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メッセージ主題:『賛美のいけにえと思いやり、ともに』

ぶどうの木キリスト教会

礼拝シリーズ主題:『ヘブル人への手紙』

2021時年3月7日

礼拝前祈祷:9:45 「主をほめる、主を讃える、静まりの」祈り

礼拝:10:00

賛美: 新聖歌355「主と共に歩む」

使徒信条: 新聖歌p.826

賛美: ワーシップソング「静まって知れ」

交読: 交読文23:詩篇第66篇:新聖歌p. 897-898

十戒: 末ページに記載

祈り: 「神様からのメッセージを待ち望む」祈り

賛美: ワーシップソング「御腕に抱いて」

聖書拝読:ヘブル人への手紙13章10節~16節(新改訳聖書)

中心聖句:

「ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。善を行なうことと、持ち物を人に分けることを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。」(15-16)

メッセージ主題:『賛美のいけにえと思いやり、ともに』

おはようございます、そしてお帰りなさい。

できるだけ、主の言葉に耳を傾け、聞きながら黙想してみてください。「聞く」ということを大切にしてみましょう。

先週は、ヘブル人への手紙の第12章から、『走り続ける』と題しまして、神様からのメッセージを味わいました。ヘブル書12章は、おもに、主による試練とクリスチャンとしてふさわしい生活が記されています。先週は、初めの方の、父なる神による試練を黙想させていただきました。「走り続ける」という意味には、「熱心にする、一生懸命する」というイメージもあり、また、「まとわりつくものをかなぐりすてて、走る」行為によって、主は私たちを重荷から自由にしてくださいます。私たちは、一心不乱に主を見つめ、信仰をまっとうさせていただく、そのような決意をもって、自由となって、主と歩ませていただくことを学ばせていただきました。

今朝は、ヘブル人への手紙の第13章から、『賛美のいけにえと思いやり、ともに』と題しまして、神様からのメッセージに耳を傾けたいと思います。ヘブル書13章では、神に喜ばれる生活・働きのことが書かれています。神は、人を思いやる心と神を畏れる心とを喜ばれます。今朝はそのことを黙想したいと思います。

短くお祈りいたします。

神様の喜ばれるいけにえとはなんでしょうか。私の大好きな詩篇を見てみてみたいと思います。

●「義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。」(4:5)

『神の目に正しい生き方を続け、神を信頼する』ことでありますが、私たちは義人ではありえません。ただ、神の憐みによって、神を見上げることを赦されているものです。神の目に正しい生き方とは、神をいつも思い、神と心の目をあわせること、神を見つめ続けることではないでしょうか。

●「わたしが雄牛の肉を食べ、雄やぎの血を飲むだろうか。感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。」(50:13)

●「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」(50:23)

『感謝のいけにえ』とは、動物のいけにえではありません。主をあがめる心です。主に寄り添った生き方をすることです。物ではなく、心をささげなさいと主はおっしゃいます。

●「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(51:17)

神は形式的なささげ物ではなく、真の悔い改めと謙遜を求めておられます。真の悔い改めとは、神から決して目を離さない、神を心の中心におくということです。

また、イエス様は次のようにもおっしゃいます。

●「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味が、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(マタイ9:13)

●「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とうことがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。」(12:7)

イエス様は、ホセア書6章6節の「わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。」とあるところから、引用されました。神は、民が神を知ることを喜ばれることをおっしゃっておられ、それは、神が民をあわれまれるがゆえに、救いの手をさしのばれるのと同じように、神を知り、民が人をあわれみ、救いの手をさしのべることを神は喜ばれると、述べておられるのです。

イエス様は、天の父なる神様が民をあわれまれるように、ご自身をいけにえとして、神にささげ、神と民との和解を成し遂げられました。パウロはそのことを、次のように語っています。

●「ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。」(エペソ5:1-2)

イエス様はご自身を神への香ばしいかおりとしてささげることで、ご自分の愛をお示しになり、その愛の言葉を成就させました。「人がその友のためにいのちを捨てるという、これより大きな愛はだれも持っていません。」(ヨハネ15:13)イエス様だけが、この愛をお示しくださいました。私たちは、このイエス様の愛に対して、感謝する以外になにも持ち合わせていません。いつも主を思い、感謝のこころをささげる、主を仰ぎ、賛美のいけにえをささげる、主に信頼し、心からの祈りをささげる。そして、主が私たちをあわれみ、思いやりをかけてくださったように、私たちも、私たちの周りの方々に対して思いやりの心をもって、接することが、主は喜ばれるのであります。とくにクリスチャン同志が集まり、主の御名をほめたたえることは、神はお喜びになり、私たちに力と勇気をお与えくださいます。詩篇の34篇1節~6節にも、そのことが記されています。

●「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。『彼らの顔をはずかしめないでください。』この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。」

ここでの「貧しい者」とは信仰の友であります。私たちの心の中心を私たち自身におくのではなく、主をお迎えし、主が中心となってくだされば、私たちは、完全に、主のすばらしさを味わう者(8)とされるのです。そして、その主のすばらしさを味わう食卓には、信仰の友がいて、またこれから信仰の友となる方々をお招きし、祝宴が催されることでしょう。

