メッセージ:「誰に聞き従うのか」

大阪エリム・キリスト教会

木曜日早天祈祷会(午前6時半~7時)

2月25日

担当:若竹孝行

メッセージ:「誰に聞き従うのか」(7分間メッセージ)

今朝の聖書通読箇所:申命記13章〜15章

13章を交読。(新改訳2017)

中心聖句:13: 3, 4&18

「その預言者、夢見る者のことばに聞き従ってはならない。あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、いのちを尽くして、本当にあなたがたの神、主を愛しているかどうかを知ろうとして、あなたがたを試みておられるからである。」

「あなたがたの神、主に従って歩み、主を恐れなければならない。主の命令を守り、御声に聞き従い、主に仕え、主にすがらなければならない。」

「というのは、あなたは必ずあなたの神、主の御声に聞き従って、私が今日あなたに命じるすべての主の命令を守り、あなたの神、主の目にかなうことを行わなければならないからである。」

おはようございます。そして、お帰りなさい。

この13章は、偶像礼拝の問題が、より具体的に取り上げられています。

神は、まやかしの預言者や夢を神の啓示と勘違いする人たちに注意せよと忠告します。彼らの主張はみ言葉と同じように見えても、ズレがあります。しかし、神の民を巧みに誘導することには長けています。そればかりか、奇蹟まがいのものを見せて、神への信仰に疑いを起こさせます。それが、サタンの仕業であります。

神は、彼らの主張に耳を貸してはいけないと忠告します。しかし、これは神の御手の中で行われていることなのです。サタンの仕業は、神の試みです。私たちの信心へのゆさぶりです。どれだけ、神を愛し、そして神を神としてあがめているか、畏れているかを、神は試されるのです。そして、神の試みは、私たちの家族や友人たちを使っても行われます。神は、「あなたはそういう者に同意しようとしたり、耳をかしたりしたはならない、そのような者にあわれみをかけたり、容赦したり、かばったりしてはならない。」(8)とおっしゃいます。つまり、神はあらかじめ、私たちに、そのような試みがなされることを予告し、それでも、その誘惑に陥らないようにと警告するのです。つまり、学校のテストで、テスト内容があらかじめ示され、ちゃんと100点取りなさいよと、言っている先生のようなものでしょう。

実際、身内からの誘惑であったり、地域の慣習を強調されたり、世間の常識なるものを持ち出されると、私たちは非常に弱い。その弱さを、神は知っておられて、「神の、わたしの御声に聞き従いなさい」とおっしゃるのであります。神は誘惑やまやかしに対抗する処置としての絶対的力が神ご自身の御声にあると明示されておられるのです。神の御声とは、聖書のことです。生きた神のみ言葉であります。聖書の御言葉に基づきなさいと、主はおっしゃるのであります。

しかし、私たちは、常に礼拝や集会において、メッセンジャーを通して、御言葉が語られますが、そのメッセンジャーの解釈が入っていることがほとんどです。例えば、今朝の申命記13章でも、「偽りの預言者や夢見る者は、殺されなければならない」と書かれています。昔は、彼らを石打で実際に殺したのかもしれませんが、現代ではそうはいきません、というか、それは許されないことでしょう。では、これをどう解釈すればいいのか。私は、これが神の民に対して語られていることですから、現代の教会内でそのような人が現れれば、排除する必要があると解釈するでしょう。では、この解釈が本当に正しいのかどうか。その解釈はまた、他の御言葉によって、サポートされないといけないのです。一度、神の愛を味わいながら、その神を否定するものは、反キリストです。しかし、反キリストを殺しなさいとは書いていません。ヨハネの第二の手紙には、「(反キリストは)家に受け入れてはいけません。あいさつのことばをかけてもいけません」(10-11)とあります。つまり、交わりをもってはいけないと、主はおっしゃるのであります。

御言葉は解釈しないと分かりにくいこともあります。ですが、その解釈も他の御言葉によって支えられなければならないのです。ヨハネは黙示録の最後に「もし、だれかがこれに付け加えるなら、神がその者に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もし、だれかがこの預言の書のことばから何かを取り除くなら、神は、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、その者の受ける分を取り除かれる。」と注意喚起しています。私たちはこのことに最新の注意を払わなければなりません。なぜなら、御言葉はいのちのパンだからです。そして、ことばはイエス・キリストご自身だからです。

ヨハネは福音書の1章で、そのことを述べています。

「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。(1)、、、ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。(14)」

私たちは、聖書に聞き、聖書が証ししているイエス・キリストに聞き従う必要があるのです。

お祈りいたします。

主のいのり