永遠の和解が成立されました。また、イエス・キリストを信じる者には、キリストはご自身の霊である聖霊様をお送りくださり、その聖霊様はひとりひとりの心に留まり、私たちの助け主となります。イエス様は、その聖霊を、平安と呼ばれます。神の平安が、私たちの心に留まり、神以外を恐れることのないものへと変えられていきます。また、助け主として、イエス様のおしえを思い出し、また理解することを助けられます。そのことによって、私たちは徐々に罪を犯しにくい性質へと変えられていきます。つまり、私たちは、イエス様を信じることによって、神を畏れ、本当の罪とは何なのかを知り、罪を犯しにくい者へと造り変えられていくのです。また、イエス様は次のようにもおっしゃいます。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1:9) そして、イエス・キリストを信じる者は、天の御国での平安と喜びを、今の世で、味わうことができるのです。
しかし、これだけでは一番最後の詰めになってないのです。そのことが、このヘブル書9章の28節に記されています。
「キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」
キリストはもう一度この世に来られます、人々の救いの完成のために。人々を罪のない世界、つまり天の御国へ招き、永遠のいのちに入らせるために。使徒の働きでは、キリスト様が再び来られることを、御使いが述べています。「あなたがたを離れて天に挙げられたこのイエスは、天に昇っていかれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(1:11)
キリストを信じる者は、このキリストが再びこられることを待ち望むことが、心の支えともなるのです。
天の御国は罪のない世界であり、そこでは、白いころもを着た聖徒たち(つまりキリストを信じる者たち)が、神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕え、賛美と祈りをささげているのです。
キリストが再び来られるときは、私たちには分かりません。ですから、私たちには、その時を待ち望むことしか許されていません。しかし、天の御国での白い衣とは、キリストを信じることであり、事実、キリストを信じることを、「キリストを着る」という表現します。「キリストを着る」という表現は、罪のない者とみなされるということです。そして、天の御国では、昼も夜も、主に仕え、賛美と祈りをささげる、私たちはいま、そのことをやってはいませんでしょうか。もちろん、昼も夜もと、24時間できるわけはありません。しかし、これは「常に」とか「いつも」という比喩表現とも考えられるでしょう。それは、詩篇の1篇2節3節にも表われています。
「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」
そして、この詩篇の表現は、ヨハネの黙示録にでてくる天の御国と符合するのです。
「御使いたちはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と子羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。」(22:1-2)そして、キリストを着る者は、「自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に(つまり永遠のいのちに)はいれるようになるのであります。
このことが、キリストを信じる私たちを待っているのであります。どうか、この「救いの完成を待ち望む」ものとして、この世で、つねにイエス・キリストを思い、キリストの教えを守るものとさせていただきましょう。
さて、天国長屋の八さん、熊さんはいかがでしょうか。「救いの完成を待ち望もう」という神様からのメッセージをどう思われますか。
―――――
八: 牧師さん、牧師さんには悪いけどよ、俺は、救いの完成を待ち望みながら、この世を生きるっていうのは、なんかしっくりこねぇんだ。だって、天国に行ったら、っていつも思って暮らしているわけじゃねぇ。毎日が必死なんだよ。特にこのコロナ禍の中じゃあな。それに俺にとっちゃ、救いは希望じゃなくて確信なんだ、天の御国に行くこたぁ、もう決まってる。なにせ、聖霊様が俺の心に宿ってくださってるんだから。天国で楽しめる平安と喜びを、今この世でも味わえるんだから、今、味わっておかねぇと損だ。じゃねえか、熊。
熊: なるほどねぇ。それもそうだ。俺たちゃ、毎日のことで精いっぱいだ。日々の綱渡りと感謝の連続ドラマみてえなもんだ。それによ、救いの完成を待ち望むというよりは、一人でも多くの知り合いやご近所さんに、イエス様のことを知ってもらいてぇと思ってる。もちろん、やみくもに伝えるわけじゃねぇ。俺はこうみえてもシャイだ。だから、みんなにゃまずは、俺が変わったことを見てもらわねぇとな。それに、聖霊様におたずねしねぇと。俺の気持ちだけで突っぱしってもなんにもならねぇだろうよ。聖霊様が働いてくださらねぇと、信じてもらうことなんてできねぇんだから。
八: そうだよ。それに、思うんだよ。俺たちゃ、まず、キリストの香りを放つ者とならねぇと。いつもイエス様を思い、聖書を読んで、イエス様のおしえをもっと理解をふかめねぇといけねぇと思うんだ。そうすりゃ、自然と、証しするチャンスを逃さなくなる。チャンスは聖霊様が教えてくださるからな。
熊: やっぱ、第一テサロニケの5章16節~19節にもどっちまうな、俺たちは。
「いつも喜んでいなさい。絶えずいのりなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。御霊を消してはなりません。」
八: それも、前に、横丁のご隠居さんが言ってた方法でな。まず何でも神様に感謝すれば、それが祈りになり、また喜んでいることになるっていう、「何でも神様に感謝すれば、この1テサロニケのみ言葉が成就する」って、いうやり方で。
熊: あのご隠居の、「神様への感謝で、すべてが補える」という証は目からうろこだったな。
八: というわけで、牧師さん、悪いけど、「救いの完成を待ち望もう」っていう気持ちになんねぇんだ。話の腰をおってしまったみたいで、申し訳ねぇな。
―――――
八さん、熊さん、ありがとうございます。確かに、救いの完成を待ち望むというのは、具体的になにをすればいいのか分からないところがありますね。私は、別に「救いの完成を待ち望む」ことを目的にしなくてもいいと思っています。そうではなくて、詩篇の1篇のように「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。」これに限るのではないでしょうか。主を喜ぶ、これこそが、クリスチャン・ライフの神髄でございます。まあ、「救いの完成を待ち望む」ということは、頭のかたすみにでもおいといていただければ幸いです。
では、黙想いたしましょう。今朝のメッセージで学ばれたこと導かれたこと示されたことを振り返ってみてください。黙想の時に、詩篇112篇をお読みいたします。
また、黙想の前に、ヨハネの福音書7章37&38節のイエス様のお言葉をお読みいたします。
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに。その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
(詩篇112篇)
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
お祈りいたします。主は、わが力、わが巌、わがとりで、わが救い主。主の御名を賛美いたします。愛する天のお父さま、今朝のメッセージを感謝いたします。私たち、主を知る者として、「救いの完成を待ち望む」ことは当たり前のようにも思えますが、そのことを見据えて、今、主との交わりを喜びとする、主のおしえを喜びとして、主をお伝えする者とさせてください。
私たちの主、平和の君、イエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。
礼拝と献金の感謝
「主の祈り」(新聖歌p826)
頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」
祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21
アーメン四唱:新聖歌59.7
黙想時の曲
[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM
https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0
●十戒
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。 それらに仕えてはならない。
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗んではならない。
あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
あなたの隣人の家を欲しがってはならない。