さて、天国長屋の八さん、熊さんはいかがでしょうか。『賛美のいけにえと思いやり、ともに』という神様からのメッセージをどう受けとめられますか。

―――――

八: 「賛美のいけにえ」かぁ、なんかいい響きだね。主に賛美と祈りをささげる。ただ単にささげるんじゃねぇ、「いけにえ」なんだから、自分自身をささげるんだな。そうすることによって、俺たちは、主に最も近づけるのかもしれねぇよ。申命記にもあるじゃねぇか。「まことに、みことばは、あなたのごく近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。」って(30:14)

熊: お、それ、パウロのだんなもローマ書の中でいってたよな、確か(10:8)。でも、俺はやっぱり、詩篇の1篇を思い出すよ。「みことばが口にある」って言われると。「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。♪その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉はかれない。その人は、なにをしても栄える。♪」

八: 歌うねぇ、ええ、熊。主に近づくには、「静まって、主を知る」っていうことも大事だ。だけど、賛美や祈りをしているときも主に近づける。なにせ、賛美をしているとき、自分自身を主にささげているっていう感じがするからな。

熊: でもよ、賛美をしたから、主に近づけるわけじゃねぇんだ。ちゃんと歌の意味をわかって賛美しねぇと、心を込めたことにならねぇ、と俺は思うんだ。だから、賛美をするときには、歌詞をちゃんと分かっておかないとな。

八: そういう意味じゃ、最近のワーシップソングの方がいいかもな。分かりやすいことばで書いてあるし。讃美歌や聖歌もいいんだけど、ことばが難しい時があるからな。その難しい言葉を使って歌うと、なんか気持ちがそがれていくような気がするんだ。自分のふだん使っている言葉じゃねぇから。

熊: そうそう、それは、確かにあるよな。うちの牧師さんも新聖歌から賛美をささげることが多いから、、、、だけど、今朝はよかったよな。礼拝前に、「静まって、知れ」とか「御腕に抱いて」とか、曲にあまりなじみはねぇんだけど、歌詞が分かりやすかった。ありゃ、いいや。気持ちが入る。

八: 俺たちゃ、もうすぐ65歳のトリオだ。新しい曲を覚えるのは大変なんだけどよ。歌詞が分かりやすいのはいいな。若いもんといっしょに歌っているような気がして。気も若くなった。信仰も古びてしまうと、いけねぇや。ガチガチになってくるからな、柔軟でないと。ちょいと若がえるから、うれしくなるね。

熊: 牧師さんは、狙ってたね。「賛美のいけにえ」というものは、心をその歌詞にのせて行かねぇといけねぇ、そうすることによって、神様に近づけるんだっていうことを。牧師さんも、今日のメッセージを準備するところで、心新たにされたんだろうね、きっと。

八: いいんじゃねぇか。とことん、新しいワーシップソングについて行こうじゃねぇか。牧師さん、俺たちゃ、応援するぜ。俺たちにとっちゃ、新しい試みだ。いろいろと戸惑いはあるかもしらねぇけど。よろしく、たのんますわ。

―――――

八さん、熊さん、ありがとうございます。熊さんがおっしゃるように、今日のメッセージを準備しているときに、「賛美のいけにえ」というところがとても気になっていました。「いけにえ」という限り、賛美に心を供えないといけないと思わされたのです。そこで、今日からもっとワーシップソングも紹介していこうと。また、なにかいい歌があれば、教えてくださいね。

では、これから黙想の時間にはいります。今朝のメッセージで学ばれたこと導かれたこと示されたことを振り返ってみてください。黙想の時に、詩篇40篇をお読みいたします。

また、黙想の前に、ヨハネの福音書4章23-24節のイエス様のお言葉をお読みいたします。

「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

(詩篇40篇)

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

お祈りいたします。私のくちびるに、賛美がわきあふれるようにしてください。あなたが私にみおきてを教えてくださるから。私の舌は、あなたのみことばを歌うようにしてください。あなたの仰せはことごとく正しいから。愛する天のお父様、あなたはわが力、わが助け、わが心、わが救いです。今日もこのようにいのちのメッセージをくださり感謝いたします。主に近づくための賛美のいけにえ、そして主に近づいてこその思いやり。どうか私たちが、静まって主を知り、主に心からの賛美をささげることができますよう。また同時にイエス様がそうであられたように、私たちも思いやりの心をつねにもつことができますように、私たちをお導きください。

私たちの主、贖い主、イエス・キリストのお名前により、お祈りいたします。アーメン。

礼拝と献金の感謝

「主の祈り」(新聖歌p826)

頌栄:新聖歌63「父御子御霊の」

祝祷:民数記6:24-26、2コリント13:13、エペソ3:14-21

アーメン四唱:新聖歌59.7

黙想時の曲

[Vol.25] 魂の安息を与えるCCMピアノ - クリスチャンBGM

https://www.youtube.com/watch?v=WdN8ea63Zb0

 

●十戒

あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。    それらに仕えてはならない。

あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。

あなたの父と母を敬え。

殺してはならない。

姦淫してはならない。

盗んではならない。

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。